その3 デスゲームお坊っちゃんの着席
一体どうしてこんな事に……。
そんな後悔が、ぐるぐると回転しながら将馬の脳内を占めている。
兄である類の登場は彼にとって全くの予想外だった。帰国しているのは知っていたし近日中に家へ顔くらい出すだろうとも思っていたが、よりによってデスゲームの件で曽根崎が呼び出すのは想像の範疇を超えている。そうと事前に分かっていたら――分かりようなどなかったが――絶対に類があちらへ戻るのを待ってから発案していた筈だ。
「わあ……すごい……!」
「曽根崎の紅茶も久々ですね、楽しみです」
「もったいないお言葉。ささ、紅茶が冷めてしまいます前に席にお着きを。大切なお客様をいつまでも立ち話させておく訳にはまいりません」
将馬の苦悩など露知らず、他の者達は呑気なものだ。
こういったセッティングに憧れていたのか、西洋風の庭園で本格的なお茶会という構図に田江は目を輝かせているが、テーブルへ向かって一歩進んだところですぐにはっと全身を硬直させる。
「あ、す、すみません! 使用人が主人と同じ席に着く事はできませんので、わたしはここで!」
「あー、いいよいいよそういうのは。仕事中でもないのに、横に立たせたままこっちだけ座ってる方が逆にやり辛いから。しかも僕から頼んで参加してもらってるんだしさ。だろ、兄様」
「勿論です」
「……僕としては兄様にこそ本気で同席するつもりかって聞き直したいんだけどな」
「勿論です」
最初の勿論ですは田江に向けて、二度目のは将馬に向けて、類はにこやかに頷いた。
ところが将馬と類の双方から促されたにも関わらず、まだ田江は迷っているようだ。優誠もそんな田江の様子を見て、座っていいものかどうか困惑して立ち尽くしている。
自主性に任せると埒が明かないと判断した将馬は、座って、と再度促す。
「でも……」
「もし何か言われたら、僕と兄様が強要したと訴えればいいよ」
「う、訴えるだなんてそんな!」
「椅子に座って一緒に紅茶を飲めというパワハラですね、ははは」
たかが同じテーブルでティータイムを過ごすくらいで何を、とようやく類登場の衝撃から立ち直りつつあった将馬は考えてしまうが、それはあくまで主の側からの感覚であって、雇われる側からするとそう単純な話では済まないというのも理解はできた。
田江がこうまで躊躇するのは、曽根崎を気にしている為だろう。執事とメイドとでは仕事の分野が異なるものの、阿波辺邸で最も長いキャリアを誇る彼は能力面でも経歴面でも実質使用人ら全員のトップじみた一面を持つ。いくら二人から許可が出ようと、動きにくく感じてしまうのは無理もない。
仕方なく、曽根崎、と将馬は彼の名を呼んだ。
曽根崎は直ちに口を開く。
「坊っちゃんもこうおっしゃってくださっていますので、今日は特例という事でいかがでしょう」
「は、はいっ。曽根崎さんまでそう言うのでしたらっ!」
「そう言いながら曽根崎は絶対に同じ席に着かないよな」
「率先して曽根崎が座ってくれれば田江さんもいくらか座りやすくなるのでしょうけどねえ」
「申し訳ございません。謹んで辞退させていただきたく」
それもまた曽根崎らしいと将馬は苦笑した。見れば類も似たような表情をしている。
ともあれ、これによってようやく停滞していた時間が流れ出した。まずは将馬と類が。次に曽根崎が手ずから椅子を引いて田江と優誠を席に着かせる。田江はぺこぺこと頭を何度も下げて、優誠はおっかなびっくりといった様子で、背凭れに美しい彫刻が施された椅子に座った。
直線と曲線の組み合わさったフォルムの椅子は、見栄え優先という訳ではなく座り心地も悪くない。純白のクロスがかかった円形テーブルに乗った、これまた白のティーポットとカップにソーサー。こちらは完全な白ではなく、側面に青色の花が描かれている。中央にはガラスの花瓶に飾られた白薔薇。それぞれの席の前には菓子を取り分ける為の皿と、フォークにナプキン。ジャムとクリームを塗る為のナイフ。そして、三段にトレイの重なったケーキスタンドがふたつ。
まさに絵に描いたようなアフタヌーンティーセットに、二人が抑えきれない歓声をあげた。
「豪華ですね……オレこんなのテレビでしか見た事ないです! 確かイギリスのやつっすよね」
「感激……密かに憧れてたんです、このケーキスタンド……! 今日来て良かったあ!」
「紅茶だけではなくコーヒーなどもご用意できますから、ご遠慮なさらず申し付けてください」
「昼食が心なしか軽めだったのは、こいつを仕込んでたからか……茶葉は何?」
「本日はダージリンとなっております。癖がなくてよろしゅうございましょう」
「ああ曽根崎、俺は自分で注ぐから構わずに。さあ田江さんも友成さんも、紅茶が冷めてしまう前に遠慮なさらずどんどんじゃんじゃん好きなお菓子を召し上がってくださいねー。せっかく曽根崎が痛む腰を撫で撫で用意してくれたのですから、残したら逆に悪いですよ」
「普通はこんな大量に食えないけどな……」
「……ええっと、でもこれどうやって食べれば? こういうのって多分テーブルマナーみたいなのあるんすよね?」
視線をフォークやナプキンの上で右往左往させた後、優誠が助けを求めるように隣の田江を見る。田江はぎょっと身を強張らせて、ピスタチオケーキに伸ばしかけていた手を引っ込めた。そういえばマナーがあった、と思い出したような表情をしている。
曽根崎がそっと溜息をついた。
「あ、あの、わたしたちはあまりこういうのを支度する立場にないので、お作法について詳しいかっていうと……そのう……」
「いいよマナーどうこうは、気にしないで自由に食べな」
「坊っちゃんのおっしゃる通りですよ。たとえ間違っていたとしても、正しいマナーを心掛けようという気持ちさえあれば、この席では必要にして充分でございます」
「そもそもお茶会って忙しい日常を暫し忘れてリラックスする為に設ける場ですからねえ。お菓子を取る順番がぁー、なんて眉を吊り上げてたら本末転倒ってものです」
喋りながら、将馬と類はさっさと自分の皿に適当な菓子を取り分けてしまった。将馬は小振りなストロベリータルトを。類はお腹が空きましたと言いながら胡瓜とハムのサンドイッチにしている。順番もへったくれもない。
これも紳士の気遣いというのだろうか。ともあれこれによって田江と優誠が手を伸ばしやすくなったのは間違いなく、田江が最初に狙っていたケーキを、優誠は一回食べてみたかったと言いながらスコーンをそれぞれ取る。
和やかになった席を、曽根崎はひとりテーブル脇に立ったまま好ましげに見ていた。
「各自、お茶とお菓子は行き渡ったようですね。それでは気楽に食べながら本題を進めていくと致しましょうか。――坊っちゃん」
言外に出番ですよの意を込めて、曽根崎が将馬を呼ぶ。
いくら場を仕切るのが苦手でも、さすがにここで手綱を取らない訳にはいかない。将馬はタルトの残りを薫り高い紅茶で流し込むと、きゅっと襟元を締めた。
「じゃ、これから第一回デスゲーム会議を始めるよ。方針としては、どういった競技をやるかといったプログラムの組み立てが主になると思う。まずこれが決まらないと会場も道具も予算も見繕いようがないからね。最初だから、ごく小規模なものからスタートする予定でいる」
将馬は無意識に喉を撫でた。
滑り出しは上々。とはいえ順調なのはここまでである。
「といっても……あー……すまない。申し訳ない。実はこの企画が持ち上がったのはつい昨日で、こんなに早く人が集まるとは思ってなかったんだ。つまり、おおまかなプランすらまだ決まってない状態」
視線を気にしながら将馬は言った。
兄なら対象がデスゲームだろうと何だろうと、翌日までにそれなりの内容を練ってきているのだろうなと思いながら。
田江にも優誠にもこれといって失望した気配はない。こうした企画に将馬以上に不慣れな為、進行の良し悪しの判断材料を持っていないのだろう。
意外にも、フォローに回ったのは類ではなく曽根崎だった。
「お気になさる事はございません坊っちゃん。白紙の状態だからこそ却って計画が立てやすくなる、という事例もございます」
「……たとえば?」
「プログラムの組み立てと坊っちゃんは先程おっしゃいましたが、ではその際に必要となるのは何ですかな?
答えを言ってしまいますと、各ゲームがどういった内容なのかを知らなければ組み立てようがないでしょう。徒競走や大玉転がし、玉入れ、リレー……地域や学校による多少の違いこそあれど、それぞれの競技のルールが広く知られ、また大きく変動しないからこそ、全国で当たり前のように運動会が開催できるのです。
最初は花形ともいえる徒競走から始め、一段落ついたところでチーム競技や家族競技で一息入れつつ盛り上げ、昼食を挟み、午後にダンスなど毛色の変わった団体競技を持ってきて最後はリレーで締める、といった具合ですな」
「なーるほど、運動会に例えると分かりやすいな。玉入れや綱引きを全く知らないんじゃどこに挟んでいいかも見当がつかんって事か。優誠くんの学校はどう?」
「うちもそんな感じですね。大縄跳びとかもあります」
中央から割ったスコーンに、嬉しそうにクロテッドクリームを盛りながら優誠が答えた。
「問題は運動会と違って、デスゲームの種目と聞かされてぱっと共通するイメージが浮かびにくい事です。デスゲームの流れには定番が存在しません。定番として広く認識されるほどデスゲームには歴史がないのですよ坊っちゃん」
「先人の功績に完全には乗っかれないというのは苦労しますよねえ。そのぶん自由だとも言えますけれど。田江さん、ケーキをもうひとついかがですか?」
「あっ、はっはい頂きます! ってあっあの自分で取りますからー!」
即ち、と曽根崎が軽い咳払いをする。
「プログラムを作るよりも先に、デスゲームの競技というと何があるのかを書き出し、それらを自分でやるならどう味付けするか決めていく事です。さすれば自ずと取捨選択は進み、プログラムなど自然と浮かんでくるもの。ああ、一息入れる時間もお忘れなく」
「一息入れられるデスゲームって何だよ」
「休憩時間は重要ですよショーマ、あいつが裏切っているかもしれないと疑心暗鬼に陥らせる為にも緩急はつけてあげませんと。余計な考えというのは、隣り合わせの死から一旦解放された空白の時間にこそ生まれてくるのです」
「兄様って海外でなんの仕事してんの? デスゲームの運営?」
にわかに経歴が疑わしくなってきた類は、実際のところここまでほとんど口を挟まずゲストのもてなしに専念している。
まだ自分の出る幕ではないと待機しているのか、極力、将馬の自主性に任せようとしているのか。
普段なら優秀な兄がいるのは渡りに船とばかりに舵取りを投げてしまうところだが、今は違う。曽根崎がざっと道筋を作ってくれたおかげで、格段に手順を立てやすくなっている。むしろ、下手にこれとこれをやるぞと決めてしまってから今日を迎えるよりこの方が良かったような気さえしてくるから、人を乗せるのがうまいものだ。
よし、と将馬は気合いを入れる。おぼろげだったデスゲームの輪郭が、ぼんやりと形を成しつつあった。
そんな将馬を見て、曽根崎がそっとハンカチで目元を抑える。
「ふふ……」
「どうした曽根崎」
「いえ、私は嬉しいのです。幼少時から引っ込み思案だった坊っちゃんが懸命に場を引っ張っていこうとなされて……」
「デスゲームだぞ正気になれ」
「失礼致しました。
でしゃばりついでに私からもうひとつ提案なのですが、本日は皆様こうして当家自慢の庭園に囲まれながらのティータイムを楽しんでおられます。そこで……いかがでしょう、ここは庭を使ったデスゲームについて考えてみる、というのは」
曽根崎の声に答えるように、チチチ、と遠くで鳥が鳴いた。