12 空っぽ
「……」
遠くで滴の落ちる音がする。
真っ白い世界にミスティアはいた。
足元は一歩歩くごとに、水面に広がる波紋のように揺れ動く。
裸足の足に冷たさや濡れた感じはない。
「ミスティア」
目の前に、昼に見た女神が降りてきた。
痛ましそうな視線がミスティアを捉える。
視線だけでなく、女神の両腕はすっぽりとミスティアを抱きしめて捕らえてしまった。
「あなたの心は砂漠のよう」
白の世界が一転、どこまでも広がる乾いた砂の世界になる。
月は無いが太陽もない。星もない。真っ黒の空に、延々と続く灰色の砂漠。
「感情も思考も粉々に砕かれて、疑問も好奇心も砂のように砕かれて」
足元を埋め尽くす砂が風に飛ばされる。その感触は、ミスティアの足の裏でも感じることができた。
抵抗はしないが、足の指で砂を掴む。
「命じられたことをただこなす。思考がないからその先もない。あなた自身が、心から望まなければなりません」
女神の涙がミスティアの肩を濡らしている。
望まなければならないと言われても、望んだところで何になるのかとミスティアは思う。
これまで幾度も助かりたいと願い、抗い、望んでみたけれど、叶えられたことがない。
やっと何も望まず、考えず、やり過ごしながら生きることに慣れてきたところだ。
「ごめんね、その通りだわ」
ミスティアの肩が初めて揺れた。
心を読まれたのだろうか。
「それでもあなたは望まなければなりません。そのために、あなたに命じます」
女神はミスティアの両肩に手を置くと、そっと体を離した。
まっすぐにミスティアの水色の瞳を見る。
「周りの愛情を受け取りなさい。今は、ただ受け取るの。与えられたものを己がものにして、愛されなさい」
何をすればいいのかいまいち理解の及ばない命令だ。
でも、差し伸べられた手を取ったら、ご飯が食べられた。
安心して眠れる寝床と、清潔な衣類も手に入れた。
心臓が動く限り生きなければならないのなら、苦しくも痛くも痒くも辛くもない方がいい。
今のミスティアにできるのは命ぜられたことを行うこと。
そして、女神はどうやらミスティア助けてくれようとしているようだった。
「女神さま……」
「なぁに、ミスティア」
「わたし、聖女なのですか?」
「そうです。……周りに証明するものが必要ですね」
「……? はい」
必要かどうかはわからなかったが、ミスティアは頷いた。
女神はミスティアの胸元に片手を当てる。何か温かいものが、ミスティアの内側を巡っていく。
「……そう、えらいわね。お風呂に入ったのね」
パン、と何かが弾けた。
ミスティアの身体の中で、何か温かいものが巡り続ける。
「ソレは、あなたの力のごく一部。ソレがあなたを助ける一つになり、周りを助ける一つになります。いいですね? まずは愛を、受け取るの」
「はい……」
返事をしたところで、強烈な眠気に襲われてミスティアはふらついた。
ゆらゆらと揺れる。砂の上でバランスを失い、身体が傾く。
そのまま倒れた、と思ったらベッドの上で目覚めた。
びっくりして白い天井を見つめる。何の飾り気もない、白い部屋。
目覚めたミスティアが体を起こすと、カーテンの隙間から朝陽が差し込んでいた。
「……あさ」
朝の準備をした方がいいのだろうか。
邸の中のあらゆる魔石に触れて周り、倉庫から芋を運ぶ仕事。
しかし、ここは教会でレイヴンフット邸ではない。
どうしていいのか分からず、もう一度眠るほど眠くもなくて、ミスティアはベッドに座ってぼんやりと虚空を見つめた。