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8 神官と伯爵

「聖女……」


 たっぷり数秒、目を見開いて固まったレイヴンフット伯爵が辛うじて絞り出したのは、疑うような、確認するような呟きだった。

 神官オルトは落ち着いた様子で、しかし多少熱心に見えるよう身体を前に傾ける。


「えぇ。ですが、見るにミスティア嬢は少々複雑な環境にある様子」

「そうだな、あぁ……そうだ」


 驚愕の後、頭の中で様々な思惑を計算した伯爵に合わせて、オルトは少しゆっくりと言葉を紡ぐ。

 考えて、利を取って欲しい。感情的になられては困る。それが愛情でも憎しみでも、執着されたくない。


「聖女を万全の状態にしておきたいのは、教会全体の願いです」

「そうだろうとも」


 教会全体、と言った事で、今伯爵の目の前にいる年若い神官だけでなく、背後に聖騎士団をちらつかせる。

 彼らが動く原理を、伯爵はよく理解しているはずだ。


 教会はあらゆる国のあらゆる場所に根を張っている。その地を治める領主ともあろう者が、国とは別の指示系統を持つ組織を身の内に抱えて知らないはずがない。


「そこで、いかがでしょうか。よろしければ、我々の元でミスティア嬢を預かる、というのは」

「ふむ……」


 この提案を断るリスクは匂わせるだけ匂わせた。あとの願いは、実直に話す。

 決してレイヴンフット伯爵に瑕疵があると責めているようにはならないよう、オルトは慎重に言葉を選んだ。


 いくら厳格で能力があるとはいえ、オルトはまだ若い。貴族社会で借金を返済し、現在地位を高めているレイヴンフット伯爵に腹芸で勝てる見込みは殆ど無い。

 半ば賭け、出せるカードは出して、決して攻撃とは匂わせず結果を掴みに行く。


 暫く考え込んだ伯爵は、はぁ、とため息を吐く。だめだろうか、とオルトの拳に力が入った。


「そうだな、そうできるのなら……そのようにしよう。預かりじゃなくてよろしい。あの子どもは放棄する」

「放棄、ですか」

「そうだ。教会に入る時、預かりの者は実家の身分も繋がりもそのままだが、完全に世俗と縁を切って教会に入る者もいるだろう?」


 口の横を顎に沿えた手の指でトントンと考えるように叩きながら、伯爵は探るような視線をオルトに向ける。

 そう、伯爵はオルトのことを言っている。お前もそうだろう、後ろ盾など何もないだろう、と。


 見抜かれていることに羞恥を覚えるが、反応しないよう気を付ける。

 お前の浅はかなたくらみなど見抜いているぞ、という伯爵のメッセージに、奥歯を噛んで耐える。


 今重要なのはミスティアの安全であり、自分のちっぽけな、守る価値もないプライドなどはどうでもいい。オルトは堪え、小さく頷いた。


「畏まりました。では、そのように取り計らいます。書類は後ほどお持ちしますか? 今、サインされますか?」

「今だ。……もうあれに振り回されるのはうんざりだ。そちらで引き取っていただく大義名分ができたのならありがたい」


 不要品の処理をする手間が省けた、と伯爵は小さく呟く。

 オルトは義憤を覚えるが、今は感情を排さなければならない。望む方向に物事は進んでおり、それがオルトの功績ではなく伯爵の願望によるものだとしても、これでいい。


「では、すぐに書類をお持ちします」

「あぁ、頼んだ」


 立ち上がったオルトは深く礼をして部屋を出た。

 一人待たせている伯爵にお茶を出すよう近くにいた見習いに声をかけ、そのまま同じ廊下で繋がっている自分の執務室へ向かう。


 与えられた執務室に入ってようやく、オルトは深く息を吐いた。緊張で呼吸が浅くなっていたようだ。

 教会に入りたいという者のための書類は予め記載されたものが準備されている。

 そのうち、完全に教会に属する、となる方の書類を手に取り、ペンも持って応接間に戻った。


 サインを貰うまでは何も成していないのと一緒だ。

 お茶を飲んでいた伯爵はあっけなく出された書類にサインした。内容を確かめもしなかった。


 それを確認して、確かに、と告げたことで、今度は伯爵が立つ。


「一つ約束して欲しいのだが」

「なんでしょうか?」

「あれを、決して私の目に入れるようなことがないように。せっかく領を発展させても、ゴミが目に入ると不愉快だろう? やっと片付くのだ、どうせなら目に入らぬよう取り計らっていただきたい」


 教会は国を超えた組織だ。

 外国に送れ、という意味なのはよく分かった。


「そのようにいたします」

「あぁ、ではな」


 レイヴンフット伯爵は本当に、ただそうして欲しいという当たり前のことを言うように実子を捨てた。

 その背中を見送ってから、オルトは今度こそ安堵の息を吐く。


「ミスティア嬢……、君から家族と家を奪ってしまったこと、許して欲しい……」


 勝手に彼女を教会の所属にした書類を握りしめ、それでも本人に今はその謝罪をすることはなく、オルトは一度口にしたその言葉を飲み込む。


 これからが忙しいことになるはずだ。

 山積みになっているやる事を頭の中でリスト化しながら、オルトもまたこの応接間を後にした。

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