その7 デスゲームお坊っちゃんの憂鬱
あれから二週間――。
「坊っちゃん、そろそろデスゲームの企画は固まりましたでしょうか?」
移ろいゆく季節の狭間、春と夏との中間地点。
日毎に強さを増していく窓越しの陽光と、こればかりは常に変わらない最高の紅茶を傍らに尋ねてくる曽根崎に、将馬は苦々しい顔を向けた。いかにも聞いてほしくなかったとばかりの反応に、おや、と曽根崎は片眉を持ち上げる。
「もしや……まだ完成しておられない」
「そうだよ」
「それどころか、手を付けてさえおられない」
「……そうだよ」
「何故でございます。この曽根崎、坊っちゃんから穴だらけの企画書が上がってくるのを心待ちにしておりましたのに」
素早く添削用の赤ペンを構えてみせる曽根崎に、あのなあ、と将馬は大きく息を吐く。
「あんなもの見せられた後で、さーて初めて企画するデスゲームの内容はどうしようかなー、最初だし小規模でいいよなー、なんて考える気になれっこないだろ。あれじゃ僕なんかが素人なりにどんなに頭捻って考えたって、ひたすらしょぼく感じるだけじゃないか」
「大袈裟な。鬼ごっこ中に執事がメイドを水鉄砲で撃っただけではございませんか」
「意図的に要点外しすぎてほぼ原型留めてないからそれ」
「そもそも比べるものでもないでしょう。よそはよそ、うちはうちと世間では申します」
「この場合って両方うちなんだけど」
曽根崎が置いた紅茶に、将馬は砂糖をひと掬い入れた。今日はレモンティーである。あえて効かせた苦味と酸味で、申し訳程度にたまった仕事の疲れをほぐしつつ、再び海外へ戻っていった兄をぼんやりと思う。今頃は向こうのカフェで目抜き通りを行き交う人々を眺めながら、同じように一杯のカプチーノでも楽しんでいるのだろうか。
「僕のやる気はひとまず置いとくとして、それよりも根本的な問題としてな」
「はい」
「なんなのお前のあの強さは」
「昔取った杵柄でございます。若い頃に少々鍛えておりましたので」
「少々鍛えたで到達できる域じゃないだろあれは。タエちゃんもだけどさ。あの後で優誠くんから質問攻めにされて返答に困ったんだぞ。僕だって知らないんだから答えようがないのに」
「それはいけませんね。口封じを兼ねてそろそろ当初の予定通り犠牲者第一号に仕立て上げますか?」
「仕立て上げないしそもそも当初の予定ですらないからな。あと、今回の件は絶対皆には黙っておくから大丈夫です!ってすごい嬉しそうにキラキラしながら言ってきた」
「秘密の一員になれた喜びというものですかな。子供ながら守秘義務に関する意識がしっかりしてらっしゃるようで、何よりでございます」
「執事とメイドが水鉄砲と格闘技で戦ったとか喋ったって誰も信じないだろうけどな……」
当事者である将馬自身もまだ信じきれていないのだ。第三者が同じ話を聞かされたとしても、それはどんな漫画やアニメの話かと苦笑混じりに聞き返して終わりである。
優誠があの日興奮しながら叫んでいたように、執事やメイドが強いというのはある種の常識ではある。ただし、フィクションの世界だけの。
「あーあ……この際、地下の闇武闘会にでも切り替えてみるかなあ」
将馬はぐいっと飲み終えた紅茶をソーサーに置き、いまいち何事にも乗り切れない気分のまま大きく伸びをした。自分とはレベルの違う、歴史に名を残すであろう作品を目の当たりにした芸術家というのも、さながらこんな停滞した気持ちに陥るのだろうか。
少なからず人々の心を豊かにしてくれる芸術品とデスゲームを一緒にするのは、だいぶ無理があるが。
「坊っちゃん」
「はいはい、移り気で無計画で実行力のない男ですいませんね」
「この曽根崎、長く阿波辺にお仕えしておりますが、デスゲームをやりたいと言い出した御一族の方にはついぞ出会った事がございませんでした」
「いや僕が言うのも何だけど頻繁に出会ってる方が逆にまずいだろ。どういう一族だよ」
「ほほほ、その通りですな。ところで坊っちゃん、今年でお幾つになられましたかな?」
「だから23歳だって。23歳にもなってやりたい事がデスゲームしかなかったのかみたいにお前に言われたばかりじゃないか。まさか忘れたのか?」
「23歳といえば、立派な成人男子にございます。いかに幼少の頃よりお傍でご成長を見守ってきたとはいえ、坊っちゃんと呼ぶのはせいぜい10代までで終わるべきでしょう。現に私、類様の事は十に届くかどうかという頃からお名前で呼ばせていただいておりました」
「そりゃ兄様はめちゃくちゃ優秀なんだから当たり前だろ。僕はまあ適当に過ごして与えられた椅子に座って、挙句に暇潰しにデスゲームなんて思い付いてるような奴だから、坊っちゃんで妥当だと思うよ」
「自らを卑下なさってはいけません坊っちゃん。坊っちゃんも必ず何か他人には真似のできない、これという輝きをお持ちの筈です。ええと、何かそんないい感じのものが」
「せめて10%ぐらいは具体性を持たせて慰めてほしい」
「失礼いたしました、次までに考えておきます。ところで坊っちゃん。阿波辺は戦後に急激な成長を遂げた、どちらかといえば若いグループです。百年単位の歴史を誇る企業や財閥から見れば若造でしかない集まりが、何故ここまでの目覚ましい発展を遂げ、これ程の規模の大邸宅を擁するに至ったのでしょうね?」
「はあ……? そんなの混乱期に始めた食品製造業が運良く海外とライン繋ぐのに成功して、そこから一気に販路拡大して他事業にも――って」
問われるまま投げやりに答え続けていた将馬が、ふと言葉を止めた。
「……さっきから何を言ってるんだ曽根崎? ところで、ところでって、本当に全然脈絡がない話ばっかりして」
「脈絡がない、ですか」
あえてそこだけを切り取ると、曾根崎はそれきり口を開こうとはせず、じっと将馬の目を見詰める。子供の頃、叱られた時にもこんな見られ方をしたのを思い出し、だんだん居心地が悪くなってきた。どう考えても続きがありそうなそこで区切るのも謎だ。
だから何を言いたいのかと先程よりやや強めに問い質そうとした将馬を、唐突に衝撃が襲う。ばらばらだったパズルのピースが、一片を置いたのを切っ掛けに、次々とあるべき位置に収まっていくような感覚。
そうだ、こういった表情をする時の曽根崎は常に、何が悪かったのかを考えるよう促してきていたのだ。逆に言えば、考えるべき材料が揃っていない時は、曽根崎はこうした顔をしてこない。
デスゲームをやるなどと言い出した人間は、長く阿波辺には現れなかった事。
とうに成人しているにも関わらず、いまだ「坊っちゃん」と未熟な子供を呼ぶような、だが同時に類ですら除外された唯一特別な呼称を用いられている事。
阿波辺グループの成長が、幸運にも時代の波に乗れたでは済まされない異常な早さである事。
ごくり、と将馬は口内に湧いてきた唾を飲み込む。知らず、彼の姿勢は正されていた。将馬の雰囲気が一変したのを感じ取り、曽根崎はふっと柔らかく微笑する。
「今この時、このような話を坊っちゃんにお聞かせした意味、それは――」
「……それは……まさか……」
「特に意味はございません」
「いい加減にしろよ曽根崎」
がっくりと脱力して仰け反る将馬。
お掃除に入ってもよろしいでしょうかーと尋ねる田江の声が、部屋に備え付けのインターホンから聞こえてきた。