3 トレーニングルーム
「……なんだ、ここは」
気づけば、俺は奇妙な場所に立っていた。
そこは一見すると何の変哲もないただの四角い部屋だった。
壁があって、天井があって、床がある。
そこだけみれば普通の部屋と言えなくもない。
でも、見れば見るほどそこは異様な場所に思えた。
まず出入り口が見当たらない。
四方の壁に窓はなく、照明もないのに部屋全体が妙に明るい。
床は不自然なまでにツルツルで平坦でタイルのような模様もない。
部屋の真ん中にはどこかで見たような機材がぽつん、と一つだけ置いてあり、他のものは見当たらない。
確か、あの器具の名前は。
「……ベンチプレス?」
確か、あれはベンチプレスというトレーニング器具だったと思う。
寝そべるタイプの座面の脇に支柱が立っていて、その上に黒い重りのついたバーベルらしきものが掛かっている。
使ったことはないが、大きめの体育館とかスポーツジムに置いてあるのをよく見る。
となると、ここは。
「ここが『トレーニングルーム』?」
そう考えると自分がどこいるのか腑に落ちた。
そこはなんの捻りもない、ほぼ言葉からイメージするそのまんまの部屋だった。
何もない部屋にぽつんとトレーニング器具が置いてあるだけ。
少し想像と違うのは、それらしき器具が一つしかないことか。
それで『トレーニングルーム』を名乗るのは物足りない気がするけれど。
そもそも、なんでベンチプレスなんだろう。
他にも幾らでもトレーニング関係のものはありそうなのに。
と、そこまで考えて俺は重大な異変に気がついた。
「……息が、できてる?」
先ほどまで自力で呼吸すらままならなかった俺が、ちゃんと二本の足で立ち、普通に声を出せている。
思わず、胸の辺りに手を当ててみると、ちゃんと心臓も元気に動いている。
「ってことは」
俺は急いで『精霊の声』を起動し、自分のステータスを確認してみる。
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御山深人 【レベル】1
【筋力値】 23
【体力値】 25
【魔力値】 10
【精神値】 18
【敏捷値】 26
【幸運値】 19
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「……おお!? 元に戻ってる!?」
そこには、ちゃんとした数値があった。
全て1になる前の俺のステータスが表示されている。
もしや、【ユニークスキル】の効果が消えたのか?
そう思って自分のスキルの詳細を確認すると。
———————
スキル:トレーニングルーム 固有☆☆☆☆☆☆
効果:
【筋力値】-100
【体力値】-100
【魔力値】-100
【精神値】-100
【敏捷値】-100
【幸運値】-100
トレーニングルームに入室可能になる。
———————
「……何も変わってないな」
どういうことだ?
俺はひとまず、なんの問題もなく動けている。
身体もちゃんとここにあるし、夢の中というわけでもないだろう。
でも、【スキル】はそのままだった。
つまり、この場所が特別……ってことだろうか?
さっきのメッセージからすると、ここがおそらく『トレーニングルーム』なのだろう。
俺が得たスキルの名前も『トレーニングルーム』だし、なんらかの関連性があってもおかしくはない。
でも、どういう関係なのだろう。
まさか、この部屋の中だけでメリットがあって、ここ以外だと常にあのマイナス補正かかるってこと?
そういう、ごく限られた場面でしか有効にならないスキルとか。
もしくはここに閉じ込められたまま、一生出られない……とか。
流石にそんな罠みたいなことないよな?
「……お? これは」
俺の疑問に応えるように、『精霊の声』のメッセージが現れる。
────────────────
『トレーニングルーム』を退室しますか?』
YES / NO
────────────────
よかった。
どうやら、出られないわけではないらしい。
「……じゃあ。試しに、一旦、出てみようかな?」
もしかしたら、さっきの状況は何かの間違いで。
今の状態のまま外に出られるのが正常なんじゃないか。
俺はそんな淡い期待を胸に「YES」と念じたのだが。
◇◇◇
「────かはッ────!?」
目を開けると、俺は先程と同じ病室のベッドの上にいた。
(息が……できない)
いきなり呼吸ができなくなり、一瞬、困惑する。
ダメだ。さっきと全然変わっていない。
身体が鉛のように重く、動かない。
いや、むしろさっきよりも苦しい気がするのはなんでだ。
そう思って目線だけで辺りを見回すと、人工呼吸器が外れているのに気がついた。
「お、お兄ちゃん!?」
妹はまだ病室にいたらしい。
医者の先生と看護師さんの気配はない。
妹は突然現れたらしい俺に驚き、ベッドに駆け寄ってくる。
焦った様子で声をかけてくるが、俺は何も答えられない。
それどころか指一本すら動かせない状態の上、酸欠のせいなのか視界が一気に白くなる。
まずい。
このまま気を失ったりしたら、俺はすぐにここで死ぬ。
「……ねえ、お兄ちゃん。何か、言ってよ……?」
────ごめん、美羽。
俺はまた、すぐにあっちに引き返すことにする。
なんの説明もなく出たり消えたりで申し訳ないが、これはいわゆる戦略的撤退というやつなんだ。
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『トレーニングルーム』に入室しますか?』
YES / NO
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(YES)
「……嘘……!? ま、また体が消えて……!?」
病室のベッドから俺の体が消えていく。
同時に体が一気に楽になるのを感じた。
◇◇◇
「ぷはぁっ!?」
次の瞬間、俺はまたあの謎空間に戻っていた。
思わず自分の体を手で触って確かめる。
「……息、できてるよな」
やはり、ここではしっかり息ができる。
ちゃんと手足も動くし、普通に立ったり歩いたりもできる。
「……つまり、『トレーニングルーム』への出入りは自由で、ここ以外では、全ステータスがマイナスになるってこと?」
未だに謎だらけだが、どうやらこの『トレーニングルーム』には自分の意思で自由に出入りできるようだった。
でもこの謎空間の外に出た途端、俺のステータスには全能力値マイナス100の絶望的な負の補正がかかるらしい。
「……そんなの、ありなのかよ」
俺はようやく、自分が得た【ユニーククラス】の『トレーナー』と【ユニークスキル】の『トレーニングルーム』に、メリットらしいメリットが見当たらないことに気がついた。
【スキル】にはごく稀にマイナス補正をもたらすものがある、とは聞いていたが、俺のはハズレもいいところだろう。
【ユニーククラス】に【ユニークスキル】と聞いた時には飛び上がりそうなほど喜んだが、こんなに酷いのもあるのかと思えるほど、デメリットだらけでメリットがほぼ見当たらないのだ。
唯一、機能と言えそうなのが『トレーニングルーム』に入れること。
それ以外、本当に何もないらしい。
そんなのありなのか。
もし本当にこれ以外何もないとしたら、この【ユニーククラス】の『トレーナー』、ハズレ【クラス】どころじゃない。
むしろ呪いの類とすら言えるかもしれない。
聞いたことないぞ、そんな厄介な【クラス】と【スキル】なんて。
「……いや。そんなわけないだろ、さすがに」
若干落ち込むが、とはいえ俺はこんなところで腐っていられない。
こうしている間にも刻一刻と時間は過ぎていく。
妹を一人にする時間が長くなってしまう。
とにかく、これからどうするか、だ。
何かやりようはあるはずだ。
「……ちょっと、整理してみよう」
混乱した頭を鎮める為にもまず、体を張った検証の結果を整理してみる。
ひとまず、俺はここから出られないわけではないし、閉じ込められたわけでもないらしい。
自分の意思で自由に出入りできる。
でも、外に出た瞬間にあの悪夢のようなマイナス補正がかかる。
だから俺は現実世界には迂闊に戻れない。
戻れるが、戻ったとしても、このままじゃ重度の『要介護者』ということになる。
それはダメだ。
まだ中学生の妹に、これ以上迷惑かけるようなことはしたくない。
よりによって俺の介護をさせるなんて、もってのほか。
でも少なくとも、ここなら能力低下も起きず、俺は普通に生きていられるらしい。
となると、やはり俺はここを足がかりにするしかない。
「この状況を美羽にどう伝えるか……だけど」
なによりもまず、俺は一応無事であることを妹に伝えなければならない。
あんな別れ方では、きっと心配していることだろう。
しかし、現実では呼吸すらままならず、まともな会話は期待できない。
となると……ここで手紙でも書いて渡せるとすごく助かるんだが。
と思って都合よくどこかに紙とペンか何かおちてたりしないかな、と探すと────あった。
床の上にぽつん、と入会申し込み用紙とボールペンが置いてあった。
「……さっきまでこんなの、あったっけ」
なかった気がする。
都合が良くて助かるが、不気味だった。
奇妙なことにその用紙には『入会申し込み』とだけ書いてあり、名前の記入欄のみ。
それにみたことも触ったこともない不思議な紙質だった。ボールペンも最近見ないような古いタイプのものだ。
色々とおかしいことが多すぎる。
今さら、この謎空間に普通を求めても仕方ないのだが。
とにかく筆記用具は手に入ったのでよしとしよう。
問題はこの紙が現実世界に持ち込めるかどうかだが。
「……とりあえず、やってみるしかない、か」
予想でいうと、無理かもしれないと思った。
でも、俺の身体はちゃんと出入りしているわけだし。
まずはやってみないとわからないだろう。
俺は妹に伝える文章を考えてボールペンで紙に書き記し、片手に握りしめるとまた『精霊の声』を呼び出した。
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『トレーニングルーム』を退出しますか?
YES / NO
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(YES)
◇◇◇
気がつくと、俺はまた病院のベッドの上にいた。
「────ッ────!?」
今度はベッドの上の体が自分の意思とは関係なく痙攣し、いきなり意識を失いそうになる。
(苦しい)
やはり、息が吸えない。
人工呼吸器はついていない。
とりあえず来てみたはいいが。
これ、このままだと手紙を渡す前に死ぬかもな。
焦りながら辺りを視線だけで見回すと、そこには妹ではなく看護師さんの姿があった。
「……ッ!? せ、先生! 先程の患者さんが……!?」
突然出現したらしい俺に驚いた看護師さんだったが、熟練のプロの経験値ゆえか、咄嗟に俺に人工呼吸器を取り付け、それから先生を呼びに行ってくれた。
助かった。
これでしばらく生き延びられる。
(やっぱり身体は全く動かせない、か)
一応確かめてみるが、やはり俺の身体は動きもしない。
残念だが、予想はしてたのでそれほどのショックはない。
問題は、あれがちゃんとこちらにあるかどうか、だが。
(……あった)
手の中に何かあるという感触。
俺は全力を振り絞り、首の角度をほんの少しだけ傾けた。
すると俺の手に、くしゃくしゃになった紙が握られているのが見えた。
よし、成功だ。
「お、お兄ちゃん……!?」
看護師さんに呼ばれてさっきの医者の先生と妹が慌てて病室に入ってきた。
妹の顔には泣き腫らしたあとがあった。
あれからまた更に泣いたらしい。
「ねえ、どうしたの、お兄ちゃん……!? 急に消えたり、戻ったり……いったい、どこに行ってたの? ねえ、お兄ちゃん……何も答えられないの……?」
案の定、妹からは質問攻めに合う。
当然だろう。
何もわからず、一番混乱しているのはこの子のはずだから。
「……ぃあ゛……ぅ」
なので、俺は頑張って妹の質問に答えようと試みたが、喉の奥からゾンビのような変な音が出ただけだった。
その声を聞いて、妹はさらに取り乱す。
……心配かけてごめん。
頼りない兄貴でごめん。
でも俺は多分、大丈夫だから。
ちょっとの間、別の場所で元気にやってくから。
だから心配しないでくれ、と。
心の中で声を掛けるが、やはりそれでは届かない。
そこで俺はあの謎空間から持ち出した手紙に気づいてもらうよう、視線だけで妹を誘導しようと試みるが、全然、気づいてもらえない。
それならせめて、俺はこの紙をベッドに落としてから消えなければならない。
そうすれば誰かには気づいてもらえるかもしれない。
このまま何も伝えずに妹の前から消えれば、俺の生命が尽きる前に妹のメンタルゲージが0になってしまう。
そんな状態の妹を一人で家に帰すなんて、俺は絶対に許容できない。
だから必死の思いで指を動かそうとした。
でも、自分のものとは思えないほど、指がものすごく硬く、全力で動かそうとしても1ミリも動かない。
それでも、何度も何度も繰り返しているとほんの少しずつ指が開いていく。
そうしてしばらく奮闘していると俺が握りしめていた紙が、カサリ、とベッドに落ちる音がした。
「……これは……なに? 手紙?」
美羽が俺が落とした紙を拾い上げ、すぐに手紙だと気づいてくれたようだった。
さすが俺の妹。
その紙切れにはこう書いてあるはずだった。
『俺は大丈夫だから。しばらく他のところに行っている。元気でやっているから、心配しないで。兄より』
それだけしか書けなかった。
他に言いたいことは山ほどある。
でも無責任なことは言えないと思う。
妹を安心させるようなことを書いてやりたいが、無闇に期待をもたせるようなことも言えない。
だから最低限、簡潔に伝えるべきことだけを伝える文章にした。
「こ、これ、その状態でどうやって書いたの? ねえ、お兄ちゃん……!?」
疑問にも答えてやりたいが、今は本当に答えられない。
意味を成すような声自体が出せないことが、さっき、わかってしまった。
代わりに精一杯表情筋を動かして笑顔を作り、混乱する妹をとにかく安心させようとするが……それも失敗。
今の俺の笑顔、相当引き攣っていると思う。
多分、いや絶対に死に際の顔をしてる。
それで安心しろと言うのは無理があるよな。
「ねえ、お兄ちゃん。本当に、何が起きてるの……?」
俺も正直、マジで何が何だかわからない。
それも含めて、ちゃんと説明してやりたかった。
でも、そろそろ限界だ。
また心臓が止まりかけている。
ごめん、美羽。
なんとか方法を見つけて、必ず帰ってくるから。
絶対にお前一人を残してどこかに行ったりしないから。
-------------------
『トレーニングルーム』に入室しますか?
-------------------
(YES)
再び俺の身体が病室から消える。
妹は悲しそうな顔で俺を見つめている。
「……また、どこかに行っちゃうの……? お兄ちゃん」
でも、手紙を渡せたせいだろうか。
前よりも少し落ち着いているように思える。
ほんの少しの再会。
そして、しばしの別れ。
手紙も渡せたことだし、次に戻ってくるのはもう少し先になると思う。
────でも、絶対にそんなに先にはしない。
俺はなんとしても現実世界に戻る決意を固め、今度は自分の意志で『トレーニングルーム』に乗り込んだ。