2 病室にて
「先生。お兄ちゃんは……兄は、これからどうなるんですか」
次に目が覚めた時、俺は病院のベッドの上に寝かされていた。
ベッドの脇から聞き覚えのある声がする。
妹の美羽だ。
(なんだ……これ?)
俺の口には人工呼吸器らしきものがあてがわれているらしく、身体には何かの計器がたくさんつけられている。
起きあがろうと力を入れても、動く気配すらない。
「……先生。なんとか言ってくれませんか。ちゃんと、治るんですよね……?」
ベッドの脇で妹の美羽の小さく震える声がする。
(今日は学校に行っているはずなのに。何でここに?)
どうやら妹は泣いているらしかった。
頭を動かして妹の顔を見ようとするが、それすら叶わない。
本当にどうなったんだろう、俺の身体。
状況を見ると、自力で呼吸もできていないらしい。
「……大変、申し上げにくいことですが。お兄さんはもう余命幾許もありません。私たち医者も手を尽くしますが────もって、あと一日だと思います」
「そんな」
そこで交わされていたのは現実味がない会話だった。
……良くて余命一日?
それって俺のことだよな。
さっきまであれだけ元気だったのに?
どういうことだろう。
思わず起き上がって医者に問い詰めたくなるが、俺の体はまったく動かない。
思い切り力を込めても、指先だけがほんの少しピクリと動いただけだった。
それでも妹は俺が動いたことに気がついてくれたらしい。
「……お、お兄ちゃん? 今、動いた、よね……?」
「……まさか。」
「ねえ、起きたの!? お兄ちゃん、何があったの!? 返事して」
「動かさないでください。今、お兄さんは非常に危険な状態です」
「でも……でも……!!」
「……残念ながら、今の発展途上の医学では限界があるのです」
妹の美羽が看護師さんに押さえられて喚く声が聞こえる。
明るい性格の妹が普段、こんなに取り乱すことはない。
二年前に両親が死んで以来、俺の前で泣いたことは一度もなかったと思う。
でも、あの時はこんな感じでずっと泣いていた。
そんなことを思い出して、やっぱりこの出来事は現実に起こったことなんだろうと理解した。
でも、どうして?
「今朝まで元気だったのに……こんなの、おかしいよ……!」
「お兄さんは今、『ステータス』が全て『1』になっています。今、命があるだけでも奇跡のようなものなのです」
(ステータスが、『1』……?)
全てのステータスが1、と医者は言う。
意味がわからなかった。
個人の能力をそのまま示すと言われる『ステータス』は、『精霊の声』によって【筋力値】、【体力値】、【魔力値】、【精神値】、【敏捷値】、【幸運値】の六つの数値で表される。
中でも【筋力値】と【体力値】はほぼ当人の健康状態を示すパラメータと言われ、新生児で2か3、小学校に上がるぐらいの子供では7、8あり、成人になるとだいたい平均18前後。
ステータスは『幻想領域』で経験を積んで『レベルアップ』すれば、飛躍的に上がって超人じみた活躍ができるようになるが、まだ『レベル1』のままでも地道に身体を鍛えていれば少しずつ数値が伸びていく。
なので、探索者になることを考えていた俺は地道に筋トレで鍛え、【筋力値】と【体力値】は両方20を超えていたはず。
それが、いきなり1になるなんてありえない。
(そうだ。ステータスカードを見れば……って、体が動かないから無理か)
慌てて自分のステータスカードを見ようとしたが、体が動かないことに改めて気がつく。焦るが『精霊の声』のウインドウでも同じ数値を確認できたことを思い出して、急いで画面を確認すると。
(……どういうことだよ、これ)
────────
御山深人 【レベル】1
【筋力値】 1
【体力値】 1
【魔力値】 1
【精神値】 1
【敏捷値】 1
【幸運値】 1
────────
そこにはこうあった。
本当に全てが1になっている。
(……あり得ないだろ)
でも、心当たりは一つある。
「……おそらく、この現象はお兄さんが取得した【ユニーククラス】か【ユニークスキル】の影響によるものでしょう。前例がなく確たることは言えませんが、今はそう考えるしかありません」
そう。
俺が取得したばかりの【ユニークスキル】。
それ以外、考えられない。
俺はすぐに『精霊の声』でスキルの詳細を呼び出して、再び愕然とした。
———————
スキル:トレーニングルーム 固有☆☆☆☆☆☆
効果:
【筋力値】-100
【体力値】-100
【魔力値】-100
【精神値】-100
【敏捷値】-100
【幸運値】-100
トレーニングルームに入室可能になる。
———————
おかしいだろ、こんな効果。
全ステータスがマイナス100なんて、こんなの普通に死ぬだろう。
どんな貧弱な人間だって、生まれたての赤ん坊だって自分自身の命を支えるのに必要な最低限の筋力ぐらいを持っている。
────寝ている時に自分の体重を支える筋力。
────呼吸に必要な横隔膜を動かす筋力。
でも、俺はそんな基礎的な力すら新生児未満に落ち込んでしまっていることになる。
こんな状態、まともに生きていけないに決まってる。
自分が満足に呼吸すらできていない理由がやっとわかった。
理由は単純、致命的な『ステータス不足』だった。
(……嘘だろ、こんなの……!)
昨日まであんなに元気だったのに。
つい、さっきまで健康体でなんの問題もなく動けていたのに。
おかしいだろう。
それでも、理解せざるをえなかった。
俺の体はもうそういう状態なのだと。
考えるための酸素すら十分に脳に回ってきていないのがわかる。
少し気を抜くだけで、意識が途切れそうになる。
どうやら心臓を動かす【筋力値】すら足りてないらしい。
医者の先生の言う通り、俺の身体はもう死に瀕している。
それも余命1日と言わず、今すぐに活動をやめたっておかしくない。
当事者である俺には、それが誰よりもよく理解できた。
「……先生、なんとかならないんですか? ……本当に?」
「残念ながら、この状況では投薬も手術も不可能です。もう私たちにできることは何も」
「……お兄ちゃん。なんで、こんなことになっちゃったの……? 私たち、一緒に生きていこうって言ったじゃん。親がいなくても二人で力を合わせたら、なんとかなるって言ってたじゃん……?」
美羽は震える声で絞り出すように言った。
俺の頬に温かい涙が落ちる。
声をかけてやりたかったが何もいえない。
何かを一言返す筋力すら今はない。
……どうして。
どうして、こんなことになったんだ。
俺は最愛の家族が泣いているのを、ただうっすらと開けた瞼で見守るしかない。
脈拍が急激に弱まり、俺の体から更に力が抜けていくのを感じる。
ついに終わりの時が近づいてきたらしい。
でも、一緒に生きようと約束した妹を一人残してあの世に行くなんて、死んでもゴメンだった。
(────いやだ。まだ、死にたくない)
俺にはまだやり残したことが山ほどあるんだよ。
まだまだ生きなきゃならない。
まだ死ねないんだ。絶対に諦めきれない。
────なあ、誰か。
俺の声が聞こえてるのなら、どうか返事をしてくれ。
どうか、俺から人生を取り上げないでくれ。
妹から最後の家族を奪わないでくれ。
俺たちの幸せな生活をこんな理不尽な形で終わらせないでくれ。
心の中で誰にともなく叫んでみても当然、どこからも返事はない。
病室には啜り泣く妹の声だけが響く。
(……いやだ。まだ、死にたくない……!)
……こんな所でわけもわからず、あっけなく死んでたまるか。
ステータスなんて知ったことかよ。
全部1だろうが何だろうが、一分一秒でも足掻いて長く生きてやる、と。
そんな決心をしたのも束の間。
(────あ────?)
身体から更に力が抜けていく。
1でしかなかったものが0になっていくのを感じ、機械を通して聞こえていた自分の心音が止まる。
「先生、患者さんのバイタルサインが」
「────お、お兄ちゃん……!?」
もう、本格的に何もできないらしい。
医者が妹に最後のお別れを言うように告げた。
(……ん?)
でも、その瞬間。
消えゆく視界の中に何かが浮かび出ているのに気がついた。
────────────────
『トレーニングルーム』に入室しますか?
YES / NO
────────────────
それは『精霊の声』からのメッセージだった。
そのメッセージは俺に問いかけてきていた。
YESかNOか。
シンプルな二択の選択肢。
それに対する俺の答えは見た瞬間に決まっていた。
迷っている時間もない。
迷う理由もない。
(────いいよ。それがあの世じゃなきゃ、どこにだって行ってやる)
どこかは知らないけど、行く。
それで俺が生き残れる可能性が少しでもあるのなら。
いや。
仮に行く先があの世であろうとも、俺は絶対にそこから這い出てここに戻ってくるつもりだ。
美羽を一人にはしておけないから。
可愛い妹を、こんな世界でひとりぼっちになんかさせるかよ。
(『YES』)
すると、急に体がどこかへと吸い込まれるような感覚。
どうやら、俺はこの怪しげなスキルにどこかへ連れていかれるらしい。
全身の感覚が薄れていき、あたりの風景が溶けるように消えていく。
「……お兄…………ちゃん……?」
消えゆく景色の中、視覚でない何かで涙でぐしゃぐしゃになった妹の顔を感じ、俺はその顔に小さく謝った。
────俺のせいでそんな顔にしちゃって、ごめんな。
でも、俺は大丈夫だから。
俺はこの先、お前を絶対に一人になんかしない。
必ず、戻ってくるよ。
喋れないので試しにそんな風に心で強く念じてみたが……ちゃんと妹に伝わったかどうか。
いや。多分、伝わってないだろう。
妹は突然消え始めた俺の身体を必死に手で触ろうとして、手がすり抜けるのに驚いている。
俺のいなくなったベッドから、悲痛な叫びが病室に響く。
「……お兄ちゃん、どこに行くの……!? 私を一人にしないって言ってたじゃんっ……!!」
……おうよ。
そういえば、昨日も言ってたな。
両親の葬式の日にも。
でもお兄ちゃん、こう見えて約束は守る男だから。
だから必ず戻ってくる。
必ず、またここに戻ってくるから。
(────だから……少しの間いなくなるけど、勘弁な)
誰もいなくなったベッドに顔をうずめて泣く妹が見える。
俺は一分一秒でも早く彼女を安心させてやるため、ここに意地でも戻ってくることを誓って謎の空間へと旅立った。