16 幻想領域の異常と《烙印》
「……なあ、志摩。この『Fランク』ダンジョンの「『C』ランクの【ダンジョンモンスター】が大量出現の可能性」って? 何があったんだよ、一体」
東京都内にあるとある官庁の事務室。
並外れて体の大きな男が自分に割り当てられた机の前で、真剣な顔をしながら部外持ち出し厳禁の機密情報が詰まった情報端末を眺めていた。
「……備考欄に書いてあるでしょう? まだ調査中よ。現状、複数の探索者達から寄せられた未確認情報を載せてるだけ」
志摩と呼ばれた小柄な女性は小さくため息をつきつつ、男の質問に答えた。
「でも、脅威度の報告が『Cランク』相当って。Cランクは討伐推奨レベル50以上だろ。どう考えても『Fランク』ダンジョンに居ていい奴らじゃねえぞ。被害者は? まだ出てないのか?」
「……幸い、目撃者は無事に逃げ帰ったらしいわ。一応、問題のある『幻想領域』の入口は物理的に封鎖して、上にはデータを添えて今後の措置を検討するよう進言しておいたけど……上層部も頭を抱える異常事態よ」
「……それって。逃げられなかった奴はみんな死んでる、って話じゃないだろうな……?」
「少なくとも『精霊の声』と連動しているデータベースで探索者の死亡は確認されていないわ。でもこの調子だと、今はまだ、ってところでしょうね。すぐに討伐を兼ねた調査に向かいたいところだけど……他でも似たようなことが起こってて、対処に手間取ってるの。難しい場所に無闇に新人を向かわせて、うっかり死なれても困るしね」
志摩は小さく首を横に振り、大男の方は頭を抱えた。
「……お優しいことで。でもま、上司としちゃ当然の配慮だよなぁ……で、対処の目処は立ってるの?」
「とりあえず当該『幻想領域』には誰も入れないようにしてるから、私が抱えてる仕事が処理でき次第、って感じね……もしかして、比丘、手伝ってくれるつもりなの?」
「状況によってはな」
「珍しいわね。でも、まだいいわよ。ギリギリこちらの人員で対処できる範囲だから。わざわざ「殲滅班」を向かわせる脅威度でもないし、私としてはいざという事態のために力を温存しておいてもらった方が安心して仕事ができるわ」
「……そうだなぁ。そうだと助かるんだけど。でもこれ、微妙なラインだよなぁ……?」
二人が眉間に皺を寄せながら、それぞれの端末に表示された地図を見ながら唸っていたところ、隣の机で静かに読書をしていた制服姿の少女が会話に割って入った。
「……それなら、私が行ってきましょうか? 問題の神社は通っている学校の近くですし、場所はすぐわかりますので」
少女の提案に志摩と比丘は顔を見合わせた。
「……お嬢が? いや、でもなあ?」
「神皎さん。貴方の申し出は嬉しいけど……でも、本当にいいの?」
「はい。今、私は手が空いていますから」
「……いやいや、ちょっと待ってくれよ、お嬢。お嬢はそんなのに手を出さなくていいだろ。いくら人手が足りないからって、ついこの間まで女子中学生やってた奴に仕事を押し付けようだなんて思わねえよ……?」
「……比丘さん。また子供扱いですか?」
長い髪の少女はすっと目を細め、比丘の顔を真っ直ぐに見つめた。
倍ほども体格差のある二人だったが、少女に強い不満を訴えるような表情を向けられると、比丘は目を逸らしながら頭を掻いた。
「……いやあ、そういうつもりじゃねぇんだけどよ? 俺だってお嬢には危ない場面で何度も助けられてるし、ちゃんと頼れる仲間だと思ってるよ。でも、だからこそだ。ただでさえ普通じゃないモン背負わされてるんだし、平時ぐらい、まともな学校生活送ってろよ?」
「この状況は、とても平時とは言えないと思います」
少女は自分専用の情報端末を覗き込み、そこに表示される大量の情報を読み込みつつ、大柄な男に静かに反論する。
比丘も同じ画面を見ながら、確かに平時とは言い切れないと納得した。
「……それと比丘さん。私は学校には特に行きたくて行っているわけではありません。そもそも、行くことが必要だとも思っていません。現に、勉強なら行かなくてもなんとかなっています」
「……そりゃあ、お嬢ならそんな感じになるだろうけどさ? でも「殲滅班」に所属してるからって、律儀に毎日事務室に来なくたっていいんだぜ? 必要になったら呼ぶし、別に他に居場所がないってわけでもねえんだろ? ……ほら、お嬢にもいるだろ。一人や二人ぐらい、仲のいい友達とか」
比丘が何気なく口にした言葉に少女は口をつぐみ、周囲にいた複数人は比丘に責めるような視線を向けた。
「……あっ、悪い? ……俺、まずいこと言った?」
「……学友はいますが。特に馴れ合いたいとは思いません」
正直、今の一言で少女の学校での立ち位置が透けて見えるな……と思ったが、比丘はその話題にこれ以上口を挟まなかった。
言えば、また余計なことを口にして、さらに少女の不興を買いそうだったので。
「……でもさ、気負いすぎるなよ? この業界、長くやってるとそういう真面目な奴から潰れてくんだ。もうちょっと気楽に構えてもいいと思うぜ?」
「大丈夫です。私はそれほど弱くはありません。それにCランク程度なら散歩と大して変わりありませんので」
「そりゃあ、ま、そうだけどさ」
少女の実力に関しては、比丘も全く心配していない。
彼女にとってCランクのダンジョンモンスター数体程度なら、本当にその辺を散歩するのと変わりない。
レベルでは比丘の方がまだまだ上だが、総合的な戦闘能力はもうとっくに抜かれている。
比丘が心配しているのは別のことだった。
────この少女の小さな肩には、今、あまりにも多くのものが載りすぎている。
彼女は正真正銘の『特別』だった。
ここにいる皆が世界トップレベルの実力者であると断言できるが、その中でもこの少女は一人、群を抜いている。
少女は今から四年前、当時の「殲滅班」を率いていた母親が死亡した際に『継承』した【ユニークスキル】によって、有り得ないほどの『有用性』を一夜にして手に入れた。
以来、彼女の為に特別に制定された法律の下、国の管理下に置かれて比丘達と共に『幻想領域』関連の業務に従事している。
現状、彼女と肩を並べられる者はこの国には存在しない。
国内も国外も不安定になっている状況で、彼女はあらゆる脅威を撃ち破ることのできる唯一無二の戦力と言えた。
だから国の偉い方も民衆も、彼女には多くの期待を寄せた。
そして、この並外れた才能を持つ少女も自分に寄せられている期待の意味をきちんと理解し、期待されればされるほど努力し、懸命に応えようとする。
そうして、彼女は絶えず期待された以上の成果を生み出し続け、今や国民のみならず世界の誰もが認める『英姫』となった。
でも、比丘にはそんな少女の姿が危うく見えて仕方がなかった。
国も自分たちも民衆も、たった15歳かそこらの華奢な少女の肩に、あまりにも大きな責任を載せてしまっている。
数年間仕事を共にした比丘の目から見て、少女はとても幸せな子供時代を送っていたとは思えなかった。
母親を失ってから、家庭環境もお世辞にも幸福とは言えない。
父親とも離れ、今は一人で生活しているが、世間で『英姫』と持て囃される10代前半の少女としてはあまりに日々の生活が荒んでいると思う。
それはもちろん、彼女の力に頼らざるを得ない同僚の自分たちのせいでもあることは重々承知していた。
だから、なるべく比丘としてはこの少女の力に頼ることは避けたかった。
「危険区域のデータを共有していただけますか、志摩さん」
「……これよ。暫定のデータだけど、一応ここに載せる前に選別してるから、ある程度は正確なはずよ」
「ありがとうございます。このデータはもう、上には届いているのですか?」
「ええ。この暫定データを元に今後の対策を検討してもらってるわ」
「わかりました。父にも伝わってはいるのですね」
「……なあ。だったら、上の判断出るまで待っててもいいんだぜ? 現場の独断で動いても上から褒められることなんて滅多にねえぞ?」
「そんな悠長なことをしていては被害者が出てしまいます。自分たちで対処できる範囲のことは、やっておくべきだと思います」
「……急いで行っても、Cランクの雑魚以外何もいないかもしれないんだぜ?」
「何もなければそう報告するだけですので」
少女はそう言いながら長い髪を靡かせて広い事務室のドアを開け、出て行った。
「あっ……お嬢? えっ、マジで行っちゃった?」
「……彼女を一人で行かせていいの、比丘?」
「いやあ、お嬢の心配はいらねえだろうけど。立場上、そんなわけにはいかんだろ……な、上地?」
「俺はまだ処理すべき仕事がある。話なら後にしろ」
「おいおい、なんだよ? 冷てえなぁ……?」
「……行かないとは言っていない。残務を処理するまで少しそこで待っていろ」
上地は脇目もふらず大量の文章を端末に打ち込んで書類を仕上げると、すぐに顔を上げた。
「終わった。もう出られるぞ」
「────遅い。俺、コーヒー三杯も飲んじまったよ」
「……まだ三分もたっていないだろう。飲み過ぎだ」
「その三分でお嬢がどれだけ進むか知ってるくせに。きっと、もう追うのがめんどくせえ距離だぞ?」
「行き先はわかっている。全力で追えば間に合う」
「俺はその全力で走るのがイヤだから、早く行こうって言ってたのに。がっつり『タンク』系のスキル構成の俺の移動速度をお前らと一緒だと思うなよ?」
比丘は上地に文句を言いつつ、空になった紙カップをゴミ箱に投げ込んだ。
上地はそんな比丘の様子を無言で流しつつ、自分が入力したデータが入った端末を志摩に手渡した。
「では、志摩、後のことは頼む」
「ええ、行ってらっしゃい。なんだか、こっちの仕事を押し付けたみたいで悪いわね」
「今のところ「殲滅班」の仕事はまだそこまで忙しくない。それに彼女の護衛も我々の業務の内だ。例の『Fランク』ダンジョンの異変については後で共有フォーマットを使って調査報告書としてまとめておく」
「助かるわ、上地」
「それじゃ、いい加減、行こうぜ? もう四杯目のコーヒーも飲み終わったことだしな」
「……比丘は飲み過ぎ」
再び比丘の手から紙コップが投げられ、専用のゴミ箱にストン、と小気味良い音を立てて吸い込まれると同時に二人の姿が消えた。
「本当に、どうなってるのかしらね……この状況」
一人部屋に残された志摩は情報端末に映し出されているマップを眺め、小さくため息をついた。
丁度例の少年が病院に搬送された二ヶ月前を境に、『幻想領域』の異常の報告数が目に見えて増加した。
つい先日から、異常の報告数が爆発的に増えている。
時期的には偶然の一致だろうが、おかげで少年の監視どころではなくなり、それ以外の仕事も増える一方だ。
発生した異常はどれも脅威度は低いものの、発生数が多すぎる。
中でも一番酷いのが、即時封鎖を余儀なくされた例の『神社ダンジョン』だった。
「……正直、神皎さんが向かってくれて有り難かったわね。『C』ランク程度なら、あの三人は過剰戦力だけど……無駄とも言い切れないかも」
十分な証拠もなく確実なことを言えるレベルではないが、あの神社ダンジョンには、通常とは違う不穏な兆候もいくつか出ている。
最近報告された『幻想領域』の異常の発生地点を地図上にデータとして並べてみると、この神社を中心にして、ほぼ同心円状に分布していることがわかる。
まだ志摩の勘の域を出ないが、そこで何か未知の事態が起こっていてもおかしくはない。
ここ最近、この十年で観測されていない未知の事態ばかりが起こっている。
────前例がないほどの【ユニーク】の異常発生と、ダンジョンに出現するモンスターの種類の『刷新』。
まるで突然ゲームの更新が行われたかのような変わり具合に、これまでの常識が通じずに志摩は不安を感じている。
早々に例の少年の監視を打ち切って正解だったと思う。
彼は本来、志摩の所属する「調査班」が監視するべき重要な観察対象だった。
彼の珍しい【ユニークスキル】の取得もさることながら、取得した瞬間の異様な【スキル】取得状況から、世界で二例しか報告されてない《烙印》の所持者であることが疑われたからだ。
《烙印》が付与された【スキル】はただのスキルとは似て非なるものであり、超大規模に影響を及ぼす強力なものだ。
現在確認されている『《烙印》スキル』の効果は、複数の都市を跨ぐような超広範囲の対象全てに強烈なステータス低下を掛けつつ、さらに、【スキル】所持者本人のみ周囲に影響を及ぼした量とほぼ同等の『恩恵』を得る、という。
────現状、世界で確認されている《烙印》は二種類だけ。
近年、旧ヨーロッパ連合圏を統べるカーライル公国の公爵の一人娘『公女リリア』の得た《暴食》と、日本で最初に《黒い空》が発生した『札幌特別警戒区域』の唯一の生き残り、『武内丈瑠』が得た《傲慢》の二つ。
彼らは《烙印》の付与された【スキル】を得たことで、文字通り周辺地域の地図を書き換えた。
一方の『公女リリア』はスキル取得からたった二ヶ月後、圧倒的な暴力でヨーロッパ全土に乱立した権力構造を平定して実質的な頂点に立ち、もう一方の『武内丈瑠』はスキル自体が制御不能となり、広範囲にデバフを撒き散らしながら超国家規模の歩く災害と化した。
現在は彼一人を隔離する為に広大な北海道の土地の大部分が立ち入り禁止区域となっている。
《烙印》はただの人間だった者に破格の力をもたらした。
だが、それは人類にはおよそ制御不能な類の力であり、どんな強大な国家もそれを支配下に置くのは不可能だった。
《烙印》を得た者は一人いれば複数の国を滅ぼすに十分であり、場合によっては『幻想領域』や、ダンジョンモンスターよりもずっと深刻な問題となる。
言うなれば《烙印》の所持者は人の形をした厄災なのだ。
カーライル公爵の娘、『公女リリア』は《烙印》の付与された【スキル】の力を完全に制御できているとされるが、彼女が行っているのは結局のところ恐怖と暴力による支配であり、彼女の気分次第で好き放題に国境線を書き換える。
民衆にとっては脅威でしかない。
だから、例の少年にも「その疑いがある」と報告された当時、誰もが息を呑んだ。
でも────
幸い、一ヶ月ほど例の少年の経過観察を続けた結果、「恐らく彼はそうではないだろう」という結論に達した。
むしろ、少年の【ユニークスキル】の性質は《烙印》とはほぼ真逆。
周囲にはなんら影響を及ぼさず、自分自身にのみ絶望的なステータス低下がかかっている。
それも他に例を見ない珍スキルと言えるが、誰の脅威ともならないことが判明し、関係者の皆が胸を撫で下ろした。
もし例の少年が《烙印》持ちだと判明したら、今どころの騒ぎではなかっただろう。とはいえ、彼の場合は未だに謎が多いので、本来ならまだ要観察となるのだが。
今はもっと優先して調べるべきことが幾らでもある。
「……流石にこの調子だと、体がもたないわね」
志摩は机の上に並んだエナジードリンクの缶と、これから処理する課題の山を見ながら途方に暮れる。志摩も一応20代前半で、まだまだ体力は10代の頃と変わりないつもりでいるが、毎日がこうも激務だと参ってくる。
「殲滅班」の3人が難しい場所に向かってくれて多少仕事は少なくなったが、「調査班」である志摩はこれから他の『幻想領域』を一箇所でも多く回って大量の調査報告書を作らなければならない。
必死に動いたとして、今日中に自分の足で回れる『幻想領域』は10か20程度か。
既存ダンジョンの『転移石』を駆使しながらであれば、あと10はいけるかもしれないが、それでも、まだまだ調査は間に合わない。
あまりにも、人材が不足している。
……こんな時、都合よくイキのいい新人でも入ってくれたりしたら、どんなに嬉しいか。
それも、自分と同じぐらいに機敏に動ける新人が入ってくれたら、自分は泣いて天を仰ぎ、手を叩いて喜ぶことだろう。
とはいえ、志摩の【敏捷値】は官給の高価な装備と自前の【スキル】込みで「2000」弱。いきなりそんな能力を持つ無名の新人が降って湧いたように現れることなどありえないのだが。
「……現実逃避してる場合じゃないわ。考えるだけ気が滅入るだけだし、早く仕事片付けよっと」
志摩は愛飲のエナジードリンクを飲み干して缶をゴミ箱に入れると、そのまま部屋から音もなく姿を消した。




