11 ステータスの力
俺が訪れた家の近くの河川敷にある公園は、いつも通りののどかな風景だった。
犬の散歩をしている人がちらほら見え、公園内の開けた場所で中学生ぐらいの少年達がサッカーボールを蹴り、その脇に通る道では夫婦らしき男女が仲良くスポーツウェアを着てジョギングに勤しんでいた。
時期が時期なら良好なお花見スポットとなる公園だが、道沿いに植えられた桜の枝にわずかに残された花びらが舞い散り、俺が現実世界にいない間に春が終わってしまったことを実感する。
運動できそうな開けた場所まで俺が歩いていくと、陽当たりの良い場所で何かを探すようにして忙しく地面をつついていた鳩が寄ってきて、物欲しそうな様子で俺の顔色を窺ってくるが、別にこっちに用事はないので目を合わせないようにする。
「よし、さっそく試してみるか」
俺は見慣れた風景を眺めつつ、早速、つい先ほど得たスキル『疾風迅雷』を発動させた。
ここでなら思う存分、走ったり跳んだりできて色々試せる。
そう思ってこの場所に来たのだが。
(……なん、だ、これ……?)
スキルを発動させた瞬間、視界に強烈な違和感を感じた。
(……遅い?)
周囲で動く全てのものが遅く感じる。
遅いというより、まるで止まっているかのようにすら見える。
辺りに舞っていた無数の桜の花びらがピタリ、と空中で静止している。
驚いて辺りを見回すと、俺が無視し続けたことで諦めて飛び立とうとしていた鳩が羽を開いたまま姿のまま動かない。
散歩する犬のリードを引く人は石像のように固まったままピクリともせず、ジョギングをしていた老夫婦も脚を前後に開いたままの姿勢で地面から足を浮かせている。
(時間が、止まった……?)
いや、止まってない。
一応、動いている。
よく見れば桜の花びらは確かに重力によって下に落ちているし、鳩もスローモーションのようではあるが、ちゃんと羽ばたいているのがわかる。
笑顔で犬のリードを引く人はそれでも1ミリも動いていないように見えたが、犬のリードは動いているし、ジョギングをする夫婦は俺が眺めている間にゆっくりとだが同時に地面に足をつけた。
決して時が止まったわけじゃない。
確かに動いている。
でも、よく見ていないと見逃してしまいそうなほど小さな動きだった。
(これ、きっと周りが遅くなってるんじゃなくて、俺が速くなってるんだよな)
状況を理解した俺は改めて辺りを見回した。
────でも、やっぱり、遅い。
周りが遅くなったんじゃないとわかっていても、全てがスローモーションのように感じる。
────空を飛ぶ鳥。
街を行く自動車。
中学生が蹴るサッカーボール。
俺の周りで起こっている全ての物事の進みが異常にゆっくりだ。
体感で数倍どころか、数十倍に時間が引き延ばされているように思えた。
これがたった一つの【スキル】の力だというのか。
絶大すぎる。
俺が発動させる『疾風迅雷』の効果時間はたった十秒。
その内の1秒が、とんでもない長さに思える。
(こんなにすごいのか、【スキル】って)
試しに俺はまず、『疾風迅雷』を発動させたまま自分の腕を振ってみた。
周りの全てはゆっくりだが、俺の動きは一切遅くなることはなく、いつも通りの感覚で動けた。
次に財布から100円玉を取り出すと、指で思い切り上に弾いてみる。
(────なんだ、これ)
弾きあげたコインは俺の手を離れた後も、俺以外の全てがゆっくりになった世界で俺と同じ時間の世界にいるように高く昇って、そのまま手元に落ちてきた。
挙動がおかしい。
完全に空気抵抗を無視している上に、重力の法則もあからさまに捻じ曲げている。
学校で習った重力加速度が意味をなしていなかった。
(……ああ、なるほど。これがいわゆる「ステータスが載る」ってやつか)
────『ステータス』は物理現象に介入する。
これをステータスが「載る」という。
ライセンスを取る為の筆記試験対策で覚えた知識が、やっと自分のものになる。
【筋力値】は投射物と投擲物の威力に「載り」、【敏捷値】はその速さに「載る」。さらに奇妙なことに【魔力値】は火器の威力に「載る」という。
今のは、硬貨に俺のステータスが「載った」のだ。
目まぐるしい情報量に、俺はしばらくその場から動けなかった。
もうだいぶ時間が経った気がするのに、まだスキル発動の持続時間が終わらない。
しばらくその場で待っていると、やっと、という感じで周りの風景が通常の速度で動き始めた。
「…………すっげえ」
スキルの発動が終わってからも、俺はしばらくそこから動けなかった。
これがスキルの力。
そして、これがステータス上昇の恩恵か。
ちょっと感動する。
でも、同時に違和感を覚える。
『疾風迅雷』のスキル発動時間はたった10秒なのに、体感で2、3分かそれ以上は経った気がする。
少しおかしいと思い、再度スキルを発動して、ステータスカードを確認する。
その時の俺のステータスカードの表記はこうだ。
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御山深人【レベル】1
【筋力値】 1 (* 28.2621)
【体力値】 1 (* 23.8963)
【魔力値】 1
【精神値】 1
【敏捷値】 26 (* 33.7712)
【幸運値】 1
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スキル発動時、俺が期待した通りに【敏捷値】のステータスが元の数値に戻っている。
となると。
「……加算値じゃ、ない?」
あの右の謎数値、なんとなく加算値だと思っていたが。
違う気がする。
でも、あれだけでは俺の感覚でしかないので、スキル発動中、どれだけ自分が速くなっているのかまだよくわからない。
そこで俺はこの運動公園にある一周一キロの走行ルートを使って確かめることにした。
そこを使い、スキル効果時間の十秒間、全力で走ってどこまで走れるか距離を測ってみようという単純なものだったのだが。
実際にやってみて、とんでもないことがわかった。
たった十秒でなんと二キロ近く走れてしまったのだ。
その結果に、少し混乱する。
「……ええと。まさか、元の10倍以上になってる……?」
途中、息が切れて常に全力疾走とはいかなかったので正確な検証にはならなかったが、少なくとも、俺が予想していた「26」に「33」を足した【敏捷値】よりもずっと速くなっているような気がする。
嬉しい誤算だった。
まるで突然、自分が超一流のアスリートか、武術の達人にでもなったような気がする。
思わず笑みが溢れ、通りすがりの人に怪訝な顔をされる。
「……落ち着け。俺の元のステータスはよわよわだ」
一瞬、調子に乗りかけた自分を戒める。
でも、これならどんなダンジョンモンスターと出会ってもなんとかなりそうだな、と思う。
もちろん、異様な【敏捷値】を手に入れたと言っても過信は禁物だ。
十秒という一時的なものだし、普段の俺は普通の探索者よりずっと劣っていることを自覚しなくてはならない。
でも、どんな相手からでも逃げようと思えば逃げられそうだ、という自信がついたのは大きい。
多分、これならいける。
俺でも十分安全圏内でダンジョンモンスターを狩れるはず。
「じゃあ……もう、あれも買っていいな」
スキルの効果の検証を終えた俺は、もう一つの作戦の要、『無頼の短剣』を購入する為にスマホで政府公認の『アイテムショップ』のページを開き、目的のものを見つけるとステータスカードのIDを入力して『購入』ボタンを押す。
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『無頼の短剣』が譲渡されました。
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「お、来た」
購入は一瞬だった。
俺の所有物リストに『無頼の短剣』が追加された。
後日、俺の口座から代金の2800円が引き落とされる。
ほぼ俺の一ヶ月のお小遣い分なので予算的には問題ない。
お小遣いで買えるレベルのものに自分の命を預けるのもどうかと思うが、不人気アイテムで俺でも買える金額にまで価格が落ちていたのだから仕方ない。
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『無頼の短剣』を装備しますか?
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「YES」
すぐに『無頼の短剣』を「装備」すると、一瞬で俺の手元に細長い短剣が現れた。
手に持って眺めてみると思ったより大きいが、包丁ほどの大きさはない。
斬るというより、突くのに適した小ぶりの武器といったところか。
「……おっと」
少し眺めて、すぐに所有物リストにしまう。
公園で刃物を持っている姿を誰かに見られたら、ろくなことにはならない。
ダンジョンアイテムは目に見えても、装備した本人以外の現実世界には影響を及ぼさない。だから銃刀法違反には引っかからないが、不審人物であることには違いない。
「美羽が家に戻るまで、あと3時間、ってとこかな」
ほんの少し自信を得た俺は時間を確認すると、近くにある低難易度の『幻想領域』にまで足を運んでみることにした。
『幻想領域』は深く潜りさえしなければ、いつでも入場者の意思で出ることができる。
俺が行うのはほんの下見だけだ。
美羽が学校から戻るまで、あと3時間というところ。
それまでに戻れば問題ない……と思う。
早速、スマホで提供されている政府公認アプリ『ダンジョンハザードマップ』を開き、最寄りの『幻想領域』の位置を検索した。
すると、ここから徒歩十分程度の神社に危険度『ランクF』の『幻想領域』表示がある。
「ここなら、すぐに行って帰ってこれるよな」
少し緊張するが、まずはやれる時にやれるだけ検証だ。
俺は荒れた息を整えると、すぐにそこに向かって歩き出した。




