7 レイヴンフット伯爵家の事情
ミスティアは領主レイヴンフット伯爵の実子であり、それは疑いようがない。
だからこそ貴族の令嬢でありながら現在があり、もし少しでも何か違っていれば、もしかしたら普通の貴族令嬢として育ったかもしれない。
母親はミスティアを産んで亡くなった。出産に伴う出血のショックで命を落としている。
レイヴンフット伯爵は、亡き妻を愛していた。彼女とは幼馴染で、領地が隣り合っていた。
東の端、魔物の潜むゴレイユ大森林を背にするルドベキア領は、前代の折に魔物災害に見舞われた。
さらに、復興で多額の借金を抱えることとなる。
スタンピードと呼ばれる災害は、一気に増殖した魔物が森から溢れ結界を弱体化させ、人の領域に侵入するものだ。
大量の魔物が先住である人間を殺し自らの生活圏を確保しようとする。
国全体で見ればレイヴンフット伯爵の治めるルドベキア領の内部で収まった小さなものだったが、領民にとっては死活問題だった。一時補償金は支払われたものの、農作地は徹底的に荒らされ、魔物の死骸の除去、そして被害者の埋葬に、生産力の低下と問題は山積み。
すぐに回復できるものでもなく、荒らされた領地では誘致も難しい。
ルドベキア領より内地に位置するヘリオトロープ侯爵の治めるヘスベリシア領から、手厚い支援の話があったのはそんな時だった。
その際に縁と借金が出来、現伯爵の代で幼馴染であるヘリオトロープ侯爵令嬢を妻に迎え、借金も完済した。
愛し合う二人であったし、借金の完済を終えてもなお魔物の領域との境界線に強い縁ができるというのは、ヘリオトロープ侯爵にとっても良い話だったのだ。
そして子供……ミスティアを設け、出産で妻を亡くした。
レイヴンフット伯爵は生まれてきた娘を前に何度命を奪おうかと頭を抱えた。
顔中を掻き毟り、苦悩で眠れない日々を過ごした。
愛する人との子供だから大事にすべきという愛と、愛する人を奪った憎き生命という憎しみ。
その狭間で揺れ、悩む姿に、ミスティアに物心がつくまでは使用人も面倒を見ていた。
無防備な赤子を親が殺すなど見ていられなかったし、それは亡くなってしまったミスティアの母親とミスティアを憎む父親が、仲睦まじく愛し合っていた、その残滓の優しさが屋敷にはあった。
やがて子供が育つ頃、伯爵は落ち着きを取り戻す。
何も与えないことを選んだのだ。無関心を貫き、憎しみも向けず、食糧もパン一つ渡さない。
盗んでも咎めはしない。注意もしないし、叱りもしない。
徹底した存在の無視。
そうすれば、知らないうちにあの生命は死んでいるはずだと思っていた。
落ち着きを取り戻したところで、前妻の妹との結婚話が持ち上がった。四年の月日が流れており、ヘリオトロープ侯爵の強い要望によって縁は結ばれ、子供を設けた。
それがミスティアの現在の継母と妹である。
ここまでは、領地に住む人間ならば公然の秘密だった。
貴族が死別で姉妹を娶ることもおかしなことはない。結局、王侯貴族の結婚は契約なのだ。愛はその後で、最初は打算によって結ばれる。
レイヴンフット伯爵は新しい妻を愛さなかったが、前妻の妹である現妻はレイヴンフット伯爵に不満を覚えた。
その不満は全てミスティアに注がれる。
実の父親には存在を否定され死を望まれ、養い親になるはずの継母には憎まれで暴力にさらされる。
家を取仕切る継母がその調子なのだから、使用人も妹も同じようにミスティアに暴力を奮い、うまくいかない何もかもをミスティアのせいにした。
だが、ミスティアはその環境で12歳まで生きてしまった。
生きているのに授かりの儀式に連れて行かなければ聖騎士団が来る。
そんな風に煩わされるよりはまだましだと、継母が主導してミスティアを教会に連れて行った。
家族で町に出かけるついでだ。教会に出かけて領内の代官を務める貴族や事業を行う貴族とのちょっとした顔合わせに来たついで。ついでに、ミスティアに儀式を受けさせ、その影響は何もなく家に戻れば当たり前にまた地続きの日々が続くと思っていた。
教会にある貴族のみが利用できる応接間にて、付き添いで来た者同士のちょっとした社交を行っていた。ティーセットを囲んでお茶をする貴婦人たち。少し離れたソファに腰かけ、自分達の事業や税収に言及する紳士たち。儀式を受けないがやってきた子どもたちは、行儀よく固まって遊んでいる。
見習い神官が何人か控え給仕の真似事をし、慣れない仕事に表情を硬くしながらあたっていた。
そこに不穏なノックが響く。
「入り給え」
平坦な声でレイヴンフット伯爵が促すと、現れたのはオルトだ。
「レイヴンフット伯爵。お目にかかれて光栄です」
「あぁ、君か……儀式の責任者だそうだな。一体何の用かね?」
「は。少々、お時間をいただきたく……」
手短に済ませる内密の話という体を取ると、片眉をあげたレイヴンフット伯爵は一応頷いた。
ミスティアにすこしでも煩わされるのが許せないという感情と、貴族として泰然とした態度をとるべきという理性が戦って、理性が勝った。
「ふむ、案内したまえ」
「ありがとう存じます」
深く頭を下げたオルトは、すぐに準備した別の小さな応接間に伯爵を案内した。
レイヴンフット伯爵が壁の方に、自らは出入り口の方に向き合って座る。
オルトは表面上涼しい顔をしているが、背中には冷や汗が伝っていた。
ここでうまくやらなければ、ミスティアはより過酷な目に合うかもしれない。
必ず成功させなければ、という気概でこの場に挑んでいる。
「単刀直入に申し上げます。本日儀式を受けられたミスティア嬢が聖女との神託が下りました」
教会しか生きる場所を知らないオルトは一世一代の芝居を始めた。