2 授かりの日
その少女は異質だった。
教会に入ってきた姿を見た時に目を瞠った。あまりにもボロボロで、それでいて存在感が無く、寄る辺もなく、不安そうに視線を揺らしていたからだ。
突然目の前にぽっかりと空白が現れたために、その空白にかえって目を奪われる、とでも言おうか。
そう思ってミスティアを見つめたのは、長い銀髪を綺麗に背に結び、怜悧で整った顔立ちをした20歳前後の神官だった。
背が高く、ゆったりとした神官服では痩躯に見えるが体には厚みがあり、視線は厳しい。鍛えているのは一目瞭然である。
厳格な性格なのだろう、と見た目から連想される。
トルニアナ王国東端のルドベキア領、領都の教会に権正階一位の神官として神に仕える青年。年齢を考えれば異例の地位であり、それだけ年若くから教会に入っていたとも言える。
青年神官は暫くじっとミスティアを見つめていたが、ハッとして視線を戻し、忙しなく動き始めた。
今日は呆けていられるほど暇ではない。
年に4度、3ヵ月に一度。季節の中の月は春誕、夏誕、秋誕、冬誕と頭につく儀式の日だ。
3の月から5の月までが春生まれ。そこから順に3ヵ月ごとに、6の月から8の月が夏生まれ、9の月から11の月までが秋生まれ、12の月から2の月までが冬生まれとなる。
誕生日というものは戸籍の記録上にあるもので、大抵はまとめて儀式を行うし、祝うのもまとめてだ。
今は10の月で、今日は秋誕の儀式の日である。儀式の執り行いは教会が行っており、青年神官は儀式の責任者として老いた神官たちに推挙された。面倒を押し付けられたのだ。
この教会の管轄にあるルドベキア領の子どもたちが続々と教会堂内に集まっている。準備の方も、もうすぐで終わることだろう。
儀式の順番は爵位の高い順になる。今は見習い神官たちがその順番になるよう席に案内している。
今日使う神具は祭壇奥の部屋に安置されているし、国から預かった戸籍のリストと席の子どもを確認して、欠席がいなければつつがなく終わるだろう。
(そういった意味では、先の子どもは不安要素だな……)
「オルト神官、準備が整いました」
見習いを総括する神官が声をかけてきた。視線を向けて頷き、今日まで何度も繰り返した注意をもう一度だけ口にする。
「わかりました。本日は領主の子供がいらしているはずです。贔屓は無くて結構ですが、特段粗相も無いようお願いします」
「心得ております。……そう緊張せずとも、あなたなら大丈夫ですよ」
オルトと呼ばれた青年神官は、穏やかそうな総括神官に宥めるように言われて、緊張が表に出ていたことに気付き苦笑する。
彼がそこそこの高い位階にいるのは、後ろ盾が何もないからだ。傀儡にしやすく、何かあれば追い出しやすい。位階が上がるごとに、どんどん後戻りができなくなった。
こういった、失態をすれば目立つ儀式の責任者ともなると、自分の今後の身の振り方まで関わってくる。胃の痛いことだ。
神が聞いたら呆れてため息を吐きそうだが、実際にそうなのだから呆れてないでどうにかして欲しい。そんな風に思いながらも、励ましてくれた総括神官に目礼して壇上にあがる。
「授かりの日、秋誕の儀式を執り行います。呼ばれた者からこちらへ来るように。付き添いはその場でお待ちを」
余計な挨拶はしない。
教会堂の長椅子は一つに五人座れる。それが左右に別れ、十本ずつ縦に並んでいた。
その席が満席なのだ。全ての儀式を終えてから、簡単な説教を行い、それで儀式は終了となる。
壇上から全員に声が届いたのを確認し、後ろの壁にある小部屋に入る。
小部屋は小さなドーム状の白い部屋で、中央に真っ白い板が浮かんでいる。これは聖典と呼ばれていて、儀式に来た子供はこれに触れると神の助言が浮かび上がる。
神の助言は、『ステータス』と呼ばれる半透明の窓にはその者の名前や誕生日、その他素養と能力値、それから儀式によって得た『ジョブ』と『スキル』が表示される。
この神の助言を授かるための儀式だ。
儀式は強制参加で、もし何らかの事情で何の連絡もなく欠席となると、神託が下ってその子供を迎えに行かなければならない。儀式は管轄の一番大きな教会で行い、大きな教会には聖騎士団がいる。
聖騎士は神託にのっとり迎えにいくが、それが奴隷であっても貴族の子であっても、神託は分け隔てなく下る。そして、必ず迎えにいく。
だからそう、先程みた異質な子供は、きっと奴隷の子なのだろうと思った。
なのに、扉が開く音がして最初に入ってきたのが、その異質な子である。
ミスティア・レイヴンフット。とてもそうは見えない、12歳の少女。近くで見れば、奴隷でもまだ肉がついているというような骨と皮だけの身体に、荒れ果てた髪とつぎはぎだらけで汚れている服を着ている。
これで一応、リストには伯爵家の正式な娘としてあるのだ。一体、レイヴンフット伯爵は何を考えているのか? そこまで頭の中に浮かべたものの、オルトは何もその感情や考えに従わない。
すぐに動揺を消して「こちらへ」と静かに告げた。
ふらふらとした足取りで折れそうな骨と皮だけの脚を動かしやってきた子どもからは、ひどくすえた臭いがした。顔を歪めないようにしたかったが、眉間の皺は抑えきれない。
「この聖典に触れよ」
子供は言葉を発さず、伸ばしっぱなしのもじゃもじゃの髪ごと一つ頷いて、鶏ガラのような手を聖典に伸ばした。
汚れ傷付いた貧相な手がまっさらな聖典に触れた瞬間、虹色の光がドームに満ちる。
「なん、っだ、これは!?」
「……」
まばゆい光線にオルトは目を開けていられず、子供もびっくりして固まっている。
庇うように神官服のゆったりとした袖でその子供を隠すよう咄嗟に抱き込み、少しして光が収まった。
おそるおそる目を開き聖典の方を見ると、そこにはその子供のステータスが浮かんでいる。
オルトは、一体今の光はとその正体を見たいとステータスに目をやったものの、今度はその内容に驚いて固まってしまう。
そこには名前以外の何もかもが(非表示)となった、灰色のステータスがあった。
これまでに例のない、前代未聞の出来事である。