19 母(まま)を訪ねて三万年 3
問題の神社にいちはやくたどり着いた制服姿の少女、神皎凛音は自分が目にしている異様な光景に戸惑っていた。
「これは……一体?」
少女の視線の先には『幻想領域』の『光の渦』がある。
だが『光の渦』と呼ばれる『幻想領域』の出入り口は通常、目の醒めるような青色をしているが、少女の目の前のそれはしきりに澱んだ赤い光を放っている。
突貫のバリケードで隔離された狭い空間の中で赤黒く光る球体が、生き物のように蠢く様子は、ただただ異様としか言いようがなかった。
少女が目の前で起こっている現象をどう解釈すればいいのか立ち止まって考えていたところ、ふと、日が沈む前の空に鳥よりもずっと大きな影が二つあるのに気がついた。
「あれは────」
二つの影はまっすぐに少女の居場所めがけて落下してきた。
それらが見覚えのある人影だと判断した少女が彼らの到着を待っていると、数秒後、一方の細身の男は音もなく着地し、もう一方の体格のいい男は豪快に顔面で神社の石畳を砕き割り神社の境内に転がった。
「……比丘。お前はどうしていつも派手に着地を失敗する。請求された水いぜん費用を経費で落とすにも限度がある」
「……ふざけんな。お前が俺の移動速度考えないでビルの屋上とか電柱の頭の上とかポンポン見境なく跳んでくから、必死に追いつこうとした結果こうなるんじゃねえか」
少女は言い合う二人の様子には目も向けず、封鎖された神社の『幻想領域』の入り口をじっと眺めながら、静かに彼らに問いかけた。
「比丘さん。上地さん。これ、どう思いますか」
「ん? なんだこれ……赤? こんな気味悪い『光の渦』の色、初めて見るぜ」
「そうだな」
先ほどまで軽口を交わしていた二人は同時に眉間に皺を寄せ、真剣な表情になった。
「……なあ、お嬢。やっぱ、帰ろうぜ? 流石にこれはやばい匂いしかしねえよ」
「俺も比丘の意見に賛成だ。調査するにしても応援を呼んでからにすべきだろう」
「それでは、比丘さんと上地さんは先に帰ってこの状況を報告してください。この先は私一人で見てきます」
「おいおい、何言ってるんだよ、お嬢? まさか一人で行くってのか」
「はい」
またしても一人で先に行こうとする少女に、比丘は思わず声を上げた。
「……ちょっと待てよ? こんなよく分からん状況の『光渦』に入ったら、『幻想領域』内で何が起こるか分からないんだぜ?」
「だからこそ、です。『光渦』に明らかな異常がある以上、いずれ私たち『殲滅班』にも仕事が回ってきます。だったら早めに対処しておく方が、私は得策だと思います。手をこまねいていると最悪、手遅れになる場合もあります」
「そうは言うけどな……お嬢。まずは自分の命を大事にしろよ。行ったところで、俺たちでも手に負えない状況ってこともあり得るだろ?」
「手に負えなければ単にここで死ぬだけです」
少女はにこりともせず、なんの感慨もない様子で答えた。
そんなこと、自分はとっくに覚悟をしているとでも言いたげな、落ち着いた表情だった。
比丘にとってこの表情はもう見慣れたものだったが、この顔を見るたび、この少女にあまりにも色々なものを背負わせてしまっている自分たちの不甲斐なさを感じる。
「……おいおい、そんな言い方ねえだろ。俺らだって死ぬ為に配置されてるわけじゃないんだぜ?」
「言い方を変えれば、もし私たちが対処しないとなると、他の誰かが死ぬ可能性が出てきます。それなら、私たち『殲滅班』の誰かが行く方がずっと生存率が高いと思います」
「……じゃあ、せめて一緒に行こうぜ? 俺でも壁ぐらいにはなるからさ。そのために追ってきたんだし」
「ありがとうございます、比丘さん。でも、調査だけなら私一人の方が効率的に行えますので。状況は戻ってから報告しますね」
「────って、お嬢!? 待てよッ!?」
比丘と上地が止める間もなく、少女の姿は赤黒い『光の渦』の中に消えていった。
少女の姿が見えなくなると二人は目を見合わせ、小さく首を振った。
「なあ、どうする。上地。お嬢、行っちまったけど」
「決まっている。俺たちはこれ以上、彼女のような重要人物を失うわけにはいかない。それに彼女の言うことも一理ある。この不可解な状況では、リスクをとって調査を優先するのはありだろう」
「……ま、そうだよなぁ。俺もわかってるんだけどさ」
比丘は頭をガリガリと掻きながら、大きくため息をついた。
「……はあ、なんでこう、『殲滅班』って勇猛果敢に死に急ぐ奴が多いのかねぇ……? 寧音さんの代の前からそうっぽいけど、よくない伝統だと思うなぁ、俺は」
「志摩に俺から緊急端末で状況を伝えておく。突入まで五秒待て────終わった。行くぞ」
「まだ俺の心の準備ができてねえんだけど」
「そんなものを待っている余裕はない。さっさと行くぞ」
「ほんと、酷い職場だよな全く」
見る間に光の色は赤から黒へ。
その変化が意味する所は正確にはわからないが、より一層、先行きが不穏さを増しているのは確かだった。
「……なあ、上地。一応聞いておくけど、ちゃんと応援、くるんだろうな?」
「当然、すぐには期待はできない。彼らも遊んでいるわけではない」
「……ですよね〜。とりま、お給料分はちゃんと働きますかねぇ」
比丘と上地は同時に『精霊の声』を呼び出すと、ますます禍々しく蠢く黒々とした『光の渦』の中に飛び込んだ。




