9 オール1のニート、ダンジョンへ
「美羽、ちゃんと弁当は持った?」
「うん、持ってる。ありがと。じゃあ、学校行ってくるけど……お兄ちゃん、私が居ないからって無理はしないようにしてね」
「わかってるって。それじゃあ、いってらっしゃい」
「いってきます」
俺はエプロンをつけたまま玄関先で手を振り、制服姿の妹を笑顔で送り出した。
妹は中高一貫の名門として名高い『私立桜ヶ嶺学園』に電車で通っている。今や誰もが羨む名門校の制服を着た、普通よりちょっと賢い女子中学生である。
今日もまた頭のいい友達と一緒に、学力の高い1日を過ごすのだろう。
────一方。
世間では「かしこさ」を示すと噂されている【魔力値】が小学生の時点でその賢い妹に大差で追い抜かれた兄である俺は、現在、通うはずだった学校を退学したことにより、社会的な身分が『中卒ニート』、もしくは『妹に養われる家事手伝い』となった。
正直、今の俺はその身分に大きな不満はない。
ただ普通に立って歩いて喋れることのありがたさが身に沁みてわかっているからだ。
むしろ、生活自体は充実していると言っていい。
俺は今朝、早く起きると前日の夕方に買い置きしていた食材を使い、二人分の朝食を作った。
俺にとっては久々の朝ごはん作りだったので、念入りに味見しながら調理したのだが、そうやって苦心して作った朝食の妹からの評判は上々だった。
俺も味わいながら食し、自分の料理に改めて合格点を出した。
あの異様な空間で二ヶ月も過ごしていたので、腹が減らないのが当たり前になりつつあったが、やっぱり食事はいい。
昨晩に引き続き、妹と二人でどうでもいい会話をしながら食卓を囲んでいると、本当に家に帰ってきてよかった、としみじみ思った。
俺は小学生時代からとにかく料理が好きで、中学生になるとお弁当作りもほぼ毎日やっていた。朝早く起きて自分で自分の分を作り、学校に持っていって食べるのをささやかな楽しみにしていた。
母親に「手伝おうか?」と言われても、「俺の生き甲斐をとらないでくれ」と意地でも触らせず、全て自分で作っていた。
思えばささやかな反抗期だった。
気づけば俺に料理を仕込んでくれた母親もいなくなってしまい、もうちょっと色々聞いておけばよかったな、と時々思ったりもする。
両親がいなくなり妹が中学に入ってからはずっと、俺は妹の分のお弁当も作った。
妹の通う学校は施設も整っており、学校の敷地内にちゃんとした料理を提供する食堂もあるというが、少々、上流向けらしく、食堂のメニューの値段表を見て青い顔をして帰ってきた妹は「できれば、節約の為にお弁当の方がいい」と言い、俺は「任せろ」と言った。
俺は元々自分の分を作って学校に持って行っていたし、一人分作るのも、二人分作るのも手間的にはそんなに変わらない。
二ヶ月ほど間を開けてしまったが、今日もまたそのルーチンに戻った。
妹は「いいよ、無理しなくても」と言っていたが俺は朝、早起きして弁当を作り、半ば無理矢理に持たせた。
『トレーニングルーム』に閉じ籠もっている間に、ずっと帰ったら何を作ろうか考えていたこともあって、今日のお弁当はかなりの自信作である。
妹の好みは把握しているし絶対に美味いと言わせる自信があるので、感想を聞くのが楽しみだ。
────やはり料理はいい。
料理をしていると生きていることを実感する。
俺は料理が好きだった。
作るのも、食べてもらうのも。
病院から帰ってきてフライパンの振り方から包丁の握りから何から何まで身体が覚えていたのにはちょっと感動した。
昨日も俺が作った料理を食べた妹からは「美味しい」「いっそ料理人目指してみたらいいじゃん」「将来いい専業主夫になれそう」と称賛らしき言葉を次々に述べてくれた。
そして、将来確実に高給な仕事に就きそうな妹は満足そうな表情で料理を全て食べ終えると「もし、お兄ちゃんがお嫁に行く先がなかったら、私が養ってあげるからね」と、言った。
たぶん、俺は将来お嫁には行かないと思うし、仮にお嫁に行ける年齢になっても、その段階で妹に養ってもらっているのはどうかと思ったが、言われて嬉しいことは嬉しかった。
確かに、ずっと家でこうして料理ばかり作っていられたら幸せかもな、と思う。
でも、そういうわけにもいかないだろうと思う。
妹は今、良い学校でちゃんと勉強をして将来の為に努力している。
俺がこのまま美羽の兄として努力を何もしないという選択肢は、あり得ない。
医者には「本来なら絶対安静」と言われ、妹にも病人のように扱われる俺だが、俺自身は普通の生活ぐらいなら余裕でできると思っている。
俺のステータスはずっと「1」。
でも、実際はその数値以上にあるのだと思っている。
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御山深人【レベル】1
【筋力値】 1 (* 28.2621)
【体力値】 1 (* 23.8963)
【魔力値】 1
【精神値】 1
【敏捷値】 1 (* 33.7712)
【幸運値】 1
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この右側の数値。
俺以外に見えないので誰にも信じてもらえないが、確かにそこにあるのだ。
そのおかげで俺は動けている。
むしろ、ステータスの横の謎の数値のおかげで前よりも若干機敏に動けるぐらいだった。その数値だって『トレーニングルーム』でトレーニングすればまだまだ伸ばせるだろう。
だから、俺は退院する少し前からとあることを考えていた。
「たぶん……もう、行けるよな、『幻想領域』」
昨日の晩、俺が改めて自分が得た『幻想領域』に入る為のライセンスが消えていないことを確認した。
法律上、ちゃんと筆記試験に通って【スキル】取得の手続きをした者は、皆一律で『E級探索者』の資格をもらえることになっている。
俺がこの春から通うことになっていた学校はそもそも、それが入学の条件だった。
俺が退学になった理由はあくまでも『ステータス』の低さであり、『探索者』のライセンス自体は保持しているのだ。
学校で知識と経験を得られなくなったのは痛いが、今のご時世、知識はネットでかなりの部分を賄える。
元々、ライセンスを得て学校に入ったらすぐにでも難易度の低い『幻想領域』に自分で挑戦するつもりだった。
退学が決まったことで一瞬、『探索者』になることを諦めかけたが、よく考えると、そこまで俺の環境は変わっていない。
それが組織の支援のある学生の立場か、何の後ろ盾もない個人の立場かという違いであって。
別に『幻想領域』に挑むのを誰かから禁止されているわけじゃない。
────そうだ。
やろうと思えば、できなくもない。
俺はまだ『幻想領域』に挑める。
あまり堂々とやると、妹にまた心配をかけることになるが。
無理しないでね、絶対に無茶しないでね、と何度も何度も念を押されている。
少し情緒が不安定になっている妹をさらに不安にさせることはしたくない。
でも、やはり今の俺が『幻想領域』に挑戦することは必要なことだと思っている。
他人に甘えて護ってもらうのじゃなく、ちゃんと自分の家族を護れるぐらいの力をつけたい、という俺の考えは全く変わっていない。
むしろ、いったん何もできない状態になったことで、その思いは強まった。
非力なままでは、この現実世界では何もできやしない。
それこそ指一本すら動かせず、呼吸すらできず、心臓さえ止まることを知った。
俺は二度とあんな風になってはいけない。
可能な限り力を得て、もっと頼れる存在にならなければならない。
少なくとも、不安になっている妹をちゃんと安心させてやれるぐらいには。
それにはまず、自分が力を得る方法を考える必要があると思う。
俺のステータスは駆け出しの『探索者』としても心許ないものだが、もし、低難易度の『幻想領域』で、弱いダンジョンモンスターを狩ることができれば俺でもレベルアップも可能かもしれない。
『E級』以下までの低難易度の『幻想領域』ならその気になればレベル1の一般人ですら、攻略が可能だという。
『幻想領域』は低難易度になればなるほどその数は増え、最低の『F級』となるとそこらじゅうにあり、うちの近所にもいくつか存在が確認されている。
経験値稼ぎに挑もうと思えば、すぐにでも挑めるのだ。
とはいえ、俺のステータスにかかっている【ユニークスキル】の常時デバフ効果は『全ステータスマイナス100』というとんでもない数値。
仮にレベルアップできても、ちょっとぐらいレベルアップしたぐらいで埋まる差だとは思えない。
『普通』に追いつくのに必要なレベルアップは20か、30か。
もっとかもしれない。
そもそも俺の今の状態で、そんなにレベルアップできるだけのダンジョンモンスターを狩れるのかもわからない。
そう考えると道は遠いが、挑戦してみる価値はあると思う。
それにダンジョンモンスターを倒せばアイテムを回収することができるはずで、普通の探索者より効率は悪くても収入にはなる。
慎重に安全マージンを確保しながら探索を進めれば、妹に心配をかけるような事態にはならないと思う。
俺の探索方針は無理せず、安全に『幻想領域』を冒険すること。
『安全な冒険』なんて、言葉の意味からして矛盾している気がするが。
俺はそういう、矛盾したことを実現しなければならない。
とはいえ、ダンジョンは不測の事態が怖いのだし、もう少し知識を入れて入念な策を講じたいところだが。
「少し、考えてみるか」
俺は妹には内緒のまま、再び『幻想領域』に挑む『探索者』への道を模索し始めた。




