21 邪竜ミアハ 1
「なんだよ、これ……? 流石におかしくないか……?」
俺は辺りを警戒しながら、『幻想領域』を進むごとに不気味さを感じていた。
幸い、今のところモンスターには襲われていない。
でも、よく見ると壁の中にモンスターらしき生物がたくさん埋まっているのが見える。
それも、何故か生きたままの状態で。
「……いくらなんでも、異様すぎるだろ」
壁からにょきにょきと腕や足が出て、しきりにもがくように動いている光景は不気味で仕方ないが、襲って来ないのはありがたいといえば、ありがたい。
でも、なんでこんなことに。
前に訪れた時とは『幻想領域』が明らかに様変わりしている。
他に脱出する手立てもないので俺はひたすら『転移石』を目指して進んでいたが、この様子だと本当にあるかどうかも疑わしくなってきた。
もしかしたら、すぐに引き返して入り口付近で大人しく待っている方が良いんじゃないか……と考えたりしていると。
《《《 まま 》》》
また、あの声が耳の中に響く。
前より声の主との距離が近くなっているのか、頭に響く音が大きい。
《《《 ……そこ、いる? におい、ちかくなった 》》》
その声を聞いて、まずい、と思った。
どうやらあの声の主は俺の存在を感じとり、『幻想領域』の奥に進んでいることにしっかり気付いているらしい。
正体不明の声の主とはなるべく距離をとった方がいいようにも感じたが、ついさっき、奇妙な力で引き寄せられたばかりだし、逃げても無駄だろうという気もする。
それに、あの幼い声の感じからするといきなり危害を加えられたりするような雰囲気ではないし、むしろ、案外、話が通じる相手なんじゃないか?
相手は幼女の声だし、会ってみたらそんなに怖くない相手かもしれない。
そんな淡い期待を胸に奥に進むと。
また、あの声。
《《《 まま、いた。うれしい。きて、くれた 》》》
頭に少女の嬉しそうな声が反響する。
……やばい。
どうやら、もう見つかったらしい。
俺は緊張しながら、既にそこにいるらしい声の主を探すが、どこにも見当たらない。
疑問に思うと同時に、耳と引き裂くような轟音。
地面がぐらぐらと揺れ、広い洞窟の岩壁が崩れ落ちた。
「……なんだ……?」
岩の壁の向こうから、しきりに何か巨大なものが打ちつけられるような音。
その音はだんだんと俺に近づいてきて、次第に揺れも大きくなる。
……何か得体の知れないものが迫って来ている。
驚いて立ちすくむ俺の前に、壁を激しく砕きながら姿を現したのは────
《《《 まま 》》》
「……え……?」
破壊された壁の中から出てきたのは、見上げるほどに巨きな黒い竜だった。
大きな音楽ホールほどもある空洞の全てを覆うほどの巨体が、まるで黒い鉱物のように輝く艶のある鱗で覆われ、そこには神々しい装飾のなされた剣や槍、銛のような武器や、見たこともない宝石のようようなものが散りばめられた無数の矢が突き刺さり、傷口からは竜の赤黒い血がどくどくと流れ出ていた。
《……まま? どこ、いる?》
俺はその異様な光景に息を呑んだ。
あれがなんなのかはわからない。
でも、あれこそが俺が聞いていた声の主なのだ、ということは直感した。
少女の『声』はあそこから響いてくる。
(……嘘だろ)
想像していたのと、だいぶ違う。
声の主は俺が想像もしなかったほどに巨きな竜だった。
全高50メートルはあろうかという、巨大な黒竜。
あんなの、どう考えても『Fランク』のダンジョンにいていい奴じゃない。
《 ……まま、いない? でも、におい、する……どうして? 》
俺は黒竜の巨大な瞳にじっと睨まれ、動けなくなった。
自分の大きさの数十倍の存在感に圧倒され、呼吸すら普段通りにできない。
《 わかった。それの、なか? 》
「…………なか?」
《 やっぱり。まま、それのなかにいる 》
……なか? なかとは。
きっと、中、のことだろう。
そして、『それ』とは。
たぶん、俺のこと。
《 ミアハが、だして、あげる 》
困惑する俺の頭の真上から、巨大な竜の爪が真っ直ぐに振り下ろされる。
「『疾風迅雷』」
巨大な竜の爪によって硬い岩の地面が砂糖細工のように砕かれる直前、俺はかろうじてスキル『疾風迅雷』を発動し、当たれば間違いなく即死するであろう攻撃を回避した。
そしてスローモーション映像を見ているかのようにゆっくりと地面に亀裂が刻まれていくのを目にしながら、必死に倒れないように気をつけつつ、全力で壁際まで走り抜ける。
でも、スキルの【敏捷値】上昇のおかげで相当な速さで走っているはずなのに、竜は俺のことをしっかりと目で追い。
そして────
(────嘘だろ)
黒い竜の二撃目。
今度は真横から、鋭い尾の攻撃が飛んできた。
まるで新幹線のような太さの竜の尾が、岩の壁を脆いガラスのように叩き割りながら、地面に倒れるようにして伏せた俺の頭上スレスレを通り抜けていく。
少し遅れて、身体全体に衝撃。
尾の巻き起こした嵐のような突風で、俺の身体は地面から引き剥がされ、反対の壁際まで吹き飛ばされ、叩きつけられる。
そこを狙い、また黒い竜の巨大な爪が振り下ろされる。
(────やばい、死ぬ)
俺は咄嗟に背後の壁を蹴って爪の攻撃を回避するが、何もかも展開が早すぎて思考が追いつかない。
……でも、間違いない。
こいつは今、俺を問答無用で引き裂こうとしている。
そして『中身』とやらを出そうとしてる。
この竜にとって、俺は『いらない容れ物』なのだろう。あいつは俺の中身だけに、用がある。
あの姿を目撃するまでは、もしかしたらあの声の主と対話ができるんじゃないか、なんて甘い考えがあったのだが。
巨大な竜の眼玉がしっかりと俺の顔を捉え、目が合った瞬間に悟った。
《《《 まま 》》》
……ああ。やばい。
これ、絶対に対話なんて無理なやつ。
確実にこっちの話なんて通じない。
このままだと、無惨に身体を引き裂かれて終わるだけ。
もう、様子見で出し惜しみしてる場合なんかじゃない。
俺はその後も繰り出される竜の攻撃を必死に避けながら、『精霊の声』のメニューを開き、あらかじめ取ろうと思っていた『御三家』のうちの一つの【スキル】を取得する。
──────
【スキル】『剛体術』を取得しますか?
──────
(YES)
──────
SP50を消費して【スキル】『剛体術』を取得しました。
──────
スキル取得で一瞬、俺の脚が止まったところで、竜が激しく尾を振るのが見える。
同時に『疾風迅雷』の十秒が終わる。
「『剛体術』」
スキル取得から、ノータイムで『剛体術』を発動。
発動と同時に普通なら即死級の大質量の竜尾が俺に叩きつけられ、全身を貫くような衝撃。
視界が何も見えなくなるほど激しく揺れ動き、俺は派手に吹き飛ばされて幾つかの岩を破壊したあと、壁の中にめり込んだ。
────でも。
(……死んで、ない)
痛みはある。
でも、我慢できないほどじゃない。
痛いだけで、あの巨大な竜の攻撃にも『剛体術』を使えばほぼノーダメージで耐えられた。
ほんの一瞬の安堵。
でも、スキル『剛体術』の持続時間は『疾風迅雷』と同じ、たった十秒。
既に三秒ほど使っている。
回避に使う『疾風迅雷』のクールタイム終了まで、あと十二秒。
つまり、このままだと回避も防御も不可能な五秒の無防備な待機時間ラグができる。
そこで俺は次に備え、同じく【筋力値】に「10秒間、100加算」される『御三家』スキルを死に物狂いで取得する。
──────
【スキル】『剛力』を取得しますか?
──────
(YES)
──────
SP50を消費して【スキル】『剛力』を取得しました。
──────
俺は黒い竜が振るう巨大な尾に何度も殴られ、時には岩を引き裂く爪で叩き潰され、足で蹴られ、洞窟の中をピンボールのように跳ね飛ばされながらスキルを取得し、ひたすら機会を窺った。
巨大生物にいいように嬲られる状況なんて恐怖感しかないので、思わずすぐにスキルを発動したくなるが……そこは耐える。
そうして、タイミングを見計らい、『剛体術』の発動残り時間があと2秒となったところで、俺の身体を噛み砕こうと迫ってくる巨大な竜の顔をしっかりと見据え────
「『剛力』」
思い切り、竜の顎をぶん殴ってやった。
『────グァ────?』
俺が全力で拳を叩き込んだ竜の身体は轟音と共に洞窟の壁まで吹っ飛び、地響きを立てて岩の壁に突き刺さった。洞窟の壁にめり込んだ竜は地鳴りのような唸り声をあげ、崩れ落ちる洞窟の破片に頭を打たれながら、じっと俺の様子を窺っている。
《《《 ……まま? ぶった……? 》》》
……違う。
俺はお前の「まま」じゃない。
思いがけない竜のリアクションで、得体のしれない罪悪感が湧く。
一方、相手にはノーダメージ。
かなりの手応えはあったのに、まるでダメージを与えた気配がない。
『剛力』でかなりステータスは上がっているはずだが、それでも素手ではあの硬い鱗を貫くには程遠いらしい。
なので現状、俺の頼みの綱は固定1ダメージの『無頼の短剣』ということになるのだが。
……あんな巨大な相手、何万回当てても倒せる気がしない。
そんなことを考えている間に、『剛体術』の効果時間が切れる。
────回避行動ができる『疾風迅雷』のスキルクールタイムゼロまで、あと五秒。
(……頼むから、あと五秒ぐらいは寝ててくれ)
俺は他にできることもなく、とりあえず天に祈ってみたが、願いも虚しく、竜は何事もなかったかのように起き上がった。
そうして地面を踏み砕きながら前進し、巨大な眼球でギロリ、と俺を睨みつける。
準備万端。
いつでも攻撃に移れます、といったような体勢だった。
一方の俺は、頼みの綱の防御スキルと回避スキルが、両方とも使用不能。
絵に描いたような絶体絶命。
(……いや、まだだ)
でも、まだ『剛力』の発動時間が残っている。
攻撃されても、上手く反撃して攻撃を当てさえすれば時間は稼げるはず。
それぐらいの抵抗はできるはず、だったのに。
『グァ』
黒い竜は突然、口を大きく開け、喉の奥には目を灼くような強烈な光を宿らせた。
直後、俺が膨れ上がる光に痛みに似た眩しさを覚えた瞬間、竜は強烈な炎を吐き出した。
────暗い洞窟を照らす灼熱の火炎ブレス。
硬い岩の壁を一瞬で溶かすような高熱の炎があっという間に洞窟全体に広がり、俺の視界全てを覆った。
……ああ、終わった。
これは、もう無理だ。
どう足掻いても逃れられない。
あんな高温の炎なんて『剛力』での反撃は不可能だし、逃げ場なく『疾風迅雷』での回避も不可能。
『剛体術』を使えばもしかしたら十秒間は耐えられるかもしれないが、再発動まであと十五秒かかる。
俺が骨まで燃え尽きる方が先だろう。
「────動かないで」
死を覚悟した瞬間、俺の体の横を何かが通り抜ける風を感じた。
刹那、視界を覆い尽くした灼熱の炎が二つに割れた。
「……え?」
気づけば、俺の目の前に人が立っていた。
よく見ると、見覚えのある制服を着た女の子が、俺を庇うようにして背丈に似合わない巨大な剣を構えている。
その炎を纏った大剣の燃えるような色をした刀身に、竜が吐いた炎が吸い込まれていき、あっという間に洞窟全てを覆った炎が消えた。
俺の頬には柔らかな風が当たっただけだった。
「……大丈夫? 怪我はない?」
俺を助けてくれた女の子が長い髪を靡かせながら振り向く。
大丈夫かと聞かれたが、俺の意識はそれに答えることよりもまず、巨大な剣を持って俺を庇うように立った少女に向けられた。
俺の妹と同じような制服を着ているが、ほんの少しデザインが違う。制服からすると、中等部ではなく高等部の生徒だろうか。
見た目からすると、俺と歳は同じぐらい。
……でも、そんな子がこんな場所に?
「君は? どうして、こんな場所に」
「……それはこっちの台詞ね。この『幻想領域』はもう、立ち入り禁止になっているはずだけど」
そう言って女の子は竜の炎を消し去った赤い剣を片手で振ると、辺りに舞う炎の粉を払った。
俺はひとまずお礼を言い、事情を説明する。
「とにかく、ありがとう。助かった。でも、俺も入りたくて入ってきたわけじゃないんだ。自分の意思でここにきたわけじゃないんだよ」
「遭難者、ってこと?」
「一応、そういうことになるのかな?」
「もしかして、さっきまであの竜と戦っていたのは貴方?」
「戦っていたっていうか……成り行き上、身を守ってたっていうか?」
「……そう。じゃあ、悪いけど私に協力して。あれは流石に一人じゃ手に負えないから」
「協力って、まさか?」
「もちろん、あれの駆除」
少女に『あれ』、と呼ばれた竜は耳をつん裂くような雄叫びを上げた。単なる叫び声が、洞窟の壁と天井を激しく震わせ、崩落させる。
あんなのと戦うなんて、冗談じゃない……と思いかけたが、ふと、竜の背後、遥か後方に俺が探し求めていた『転移石』が見えた。
どうにかして、あそこまで行きたいが「通してください」とお願いして通してもらえるような相手じゃない。
「……わかった。ここから出るには、それしかなさそうだ」
俺が少女と並んで竜と向き合うと、さらに激しい咆哮。
でも、すぐには襲ってこない。
突然、炎をかき消した女の子が現れたことで竜は警戒しているらしかった。
《《《 ……やめて。じゃま、しないで……! 》》》
頭に響く女の子の声がかなり苛立っている。
どうやら、隣の制服少女にはあの声は聞こえていないらしく、無反応だ。
……本当に、何がどうなってるんだ、この状況。
苛立つ黒い竜の尻尾が激しく振り下されて地面を砕叩き、洞窟内部に小規模な地震を幾度も引き起こした。
「作戦会議をしている余裕はなさそうだから、戦い方はこのまま、成り行きで。基本は私が貴方のスタイルに合わせるから。準備はいい?」
「……おかげさまで」
颯爽と登場してくれたお嬢様のおかげで、俺の元に勢揃いしたクソスキル『御三家』と名高い『剛力』『剛体術』『疾風迅雷』のクールタイムは全てゼロになった。
いつでも発動可能な状態だ。
準備は万端。
……俺の両脚が生まれたての仔鹿のように、プルプルと震えていること以外なら。
「なるべく早く、仕留めるわよ」
「……おっ、おう」
俺は名前も知らない女子高生と肩を並べ、怒りに任せて『幻想領域』を踏みしめて崩壊させる黒い巨竜と向き合った。




