24 幻想器物『邪竜ミアハ』 2
「────かっ」
俺がお願いした通り腕いっぱいに服を抱えて持ってきてくれた美羽は、俺の部屋のドアを開けた途端、息を呑んで「かっ」と声を発したきり動かなくなった。
そのまま美羽は大量の服を抱えたまま呼吸を停止し、仏像のようなポーズで固まっていたが、しばらくすると胸の奥からゆっくりと溜め込んだ息を吐き出した。
「か、かわ……いい」
そして無言で服を俺に押し付けると、そのままベッドの上のミアハに吸い込まれていった。
「……えっ? ……この子、なに? 人形、じゃないよね? お兄ちゃん、そんな趣味はないし……えっ……? な、なに? このサラッサラな髪。それに、宝石みたいな瞳。すごく、綺麗……」
興奮気味の美羽は、人形のように固まっているミアハに一方的にぺたぺたと触っている。
「嘘。ほんとに息してる? うわ、ちょっと待って。な、なにこの完璧な造形の唇……えっ、えええええっ!? ちょっと待って?? な、なんで、こんな可愛い子がお兄ちゃんの部屋にいるの……??」
「────ミト。これ、なに?」
妹にされるがままになっているミアハは、助けを求めるような目で俺を見ている。
「それは美羽。俺の妹」
「ミウ? いもうと?」
「しゃっ、しゃべった!? しかも声まで超可愛い……! な、なにこれ。すごい。こんな子がこの世に存在を許されるものなの……? あ、そっか。夢だね? この子は私の夢が生み出した幸せな幻想。なるほど。なんだ夢か」
美羽は超速で現実逃避を始めながらも、引き続きミアハに触れまくっている。
ミアハは嫌がる様子もないが何か言いたげに俺の顔をじっと見つめてくるので、そろそろ止めに入らねばならない。
「落ち着け、美羽。これは夢じゃない。それとちょっと一旦、離れようか? 近すぎる」
俺が強引にミアハから美羽を引き剥がすと、美羽は少し正気を取り戻したようだった。
「えっ、本当に夢じゃないの? じゃ、じゃあ、どうしてこんな奇跡みたいに可愛い子がお兄ちゃんの部屋に……?」
情報不足の妹が混乱しても仕方ないが、でも、俺だって色々ありすぎて混乱しているところなので、手短に事実だけを説明する。
「色々とありすぎて省くけど……実はこの子、『幻想領域』で獲得した『幻想器物』なんだ」
「えっ? お兄ちゃん、また『幻想領域』行ってきたの……? って、それよりも!? あ、『幻想器物』!? この子が!?」
「そう。だから、たぶんこの子、人間じゃない」
多分というか、ほぼ確実に。
アイテム欄には『邪竜ミアハ』って書いてあるし。
「人間じゃない……? あっ、なるほど……そういうこと? なら納得かも」
「……あれ、思ったほど驚いてないな?」
「驚いてるよ。でも、この子が『幻想器物』ってことにはむしろ納得だよ。じゃなきゃ、こんな神が与え賜うた完璧な造形の子、この世に存在するはずないじゃん……もう、ほんと『神の宝』だよ……夢みたいに綺麗……はぁ、尊っ……」
美羽は再びうっとりとした表情になりミアハを眺めた。
そういえば美羽には『可愛いもの』となると見境なく集める収集癖がある。俺の基準ではよくわからないものの、美羽の部屋は『可愛いもの』で所狭しと埋め尽くされており、ミアハはその基準にどストライクだった、ということらしい。
混沌とした状況を思ったよりすんなり受け入れてもらえてほっとしたが、しかし、かえってミアハの方が困惑している様子だった。
「……ミウ? ミアハ、さわる、なんで?」
「……あっ、ご、ごめんっ! 急に触られていやだったよね!? あ、あまりにも可愛かったんで、つい……出来心で?」
犯罪者みたいな言い訳をしだした美羽だったが、ミアハは首を横に振った。
「いやじゃ、ない」
「……えっ? いいの?」
「さわられても、ミアハ、もんだい、ない」
「……そっか、ミアハちゃん、っていうんだね。じゃあ、も、もうちょっとだけ……? いいかな?」
「きに、しない」
「……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」
俺にはなんとなく、あの程度の接触なら物理的ダメージもないし、気にしない、という意味で言っているように聞こえたのだが。
美羽はゆらり、と立ち上がり、ベッドに座るミアハの横に並んで座ると、ミアハの頬を指でつついた。
「……あっ、ほっぺ柔らかっ……尊っ……ど、どういう生い立ちしたらこんなに綺麗なお肌になるの……? これ、生まれつきなんだよね? ……あ、尊さのゲージ振り切るぅ……!」
妹がだんだん危ない感じになっていくのはわかっていたので、今度は早めに止めに入る俺。
「……なあ。そろそろ、いいんじゃないか……?」
「……うん。もう、大丈夫。十分堪能させてもらったから……本当にありがとう、ミアハちゃん。生まれてきてくれて」
「……?」
気分はボクサーの試合でTKOを言い渡す審判だったが、美羽は多少危ないセリフを吐きつつもすんなりミアハから離れると、少し冷静になった。
「この子が『幻想器物』ってことは、もう、この神々しさで疑わないよ……でも、そうなると、この子はお兄ちゃんの所有する『アイテム』ってことになるのかな? じゃあ、この子、これからずっとウチにいられるってこと?」
「一応、そうなると思う」
「……やった」
そして小さくガッツポーズを決める美羽。
「……随分、嬉しそうだな?」
「そりゃあ、そうでしょ? 嬉しくないわけないじゃん。こんな世界一可愛い子が今から我が家の一員なんて、夢にも思わない僥倖だよ! お兄ちゃんがまた『幻想領域』に行ったってことは色々と問い詰めたいところだけど……この成果には脱帽だよ! こうなったら、全てを認めるしかないよね!」
美羽は俺が『幻想領域』に行くことを不安がっていたらしいが、ミアハの存在は一瞬でその心配を振り切ったらしい。
俺もそっちの方がありがたいが。
「あっ。となると、ミアハちゃんは今日から早速、私が抱っこして一緒に寝ることになるんだね? く……幸せ」
「……なんでそうなる?」
「だって、うちにベッドは二つしかないんだし。お兄ちゃんがミアハちゃんと一緒に寝てたらそれこそ絵面的に犯罪だよ? だから、消去法で」
「それはそうだけど」
「でしょ? じゃあ、今日は私と一緒に寝よ? ね? ミアハちゃん」
一緒に寝る気マンマンの美羽だったが、ミアハは困惑した表情で俺を見ている。
「まずは、本人がどうしたいかだな……美羽はああ言ってるけど、ミアハはどうしたい? このまま俺たちと一緒に家にいることもできるし、またインベントリの中に戻るって手もあると思うけど」
「……え〜……? インベントリぃ……?」
美羽は口を尖らせてあからさまに不満を顔に出したが、ミアハの表情はもっと深刻そうだった。
きゅっと口を結び、ここまで見たことがないぐらいに辛そうにしている。
「…………あそこ、いや。くらくて、つめたくて……ままのにおい、しない」
「……そっか。悪かった。嫌ならこのままでいいよ」
「ミアハ、ここ、いていい?」
「もちろん」
「……よかった」
ミアハはここにいてもいいと言われて安心したのか、少し笑みを見せた。
それにしても、あそこまでインベントリを嫌がるとは思わなかった。
その感覚はよくわからないが、物置に押し込まれるような感じなのだろうか。それなら無理に入れとは言えない。
どうやら、これからはこの子と一緒にいる時間が増えそうだった。
となると色々と常識も教えてあげなきゃならなくなる。
「……なあ、ミアハ。その代わりと言っちゃなんだけど、ここにいる間は美羽の言うことも聞けるか? こいつもきっと、悪いようにはしないと思うから……たぶん」
「わかった。ミト、そういうなら」
「じゃあ、よろしくね、ミアハちゃん! 私はいつまでいてくれても大歓迎だから」
「よろ……しく?」
ミアハは小さな手を美羽にブンブン、と引っ張られるような形で握手した。
「では、善は急げ、ということで。ミアハちゃん、とりあえずお風呂に行こうか」
「なんでそうなる」
「さっきミアハちゃんを吸った時、ちょっと焦げ臭い匂いしたから。このままじゃかわいそうだし、洗ってあげなきゃ。着替えなきゃいけないし」
かわいそう、と言いつつ、目がハートマークになっている気がするのだが。
何か別のいかがわしい目的でもあるんじゃないかと疑いたくなるが、でも確かに、さっきミアハが俺に近づいた時、焦げ臭い匂いはした。
そういえば、ミアハも、さっきまで俺を炎で焼き焦がそうとしていたんだよなぁ。
……これ、大丈夫かな。
色んな意味で。
「おふろ? なに、それ?」
「お風呂知らないの、ミアハちゃん?」
「……行けばわかると思うけど、そこに行けばその服、脱いでもいいよ」
「ほんと? じゃあ、いく」
ミアハは俺が脱いでいい、と言った瞬間、ぱっと表情が明るくなった。
……どんだけ嫌だったんだ、その服着るの。
どのみち、別の服を着ることになるんだが。
それは今は言わないでおこうと思う。
「へえ? お風呂入ったことないんだね。そんなに可愛いのに」
「かわいい……? なに、それ?」
「……ふむ? 可愛いとは、何か? ……それは、つまるところ、ミアハちゃんのためにある言葉だね」
「……ミアハ、かわいい……?」
「そう、その通り! ミアハちゃんは、世界で一番可愛いと言っても過言ではないんだけど……でも、本当は『可愛い』だけじゃ不十分なんだよね。でも、それを口にしようとしたところでまだ地球上の言語力が追いつかないからさ……今はただ、『可愛い』って言わせて」
「……???」
哲学的な表情になり、俺の表情を伺うミアハ。
……すまんが、俺にも妹の言っている意味はわからない。
「じゃ、さくっと入ってくるね! いこ、ミアハちゃん!」
「ミトも、いこ?」
「いや、流石に俺は一緒に行けないよ」
「なんで?」
「……どうしても」
どうやら、この子には色々と教えることがあるらしい。
ミアハは名残惜しそうに美羽に手を引かれ、お風呂に向かった。
俺は俺でキッチンに向かい、夕飯の準備を始める。
しばらくすると、お風呂から二人が話す声が聞こえた。
『ミウ。そこ、くすぐったい』
『……ふふ、だめだよ? ちゃんと隅々まで洗わなきゃ、ね?』
『これ、なに? いいにおい、する』
『それはシャンプー。これもはじめてかな?』
『ミアハ、このにおい、すき』
『でしょ〜? それは私のお気に入り。さすがミアハちゃん! 違いがわかるぅ!』
どうやら、二人は仲良くやってくれているらしい。
俺は少し安堵しながら、普段より多めの食事を用意する。
ミアハが普通の人間と同じものを食べられるかどうかはわからないが、まあ、試しに食べてもらうのはありだろう。
そうして、俺がいつもより多めの夕飯を作り終えると。
「……ん?」
玄関で呼び鈴が押された音がした。
「誰だろ、こんな時間に」
時計を見ると七時を回っている。
来客には少し遅い時間だった。
運送屋さんかな、何か荷物が届く予定なんかあったっけ、などとと思いながら玄関に行くと、聞き覚えのある声がした。
『夜分にごめんなさい、御山さん。神皎です』
機械のスピーカーを通して響いたのは、鈴の音のようなよく通る声。
この声、どこかで聞いたような。
それに、神皎?
『前に貴方が話してくれた、お兄さんのことでお話を伺いたいんです』
「……神皎さん? 待ってて、今開けるから」
『……御山くん? やっぱり、ここが貴方の家なの?』
玄関のドアを開けると、先ほど会ったばかりの制服少女がそこにいた。
「神皎さん。さっきはありがとう。本当に助かった。マジで命の恩人だよ」
「それはこっちの台詞だと思う。こちらこそ、ありがとう。急に消えるから驚いたけど」
「あれは俺も想定外で……あっ、妹に用事だっけ? 悪いけど、今風呂に入ってて。出てくるまで少しかかると思うから、中で待ってる?」
「いえ、私が用事があるのは御山くん、貴方の方」
「俺に?」
静かに玄関先に佇む彼女は、真剣な表情で俺を見つめた。
「……こんな時間だけど。もしよかったら、少し話に付き合ってもらえないかしら」
「もちろん、それぐらい構わないけど……?」
丁度、夕飯時だし、夕飯も余分めに作ったところだった。
俺はどうせなら、一緒に食べながら話を聞いてもいいんじゃないか、と思ったりしたのだが。
「できれば、妹さんには聞かれない方がいい話だと思う。どこか、いい場所はある?」
「なるほど……なら、今は風呂入ってるし丁度いいか。ま、とりあえず入ってよ」
「お邪魔します」
しかし、どこかいい場所ある?、と聞かれても俺の部屋ぐらいしか選択肢はないんだよなぁ……と思いつつ、俺は神皎さんを家に招き入れることにした。




