1 オール1の門出
「うはぁ〜。やっぱり人多いなぁ……やばい、ちょっと緊張してきた」
俺は広い会場に集まった人の群れを見渡し、思わず拳をぎゅっと握りしめた。
普段、大勢の人間の前でもあまり緊張することのない俺だが今日という日は特別だ。
なぜならこの日、この時、この場で俺の人生が決まると言っても過言ではないからだ。
────《黒い空》がもたらした『大災害』と呼ばれる惨事から十年。
世界は大きく変わることを余儀なくされた。
突然現れて一つの都市を跡形もなく破壊した《黒い空》が気まぐれな台風のように去った後、世界中に不思議な光の渦が同時多発的に出現し、その虹色の渦の奥には誰も見たことがない奇妙な空間が発見された。
後に『幻想領域』と呼ばれるようになったその空間では、まるでフィクションのファンタジー世界のような不気味な姿をした『怪物』達が蠢いていて、おまけにまるでゲームのように不可解な効力を持つ『アイテム』がたくさん見つかった。
何より、人々を驚かせたのはその空間を訪れた人間が突如身につけた不思議な力だった。
それは既知の物理法則を人の意志で気軽に捻じ曲げ、またある時は当たり前のように無視して上書きできるという、まるでゲームかファンタジー小説のような異常な力。
その奇妙な力は誰が言い出したのか、いつからか【スキル】と呼ばれるようになり、その原因となった空間もいつしか『幻想領域』と呼ばれるようになった。
その空間が一定の条件を満たすとゲームのように『踏破』でき、そこにあった全てが幻だったかのように綺麗さっぱり消滅するからだ。
どうして、そんな奇妙な空間が出現し、同じぐらいおかしな力がいきなり人間に扱えるようになったのか。
それは誰にもわからなかった。
わかっているのは、人が『幻想領域』にあるものに触れると【スキル】を得る、ということだけ。
まるで幻想の世界が突然現実世界に迷い込んできたような状況に誰もが首を傾げたが、理解が追いつく追いつかないに関係なく、皆がその状況に対応せざるを得なかった。
謎だらけとはいえ『幻想領域』が存在するのは明らかで、人類が【スキル】という新たな力を得たという現実は確固たる事実としてそこにあったから。
世界中のありとあらゆる国の政府は、この大きな変化への対応に心血を注ぐことになった。
そういうわけで『大災害』から二年が経過した、今からちょうど八年前の春。
我が国の政府も一枚のカードを国民全員に配布することにした。
それは『ステータスカード』と呼ばれる、不思議な色に輝くカードだった。
まだ七歳になったばかりの俺が最初にそのカードに触れると、そこには幾つかの数字と戸籍に登録された俺のフルネーム、そして名前の横に小さく『レベル1』と表示され、家族のカードにも同じように『ステータス』が表示された。
でも、何故か『レベル1』の表記があるのは俺だけだった。
その後の政府の発表で他にも俺と同じように『レベル』表記がされている人がたくさんいることがわかったのだが。
要は、俺は人類の脅威となる『幻想領域』に挑む『資質あり』ということらしかった。
レベル表記は『探索者』となる資質の証。
それから俺は色々と考えて自分の進むべき道を決め、この場所に立っている。
「……やっと、ここまで来れたんだよな」
俺が目指すのは『探索者』だ。
この春、『探索者』を養成する学校にも入学が決まっている。
現在、『幻想領域』に挑む資格は国家資格となっていて、『幻想領域』発生後に定められた法律では「15歳以上の有資質者」が国が認める試験と手続きをクリアすることで初めて『幻想領域』に挑むことができるようになる。
今日俺が訪れたのは、その最終手続きの会場だ。
これまでに俺は苦手な筆記試験にもなんとか合格し、身体検査を行なって各種『ステータス』検査も無事通過。
あとは、最後の【クラス】の判定を残すのみとなっている。
「……あれが、噂の『幻想器物』か。ちょっとドキドキするな」
会場の中央には数人の黒服のガードマンらしき人たちに護られながら、美術品のようにして短刀が飾ってある。
あれは『幻想領域』内で発見された『幻想器物』と呼ばれる希少アイテムだ。
手続きの参加者達は皆、あの『幻想器物』に触れることで自分の【スキル】を発現させることになっている。
それを以って晴れて国が認める探索者資格の認定となる。
俺は一応、15歳という年齢にしては『ステータス』が優秀ということで、そこそこ有望視されていて、今日の【スキル】の判定さえ問題なければすぐにでも『探索者』として活動できるようになるはずだ。
でも、問題はその【スキル】だ。
もっというと、スキルと一緒に判定されることになる【クラス】。
それが俺の今後の人生を大きく左右する。
「「「おおお……!」」」
先に判定を受け、【スキル】と【クラス】が確定した参加者たちから歓声が上がる。
どうやら希望していた【クラス】に振り分けられて、友人たちと一緒に喜んでいるらしい。
現実世界の人間が『幻想領域』内のモノに触れると、その人は【スキル】を得ると同時に自動的にそれを扱える六種の【クラス】に振り分けられるという。
言い換えれば、その瞬間に探索者としての能力の方向性が全て決まってしまう。
その為、世間からは『職業ガチャ』と揶揄されることも多い『【クラス】判定』だが……驚いたことに【スキル】と【クラス】の情報は「まるで人の作ったゲームのデータのように『暗号化されたデータ』としてどこかに最初から存在して」いるのだという。
その暗号化された情報を呼び出し、誰にでも簡単に読めるように構築したのが、今世界中で稼働する通称『精霊の声』というオペレーションシステム、正式名称『《Voice of Spirits》』というダンジョン探索支援システムだ。
その結果は『精霊の声《Voice of Spirits》』というシステムに本人にしかわからないメッセージとして伝えられる。
その前代未聞のシステムを組み上げたのは、驚くべきことにたった一人の日本人技術者だという。ゲーム会社の社畜プログラマを名乗るその匿名の人物は、『大災害』からたった数ヶ月でその未知の暗号を発見・解読し、異様な完成度のシステムを構築して公開した直後、コアな技術者たちが集まるネット上の匿名公開チャットで、
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実質、私は何もしてないんです。
私は単にあちら側と回路を繋ぐ作業をしただけなので。
あとは向こうが全部勝手にやってくれたみたいです。
冷静に考えると怖いですねぇ……本当にどうなってるんでしょう?
私が思うに、あれ、
ちょクォh、まってそこに誰かいうわ誰か助けaaihodagaaaaa;:
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という、見る者全てを不安にする書き込みと共に失踪。
以後、消息はつかめていないらしい。
その為、多くの憶測を呼んでいるが、確かなのはそのプログラムが今もちゃんと正常に動いているということだ。
『精霊の声《Voice of Spirits》』は現在、世界中の言語に翻訳され、各国の政府機関含めた全世界で稼働中だ。
なんでも、その匿名の技術者が作り上げたシステムは大国や大企業が巨額の予算を投じても同じものは開発できないと言われていて、似たような仕組みの再現すら不可能なのだという。
そもそも、世界有数の天才科学者やプログラマーの頭脳を以ってしても「なんで動いているのかすらわからない」と一様に首を傾げる状況で、現状唯一無二の『幻想領域』支援システムなんだそうだ。
要するに、誰一人理解不能だが「何故か使えてしまっているから使っている」という状況。
多大な恩恵があることは多くの国の政府機関すら採用していることで実証済みだが、そんなものは気味が悪いから触りたくない、という人が一定数いるのも頷ける。
俺だってそんなわけのわからないもの、何もメリットがなければ近づこうとは思えないが、【クラス】と【スキル】で受けられるメリットが絶大すぎる。
「……俺もそうなれるといいんだけど」
今判明している六種の【クラス】と得られる【スキル】はこんな感じだ。
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【戦士】 …… いわゆるアタッカークラス。攻撃性能を高めるスキルを得られる。
【騎士】 …… いわゆる防衛職。耐久力を高めるスキルを多く得られる。
【魔術師】 …… いわゆる魔法職。攻撃を始めとした様々な【スキル】を得られる。
【僧侶】 …… いわゆるヒーラー。傷を癒したりできる超希少な【スキル】を得られる。
【狩人】 …… 遠隔攻撃クラス。遠くの目標に攻撃を当てやすくしたり、威力を高めるスキルを得られる。
【盗賊】 …… 偵察職。気配察知など警戒系のスキルを多く得られる。
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【スキル】はレベルアップによって得られるSPと呼ばれるポイントを振ることである程度好きに取得が可能だが、【クラス】は本人が選べないし、【クラス】によって習得可能な【スキル】が全く違ってくる。
なので個人差はあるが、得られる【スキル】の傾向の都合上、探索者の強さはほぼ【クラス】で決まると言われている。
取得する【クラス】によってできることはかなり違い、
その差は収入にも如実に現れる。
当たり職業、ハズレ職業などとも言われたりするが、『当たり』として有名なのは【魔術師】で、『大当たり』が【僧侶】だ。
【魔術師】は取得できる【スキル】の数が多く、どれも有用でSP効率も非常にいいと言われる。
一方、【僧侶】は【スキル】の種類は【魔術師】に及ばないものの、取得できる【スキル】が傷を癒したりする強力なものばかりで、引き合いが多い。
どちらも発現の確率が非常に低く、その希少性と有用性のゆえに需要が多い。
特に【僧侶】は『幻想領域』外の現実社会でも超有用な治療スキルを好き放題に行使できるので、それだけで高収入が約束される。
人生という名の先の見えないギャンブルにおいて大当たりを引いたとも言える。
逆にハズレとされるのが【騎士】と【盗賊】だ。
どちらも補助として替えの効かないスキルを持つが、単体で活動しにくく、稼ぎにくい上に損で危険な役回りをやらされることが多く、この二職の適性があると判明して探索者への道をあきらめる人もいるぐらいだ。
残りの【戦士】と【狩人】は可もなく不可もなくで、【魔術師】、【僧侶】までの華はないが、十分でソロでの活動も可能で堅実に稼ぐことが可能だ。
探索者に占める割合が一番多いメジャーな【クラス】でもあり、有名な探索者の殆どがこの【クラス】なので、一般に『探索者』といえばこの辺りの【クラス】イメージを持っている人が多い。
俺もできれば、無難なこの辺りを引いておきたいと思っている。
一応、ごくごく稀に例外の『超大当たり』もある。
十万人の探索者の中に一人ぐらいの割合で出現すると言われる【ユニーククラス】だ。探索者の資質があるとされるのが十人に一人なので、それがどれだけ低い確率かはわかるだろう。
その発現確率の低さゆえに、ほぼないものと考えたほうがいいが、【ユニーククラス】は最初から強力で有用な【ユニークスキル】を得られ、それだけでかなりのアドバンテージになる。
場合によっては当たり職の【僧侶】を遥かに上回る有用スキルが最初から得られ、しかも、それはその名が示す通り『唯一無二』のスキルなのだ。
要は、そのクラスを得ただけで特別な存在になれる。
それだけに【ユニーククラス】は羨望の対象になる。
俺はそこまでのものは望んでいないが、これから判定される【クラス】に次第で俺の人生の道筋は大きく違ってくるだろう。
……すぐにがっぽり稼いで、脱・妹に養われる兄となれるか。
このまましばらく妹の脛を齧り続ける学生兄貴となるか。
俺は願わくば、前者でありたいなと思う。心から。
「次、御山深人さん」
「はい」
そんなこんなで、俺の番がやってきた。
周りではすでに結果がわかった参加者達が浮かれたり落ち込んだりしている。
『精霊の声』を通してもたらされる結果は本人以外にわからないのだが、表情でなんとなくわかってしまう。
「……いよいよ、だな」
この日、この場で俺の運命が決まる。
『幻想器物』の周りには白い服を着た救護班が待機しているのが見える。
ごく稀にマイナス効果のあるスキルを得て、体調を悪くするような人が出るからだ。
運が悪ければそんなこともあるという。
でも、それはごくごく稀な例だし、そんなお話を恐れて何もしないのは交通事故を恐れて路上に出ないのと同じぐらい馬鹿げていると思う。
どんなこと些細な行動にも多少のリスクはつきものだ。
……とは思うものの、やっぱり不安だし、緊張する。
(行くぞ)
手に汗を滲ませながら台座の上に置かれた幻想アイテムに触れると、見覚えのある半透明のパネルが俺の目の前に現れた。
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【ユニーククラス】『トレーナー』を取得しました。
【クラス】変更に伴い、
【ユニークスキル】『トレーニングルーム』を取得しました。
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「えっ」
「……どうしました?」
俺がしばらく無言で立ち尽くしていると、係の人に声をかけられた。
『精霊の声』の表示は本人以外にはわからないことを思い出し、俺は慌てて係の人に告げた。
「今、ユニーククラスと、スキルを取得しましたって」
「ユニークですか……!?」
「はい。クラスは『トレーナー』で、スキルは『トレーニングルーム』、とか」
「……『トレーナー』と、『トレーニングルーム』?」
期待していなかった奇跡が起きた。
俺の報告に辺りがざわめく。
まさかの固有スキル取得。
これなら、妹にも楽をさせてやれるに違いない。
俺が喜びのあまり強く拳を握り締め、頭上に突き出そうと思ったところ、
「────ぁ────?」
上手く、拳が握れなかった。
途端に身体のあちこちに違和感を覚え、視界がぐらぐらと揺らいだ。
「────────────?」
俺はわけもわからずそのまま膝から床に崩れ落ち、受け身すら取れず頭を床に強く打ちつけた。
痛くて絶叫したくなるが、どういうわけか声すら出ない。
立ち上がろうと思っても腕も足も全く動かない。
一生懸命力を込めても、指一本すら動く気配がない。
なんだ……?
どうなっているんだ、これ。
「お、おい、君……!? ど、どうした!?」
「様子がおかしいぞ、救護班ッ!」
「どうしました……? おい、君ッ! 聞こえるかッ!?」
俺の様子の急変に、ドタドタと俺の周りに人が駆け寄ってくる。
必死に俺を呼んでくれているものの、返事ができない。
意識はあるのに身体が全く動かないが、それだけじゃない。
空気が重い。
呼吸がうまくできない。
瞬きすら重く感じるのは、なんでだろう。
「……ちょ、ちょっと見てください」
救護班の人が俺のステータスカードを拾い上げ、驚いた様子で周りの人を呼んだ。
「こっ、これは……!? 何故、こんなことに?」
「わかりません。でも、こんなステータスじゃあ、もう……」
皆が一斉に俺を見下ろした。
それはまるで死人を見るような目だった。
「ともかく、ここでは処置が不可能だ。もう救急車じゃ間に合わない、自衛隊のヘリを呼べ」
「搬送先は?」
「最寄りの大学病院だ。病床が足りないと言われても、なんとか捻じ込め。緊急搬送だ!」
「は、はいっ」
周囲の動揺で、俺の不安が一層大きくなる。
……いったい、何が起きたんだろう。
俺はこれからどうなるのだろう。
でも、一旦落ち着こう。
俺の周りには頼もしいプロの救護員さんたちがいる。
この人たちに任せていれば、きっとなんとか助けてくれるだろう……と俺が敢えて楽観的に考えようとしたところ、頭の上で小さな声がした。
「……この少年のご家族は?」
「提出書類にはご両親はおらず、妹さんが一人だと」
「すぐに呼んでください。残念ながら……もう、彼には時間がないと思われます」
あれ?
今、この人はなんて言ったんだろう?
もう耳がよく聞こえない。
うまく息もできない。
頭が真っ白になって身体の感覚がどんどん失われていく。
救護班の人に人工呼吸器をあてがわれたのがわかったが、なんだか頭に全然酸素が行っていないし、そもそも心臓がまともに仕事をしてくれていないような気がする。
外は心地よい春の日だというのに、ものすごく寒い。
(……あれ。これってもしかして……やばい状態……?)
俺は遠くからヘリが近づいてくる音を微かに聞きながら、鉛のように重くなった瞼が勝手に閉じていくのを感じた。
お読みいただきありがとうございます。
いきなり主人公の先行きが不穏ですがここからこの物語は始まります。
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