4 神の助言
ミスティアは自らの意思に関係なく考えざるを得なくなった。
倒れて深くに沈み込んだ意識は「どうして」「なんで」と叫ぶ自分の声に触れる。
暗闇の中で、その声だけが響いた。発しているのは自分の口だ。
普段ならば何も考えない。考えることに意味はないし、頭に思い浮かぶことがよかったことなどない。
嫌だと思っても、痛いからやめて欲しいと思っても、それを口にしたらもっと酷い暴力がミスティアに降りかかる。
あるのは相手の意思だけ。ミスティアは周囲全ての奴隷だ。
だけど、今は考えなければいけなかった。
さっきの事を思い出す。
あの白い板に触れた瞬間、眩い光に包まれた。
温かく眩しい光の中で、綺麗な女の人と出会う。
彼女は自らを女神と言った。
背が高く美しいその女神からは、花の香りがした。春の花畑、レイヴンフット邸の春の庭の香り。
そこで彼女と話したことをミスティアは振り返る。
泣きそうな顔でこちらを見た女神は、そっとミスティアを抱きしめた。
そして謝った。ごめんなさい、と。
思い返せば、今日はいろいろと謝られた日だなと思う。
初対面の女神と神官から謝られた。そんな事は初めてで、ミスティアはとても驚いた。
「ミスティア、あなたは聖女です」
そんなことも言っていた。
女神も膝をついて目線を合わせて話してくれて、ミスティアは少しばかり申し訳なくなる。身体が小さいせいで迷惑をかけてしまう。
「それもただの聖女ではありません。この世の歴史に残る大聖女となるでしょう」
予言めいたことを言う。疑う気持ちは、ミスティアの中に湧いてこなかった。もともと他人の言うことがミスティアに何か響くことはなかったが、それでも、聞いた瞬間すっかり信じていた。
しかし、大聖女というものには、ミスティアはなれそうにもないと長い髪の下で眉根を寄せる。
ぶたれないように生きたいという願いすら抱けない、乾いた砂漠の心に、何かになりたい、という気持ちは湧いてこない。
感情は芽吹かず、本能は鳴りを潜め、ミスティアはただ他人にいいようにされるままだ。呼吸をし、肉のない身体を言われたままに動かす。
「あなたには長らく差し伸べられる手がなかった。今から差し伸べられる手を取りなさい。助かろうとするのです」
「……それは、命令ですか?」
女神の必死の訴えに、ミスティアはただ首を傾げた。
助かろうとする。助かれば、何が変わるというのだろう。
生まれてすぐからの飢えが癒やされるのだろうか。
二度と拳も足も飛んでこず、痛い思いをしなくてもいいのだらうか。
存在そのものを罵られ、自分が自分であるという理由で憎まれなくて済むのだろうか。
それらが苦しくても、死ぬこともできない今が変わるのだろうか。
「変わりますよ」
ミスティアの肩が揺れる。考えていることに答えが返ってきた。
「あなたは……あぁ、大聖女として生まれついたために、力の一部が漏れ出ていたのですね。鑑定の力で毒を避け、生命維持に必要な回復を他の能力を低下させて賄っていた……そうね」
「……?」
女神はミスティアを見つめて何かを呟いていたが、納得するとミスティアと両手を繋ぐ。
すべすべで綺麗な手に、自分の骨張ってひび割れた貧相で汚い手が触れる。なんだか手を振り解きたくなるが、ミスティアは大人しく両手を預けた。
二人の間で風が立ち上り、ミスティアの長い髪が後ろに流れていく。現れた額に女神の額が合わさる。
「あなたに必要なのは、イマジネーション。想像する心。想像は欲から始まるけれど、あなたの心はとっくの昔に何もかもを……それも、致し方無し。でも、ミスティア。覚えておいて。差し伸べられた手を、取るのです」
そして、女神の両手と額からミスティアの中に温かな何かが流れ込んできて、気付いたらまた眩い光に飲み込まれ、男の人が叫んだのだ。
そして彼もまた、ミスティアに謝り、膝をつき、意思を尋ねた。
女神様と同じことをするからもっとびっくりしたし、話があるというのはきっと、ミスティアにしか見えていない非表示の内容のことだろう。
目が覚めたら、聞きたいことには答えよう。後で殴られても、蹴られても、目を合わせてくれたから、それでもいい。
ミスティアがそう決めた時、彼女は目を覚ました。
「起きたか?」
目覚めた瞬間、視界いっぱいの整った顔に見下ろされて、もう一度気を失いそうなほど驚いた。