914.2-12「天上」
「おぉ〜……。すご」
扉を潜ると、そこには絶景が広がっていた。
三千メートルを超える〝ラキア山〟の頂上に位置するだけあって、何もかもが眼下にあった。地平線に消えていく太陽も、点在する雲も、無限に広がる大地も……。アルメイダの街並みは、もはや視界にも入らない。
雲の海だらけだった〝原初の時代〟でもみられなかった、素晴らしい光景だった。
「〝天上御堂〟は特別な場所ですからね。我らが〝主〟が、この世の全てを見渡せるように……そう願いを込めて築かれた聖堂なのです」
「ふぅん……。あぁ……じゃあ、あの椅子に座るのは神サマ?」
「〝空の玉座〟といいまして。我らが〝主〟がおわす場所でございます」
「やっぱり……。ルセーナ……アベジャネーダの案内人から聞いたんだよ。エマールのお城にも、〝空の玉座〟があるんだってさ」
「解釈の違いにより、道を分つこととなりましたが……。初代エマール……〝イエロウ派〟も、元は志を同じくする者。三百年前は、確かに信念があったのでしょう。それを否定することができないがゆえに、打つ手がなかったのです……」
〝天上御堂〟からは長く幅広な階段が続き、それを下ることとなる。三千メートルを超えた場所というだけあって、キラも慎重にならざるをえない。
というのに、先頭をゆくセラフィムもその後ろに続くエステルも、慣れたようにツタツタと階段を降りていく。
「で……。この先の建物は何? 教会?」
「修道院です。父をはじめとして、高位の神官たちが住んでいるんです」
「修道院……? それって、修道士と修道女とか……見習いみたいな人たちの下宿先を指すんじゃないの?」
「公には〝マリアの家〟という宿舎としています。ただ、実際には我らが〝主〟の〝御言葉〟を授かるための修行の場……。私もつい先日知りまして……その所感が修道院というわけです」
「なぁるほど……? 〝御言葉〟……って、実際にお告げみたいなものがあるってこと?」
「残念ながら、過去に一度もその例はありません」
「へ……? んー……?」
じゃあ意味がないじゃん。と口に出してはいけないということは、アベジャネーダへの行程でよくよく理解した。
ましてや相手は教皇カスティーリャの娘……口が裂けても粗相はできない。
「不思議に思われますか?」
「ん、ん……。ちょっとは」
「ふふ。そうでしょうね。以前の私ならば、きっと同じ感想を抱いたでしょう。父は教皇という立場にありながらも、訳のわからぬ修行に心血を注いでいるのですから」
「今は……どう感じてるの?」
「〝今〟というものが〝未来〟への足がかりになる、と。ここ毎日、そう強く思っています」
「……?」
要領を得ない答え方に首を傾げていると、〝マリアの家〟に到着した。
〝天上御堂〟と同じく、〝マリアの家〟も見かけは厳かな建物だった。
しかし中に入ると、びっくりするほどに素朴。
敷かれた絨毯に模様はなく、柱や壁にも装飾はない。確かに、修道院と言われても不思議ではないくらい一切飾り気がなかった。
「――こちらです」
〝天上大階段〟と呼ばれる階段から続く扉は、〝マリアの家〟の三階に繋がっていた。教皇カスティーリャの公務室があるそうで、それも相まって人気がない。
それにしては随分と静かな〝家〟の中を歩いたのだが……そうはいっても、まっすぐに伸びる廊下を突き当たりまで進んだだけ。〝天上御堂〟から一切曲がり角がなかったことを考えると、〝主〟とやらのための通り道でもあるのだろう。
どうやら〝主〟は随分と愛されているらしいと感じつつ、エステルの案内に従い室内に入った。
「――竜ノ騎士団〝元帥〟キラ殿、で間違いはないか?」
「……そう、です」
その部屋は少しばかり奇妙なところがあった。
部屋二つを繋げたかのように細長く、それに合わせたかのように長い机が中央に据えられている。
ただし、用意されている椅子は二脚だけ。対面する形ではあるものの、ひどく距離感がある。
そして極め付けは、〝マリアの家〟の飾り気のなさからは考えられないほど、内装が凝っていること。長テーブルも椅子も、敷かれた絨毯も、窓にかかるカーテンも……。職人の手によって生み出された芸術品だった。
教皇の公務室ではないのは確か。かと言って、来賓を迎える場にも思えない。むろん、大人数で食事会を想定したものではない。
観察すればするほどに、その用途がわからなくなる不思議な内装だった。
「話を聞こう……。掛けるとよろしい」
仰々しい祭服に身を包んだその人物……教皇カスティーリャは、すでに長いテーブルの向こう側に座していた。
想像に違わず、その見た目も厳格な人物だった。
白髪の混じるブロンドをオールバックにしてなでつけ、剣呑な目つきには濃い眉が伴っている。顔中には年相応のシワが刻まれ、その全てをもって威厳としていた。




