正しく或ることの必要性
或いは悪の美学
「なにをそんなに絶望してんの?」
「は?」
きっと今日も誰かが囀っている、そんなこと。
「自分を貶めた噂話を友だちがしてたの」
「どうせ頑張ったって何も変わらないし」
「働いても働いても最低限生きることしかできない」
「気の狂った母親」
「話を聞かない父親」
「ぶよぶよ膨らむばかりの醜い体」
「でこぼこ痛いだけの汚い肌」
「表現したいのにするべきなのに、表現する自分が見つからない」
「他人が気軽に語る夢や理想がかけらも浮かばない」
「生きたいとも思ってないのに死ねない」
「死にたいわけでもないのに生きたくない、なんて我儘」
「生きる理由もなければ死ぬに足る勇気もない、中途半端な息苦しさ」
「無関心な他人」
「振りかざす正義感」
「親切で差し伸べられた手の指が私の目に突き刺さってる」
「大人がただ歩きながら振ってるだけの手が、子どもの私の顔面を殴ってる」
「現実を見ない親」
「正しさの中で呼吸できない私」
「どんなに探しても理由のない苦しさを理解する記事がないの」
「どんなに求めても手に入れた瞬間にガラクタに変わるの」
「どんなに憎んでもそれを忘れてまた愛してしまうの」
「この世はモノが多すぎる」
「人間はきらいだ」
「他人は怖い」
「親は苦しい」
「自分が憎い」
「みんないなくなっちゃえばいいのに」
「そんな陳腐な幻想、もう飽き飽きだ」
「怒ればいい」
「泣けばいい」
「叫べばいい」
「殴ればいい」
「そして世界の終わる日まで笑ってればいいの」