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11 レイヴンフット邸の異変

 忌々しいミスティアを教会に預けることができて、気乗りはしなかったが儀式に連れて行ってよかったと馬車の中でレイヴンフット伯爵は考えていた。

 アルフォンス・レイヴンフット。40をいくつか過ぎた年齢の、線の細い美丈夫だ。


 グレーの髪を後ろに全て撫でつけ、黒とも灰とも光の加減で変わる瞳をしている。

 現妻のユレイヌと、その間に設けたヘラという9歳の娘。ミスティアに無関心を貫くと決めて以来、彼の家族はこの二人だ。


「お父様、あれはどうしたんですの?」

「なんのことだ?」


 ヘラのいう『あれ』が何を示すのか、アルフォンスが分からないわけはない。

 ただ答えたくない。ジロリと睨んでみたが、幼い子どもにはあまり通じていなかった。


「今日はあれのために教会に行ったのでしょう? なのに、帰りにはいない。一体どうしたんですの?」

「ヘラ、何故そうも気にする?」


 アルフォンスには却って分からない。

 いつも邪魔そうに叫び、怒鳴り、見下して暴力をふるっていた相手がいなくなったのに、何をそんなに気にする必要があるのだろうか。


 要らないからこそ追い出すなり死ぬなりして欲しいと、そういうつもりでいたのではないのか?

 アルフォンスは食事を与えるなとは命じていない。ただ、完全なる無関心を装っていただけだ。


 家の中のことは夫人が取り仕切るもの。

 虐げながらも労働力としてミスティアを便利に使い、八つ当たりをして虐げ見下しているのは知っていた。それが邸中に伝播していることも。

 アルフォンスはそれすら興味がない。だから、ミスティアの処遇を自分からわざわざおしえてやる気はなかった。


「私も気になりますわ。一体なぜ……」


 教会に置いてきたのか、とユレイヌは言葉を濁した。


「あちらが引き取りたいと言ってきた。ちょうどいいから捨てたに過ぎない」

「まぁ……」


 ユレイヌは眉を顰める。

 つまり、ミスティアは今後、教会で暖かい寝床につき、温かい食事を食べ、清潔な服を着て生活するのだろう。それが、無性に腹立たしい。


「お母様、どういうこと?」

「あれは……あれは、教会に入ったのだそうよ。もう二度と家には帰ってこないわ」


 あまりこの話を長引かせたくないユレイヌが簡単にヘラに説明する。それにさらに質問を被せようとしたヘラの口を、ユレイヌは視線で窘めた。母親の視線はどうやら感じ取れるらしい。


 アルフォンスは、必要な話であっても、話の上であっても、ミスティアの存在感があるだけで不機嫌になっていくのだ。


 その後の馬車は沈黙のまま進んだ。


   ◇◇◇


「どういうことよ! 侍女長を呼びなさい!」


 それはレイヴンフット邸に伯爵らが帰宅して半刻ほど経ったころだ。

 ユレイヌの神経質な叫びが浴室から響いた。


 タイル張りの床には、入浴の世話をする為の使用人が床に頽れている。

 すぐさま侍女長が浴室へやってきた。廊下には侍従長も控えている。


「ど、どうされましたか奥様……っ!? こ、これは?!」

「どうもこうもないわ! 湯浴みすると言ったのに、何故お湯ができていないの!」

「そ、そんなはずは……」


 頽れ苦しげに呼吸する使用人たちも気になるが、湯船を見て目を見開いた。

 ここには水の魔石と火の魔石がある。


 魔力があれば簡単に湯を張れるのに、今は空だ。


「な、なぜ……申し訳ございません奥様。どうやらあれが仕事をサボったようで」

「あれならいないわよ、捨てられたの」

「…………は?」

「教会に入ったのよ! それよりお風呂よ、どうにかなさい!」


 倒れた使用人たちを一切気遣うことなく、ユレイヌは浴室を出た。隣にある脱衣場に控えた使用人が簡単なドレスを着せると、すぐ近くのサロンに移動した。

 この後、さして待たずにすぐ湯が沸くと思ったのだ。


 侍女長は使用人たちを助け起こして人を呼び、彼女らを部屋に寝かせるよう指示した。魔力切れを起こして生命力に影響を受けたのだ。


 魔力持ちのジョブでないかぎり、生活魔法しか扱えないのが常識だ。魔石を使って水や熱を生み出す魔法は、発動できない魔法を無理やり発動するのと同じこと。

 他に厨房で扱う水も竈門の熱も氷室の冷気も魔石。洗濯場の水も水流を起こす風の魔石も魔石。

 各部屋の温度を調整する魔導具も魔石で動く。


「なんて、こと……」

「侍女長、どうしたのです?」

「侍従長、……っあぁ……!」


 呆然としていた侍女長に声をかけたのは侍従長だ。

 毅然としていて取り乱さない侍女長の様子がおかしいし、話の内容も漏れ聞こえてきていたが全ては聞こえなかった。


「あれが……あれが、もう、この家には帰らないのです……」

「なんですと……?!」

「この家の使用人に、魔力持ちはおりません……賃金が高くなるので、雇っていません……」

「……その話はまた後ほど。急いで湯を沸かさなければ!」

「無理ですよ……」


 侍女長はこの家で初めて正しく事態を理解していた。


「薪はないのです。水も井戸から汲まねばなりません。ここは3階で、井戸は一階です……誰が運べますか?」


 侍女長は、浴室を指差した。

 最大限大きなベッドと同じだけの大きさの湯船を満たすには、一体どれだけの薪が必要だというのだろう。


 すぐそこに水が出てそれをお湯にする道具があるのに、それを動かす燃料がない。


「それでもやらねばなりません。薪ならば庭師小屋からでも分けてもらいなさい! 行きますよ!」


 絶望に青い顔をしている侍女長を叱り飛ばし、侍従長は脱衣場を飛び出した。


 今日の朝まであった当たり前を維持するのには、全く使用人の数も魔力も燃料も足りなかった。

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