5 ルームランナー
あれから一週間が経った。
途中、やっぱり妹の美羽のことが心配になったので、俺は思い切って病院の病室に戻ってみた。
俺が消えてからかなり時間が経っていたので、もう俺のベッドは病室にはなくなっていて、最悪、床に体を叩きつけられることも覚悟したのだが、そうはならなかった。
ありがたいことに現実世界では俺の姿かたちがどこにも存在していないにもかかわらず、病院側は俺のベッドをちゃんと確保してくれていた。
どうやら、妹がそうしてもらえるよう交渉してくれていたらしい。
それに病院側も俺が次にいきなり現れた時の対応を考えていてくれたらしく、俺がベッドに現れると担当の人がすぐに来て人工呼吸器をつけてくれた。
おかげで、俺の現実世界での活動時間が確保できた。
本当に助かった。
俺が『トレーニングルーム』から病室のベッドに戻ると、妹から俺がいつ戻って来てもいいようにと病院に手紙が預けられていた。
動けない俺に、看護師さんが「見えますか?」と開いて目の前に持ってきてくれて読ませてくれた。
妹の手紙には、俺がいなくても元気で学校でやっていけていること、最近は自分で作るので料理が得意になってきたこと、でも本来の料理担当の俺がいないと味付けがイマイチなので早く帰ってきて欲しいことなど、俺の妹とは思えないほど綺麗な文字と文章で近況が書き連ねてあった。
どれも「自分は元気だから心配しなくていい」というような内容だったが、手紙の表面をよく見ると何度も書き直したような消しゴムの跡と、何か水のようなもので濡れた跡がある。
絶対に早く戻るから、と決意を新たにせざるを得なかった。
俺も妹への手紙を看護師さんに託すと、すぐに『トレーニングルーム』に戻った。
実は現実世界に戻る前、トレーニングの成果で少しは動けるようになっているのではないか、という期待も少しはあったが、結局、俺の状態は相変わらずだった。
未だに人工呼吸器なしでは呼吸もできず、ただそこにいるだけで心臓が弱っていき、数分で意識が飛びそうになる。
念の為、ステータスを確認してみても全て「1」のまま。
でも、何も変わっていないわけじゃないと思う。
俺がこの前に得たスキル『マッスルアップ』を使えば、妹に渡す手紙をベッドに落とす時、ほんの少し指が開きやすくなる。
首も僅かに傾けられるようになったし、若干、心臓も楽になった。
あまり変わっていないように思えても少しずつ進歩はしている。
俺がやっていることは決して無駄じゃない。
それが確認できただけでも大きな収穫だった。
そうして、俺はまたトレーニングに励むことにした。
今の俺の『トレーニングルーム』内でのステータスはこうだ。
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御山深人【レベル】1
【筋力値】 23 (*1.9826)
【体力値】 25 (*1.4913)
【魔力値】 10
【精神値】 18
【敏捷値】 26
【幸運値】 19
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相変わらず【筋力値】、【体力値】などのステータス値自体には変化なし。
でも、そろそろ【筋力値】の横の謎の数値が「2.0」になりそうな感じだった。
そこで何か大きな変化が訪れるのか。
それとも何も起こらないのか。
俺は淡い期待を胸にトレーニングを続けた。
◇◇◇
二週間が経った。
結局、【筋力値】の横の数値が「2.0」を超えても劇的な変化は訪れなかった。若干、バーベルを持ち上げるのが楽になった気がしたが、それは前から感じていたことだったので違うのだろう。
でも、一週間前と今の俺を比べると謎の数値の伸び方が大幅に伸びた。
原因はトレーニングルームの設備が増えたことによる。
謎の数値が「2.0」を超えても特になんの変化起きなかったことを少し残念に思いながら俺が黙々とトレーニングを続けていると、不意に『精霊の声』のメッセージが現れた。
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【スキル】熟練度が一定に達しました。
称号:『初級トレーナー』を得ました。
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「また、称号?」
『精霊の声』が告げたのは再び『熟練度』の上昇による『称号』の取得だった。
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称号取得に伴い、
設備『ルームランナー』が開放されました。
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「……ルームランナー?」
今度は【スキル】ではなく、『ルームランナー』という設備が増えたという。
『精霊の声』のメッセージを受けて、俺が部屋の中を見渡すと、何もなかったはずの場所に忽然と『ルームランナー』が現れていた。
俺の真後ろに。
なんの前触れもなく。
もうそんなことぐらいでは動じなくなっていた俺は、すぐにその器具の使い方を確かめることにした。
見た目はどこにでもありそうな普通の『ルームランナー』だった。
足元に滑り止めの溝のついた広めのベルトがあり、それが一定速度で回転することで、その上に乗った人が走り続けるというトレーニング器具だ。
これも使ったことはないが、『ベンチプレス』と同じく、やり方ぐらいならわかる。
そこで、早速、使ってみようと思ったが、その前に『ベンチプレス』と同じような設定画面がないかと思って念じてみると、案の定『速度設定』のウインドウが現れた。
初期設定は「10」。
そのまま『ルームランナー』を回してみると、俺が軽く走るのにちょうどいい速さでベルトが回った。
きっと、これも『ベンチプレス』と同じく俺の限界の速度まで上げてトレーニングするのがいんだろうな、と思ったが、ふと、どこまで速くできるのか気になり、設定を最高値にしてみると「9999」だった。
試しにそれで『ルームランナー』を起動してみると、起動した瞬間、ちゅいん、とトレーニング器具が立ててはいけない音を立ててベルトが回った。
見た目では回転してるのがわからないぐらい滑らかな表面で、止まっているようにすら見えたが、なんとなく嫌な予感がしてそこにあったボールペンを落とすと、破裂音とともに一瞬で粉になった。
……なんだこれ。
トレーニング器具のはずなのに、なんでこんな速さまで設定できるんだろう。
これじゃあ、どちらかというと処刑器具だよ。
と、また新たに明らかになったこの部屋の異常性に怯えつつも、なんとなくこの事態は予想できていたということもあり、俺は粛々と自分に最適な速度設定の模索に移った。
俺はまず、一旦『ルームランナー』を止め、速度設定を「1」から始めることにした。
設定「1」だと亀がのろのろと歩くような速度。
設定「5」でだいたい俺が普通に歩く速さだった。
俺がほぼ全力で走る速さが「20」で、「30」だと全力を出しても俺の走る速さでは追いつかず、ベルトに押し流されて後方に吹っ飛ばされた。
危うく硬い床に頭を打つところだったが、検証の結果、この速度設定の数値はだいたい『時速何キロ』という考え方であっていると思った。
そうなると、これの設定値の最高値の「9999」とか、恐ろしいとしか言えない。
音速の何倍だよ。
起動時に音の壁を突き破る衝撃波とかが出なかったことだけが救いだ。
これからはこの部屋の得体の知れない器具を相手に迂闊に最高値で設定なんてやらないことを心に誓った。
そうして設定、俺は『ルームランナー』を使い、自分のギリギリの限界値らしい「25」で全力で走り続けた。
息切れもせず、疲れもせず、汗すらもかかず常に最高速度で走るなんて経験はこれまでなかったので、最初は少し戸惑ったが、慣れてくるとだんだん快適になって、楽しいとすら思えるようになった。
これも『ベンチプレス』と同じく、何時間も延々とぶっ続けでやってみた。
すると速さにもだんだんと慣れてきて、楽に感じてくる瞬間があるのでその度に調節して「26」、「27」と速度設定を上げていく。
もちろん限界ギリギリで運動すると多少は苦しいが、ここではすぐに「治る」ので気にならない。
そうして常に限界の最高速度を維持しながら2日、3日と走り続け、時々、走るのに飽きたら『ベンチプレス』に戻る。
すると、なぜか『ベンチプレス』も前より重量が上がるようになっている。
気分的なものなのか、なんらかの相乗効果なのかわからないが、『ベンチプレス』のバーベルを上げ下げするペースも上がった。
それからはとにかく、『ルームランナー』と『ベンチプレス』の往復の繰り返し。
そうして一週間が経ち。
俺のステータスはこんな感じになった。
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御山深人【レベル】1
【筋力値】 23 (* 5.2652)
【体力値】 25 (* 3.9896)
【魔力値】 10
【精神値】 18
【敏捷値】 26 (* 4.2152)
【幸運値】 19
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ベンチプレスだと【筋力値】と【体力値】の謎数値が上がっていたのが、『ルームランナー』は【筋力値】と【体力値】と【敏捷値】の謎数値が全て上がる。
特に【敏捷値】の上昇率の割合が高いが、数値にもばらつきがあり、単純に【筋力値】の横の数字を上げるなら『ベンチプレス』の方が効率がいい。
未だに、右側の数値が何を示しているのかわからないが、なんとなく万遍なく上がるように、時々ステータスを確認しながら調節している。
もしかしたら一つだけ極端に数値を上げてみた方が、なんらかの変化が起きたりするのかも知れないが、なんとなく、身体を鍛える時にはバランス良くやらないと無理が出る、と聞いたこともあったので全体的にバランスを意識しながら数値を上げていった。
そんな常識的な話がこの謎空間に通じるとも思えないのだが。
限界を上げながらトレーニングを続けた結果、ベンチプレスの設定は「240」、ルームランナーの設定は「100」になった。
この異空間内限定でしかないが、今の俺は想定240キロのバーベルを上げ下げし続け、延々と何時間も時速100キロで走り続けていることになる。
まるで自分が急速に成長しているように思え、トレーニング自体、少し面白くなってきている。
でも、本来の目的は見失わない。
俺の目的は家に帰って、美羽に元気な姿を見せてやることだ。
そして、俺が作った栄養のバランスの取れた美味い食事を作って食べさせてやること。
それまで、俺が休むことはない。