16 この身が千切れても
ミスティアの骨と皮だけの身体は、常に魔力が巡り回復魔法を掛け続けている状態だ。
深度で言えば一度。切り傷や擦り傷、ちょっとした打ち身を直す程度のものだが、そうでもしなければミスティアが動ける道理が無い。
身体に消費できるエネルギーが無いのに何日も食べずに動き回る事ができる。
筋肉になる栄養が無いのに成長し、歩き、動くことができる。
消費しているのは魔力。尽きぬほどの大量のそれが、ミスティアを生かしている。
生きているだけで奇跡の少女は、そのまま溢れる魔力を無意識に行使して教会の敷地を駆け抜けた。
思考も感情も砕かれた少女の身の内にそれでも溢れ出てきた感情は、焦り。
焦燥にかきたてられて、少女は走る。身にまとう魔力が徐々に可視化され、金色の砂粒を纏いながら、必死に足を動かす。
避難のために教会に列をなす人々が、金色の風が吹き抜けるのを感じる。
ミスティアの身体はもはや、魔力によって構成され、実体を溶かして風となっていた。本人に自覚はない。
ただ、早くオルトの元に向かいたかった。自分に何ができるのかは分からないけれど、ぼんやりと認識していた誰かではなく、オルトだと認識してしまったから。
見ず知らずの、血の繋がりも縁もない自分を、最初にあのまばゆい光から守ろうとしてくれたように。
無償のそれを、ミスティアは確かに受け止めた。
助けてくれるのかと聞いた時に、それを否定しなかった。
ひどくくさかっただろうに、抱き上げてベッドに寝かせてくれた。
回復するのを待って、椅子に座らせてご飯をくれた。
オルトは笑わない。自分に笑いかけていたのは、今まで継母と妹だけだ。
その二人の醜悪な笑みしか知らなかったから、オルトの誰に対しても変わらない表情は信頼できた。
急激にミスティアは自分を構成していく。
自分を動かし、生かしているものが何なのか、思考せずとも理解する。
オルトを傷つけられるのも、オルトを失うのも、嫌だ。
自分が生きるのも死ぬのも、どんな環境にあるのもどうでもいいと思っていた。
(だって、私が望んでも、何も変わらないから……)
生きるのに必死だったわけじゃない。死ねないから、必死にならなきゃいけなかった。
ミスティアは無意識に自分を自覚し続ける。肉体を動かす魔力の扱いは、感覚で分かる。
あふれ出たそれが後ろに流れていくのを感じながら、尽きないそれを使って金色の風はどんどんと進む。人の出せる速さではない。
オルトに向かってまっすぐ、まっすぐ、とだけ念じて動かし続けた『身体』は、視界にいよいよオルトを捕えた。
教会から、都市部を移動する速さとは言え馬車で20分はかかる場所。そこに5分もかけずに辿り着いた。
金色の風がつむじ風になり、その中心にミスティアを『構成』する。
今は灰色のステータスであるが、ミスティアは次々に聖女の奇跡を操った。
焦燥という感情の元にある、失いたくない、という願望のために。ミスティアの魔力は、願いを形にし続けている。
ぎりぎりで間に合ったと言えばいいのだろうか。
最後の避難民を見送ったオルトの背後の上空で、ワイバーンが結界に亀裂を入れたのが見えた。
周囲に群れている数多のワイバーンの鳴き声でかき消されていたのだろう。何度も同じ場所に向かって、そのワイバーンは攻撃をしていたらしい。
透明な結界に入った白い亀裂に向かって、カギ爪を食い込ませた魔物は、まっすぐオルトに向かっていた。
一連の動きは一瞬。オルトが異変に気付いて振り返るその一瞬だった。
「だめ!!」
ミスティアは必死に手を伸ばした。
彼を失いたくないのだ。それが何からきている感情かは分からない。
それでも、確かにミスティアは暖かいものを感じていた。受け取っていた。
それが自分の中を心地よく満たしていくのを知ったのだ。
金色の風が吹き、ワイバーンの爪とオルトの間に割り込んだのは、刹那。
ワイバーンの爪が、金色の風の中から現れた、小さく頼りなくか細いミスティアに食い込んでいるのを、オルトは見上げた。
驚愕に見開かれた整った顔に、ミスティアの血が滴り落ちる。
全て、一瞬の出来事だった。