894.1-8「流れるように」
リーウは一見平気そうに見えるものの、〝魔瞳〟を通して観察してみるとそうでもない。
体内の〝魔素〟を消耗しすぎている。
顕著なのは右の脇腹部分……ほぼ枯渇している。
単に魔法を使っただけでは、こうはならない。命に関わるほど酷い怪我をしたのち、優秀な〝治癒〟の使い手に助けられたのだろう。
その影響が小さいわけがない。
体内の〝魔素〟のバランスが大きく崩れ、簡単な〝治癒の魔法〟でさえも使いづらいはず。事実、リーウは戦士の傷を治すのにもかなり苦労していた。
「とはいえ……。ふむ……。緊急任務とはいえ、お忍びではありますからね。少しばかり人目は気にする必要はありましょう」
「え……? へっ……?」
〝ドーム〟内を見渡して、その術者に目をつける。顎の割れた紳士が、顔色を悪くしながらも〝ドーム〟を維持している。
「そこのあなた。見覚えがあります。名は?」
「ロ、ローランだ……。〝平和の味方〟である……! しかし今は――」
「ええ、わかっています。耳を塞いでもらえますか。しっかりと」
「……?」
「リーウさんと、それからついでにあなたも」
ローランは実直に、リーウは困惑しながら、ブラックは憮然としつつ。三者三様に耳を塞いだところで、セレナは指笛を鳴らした。
〝ドーム〟内で怯えていた一般市民たちはもちろん、外で戦っている戦士も、そして異形の悪魔たちも。
どれだけ知能が低かろうが、脳があるすべての生き物は、〝催眠の魔法〟によって眠りについた。
「……さすがに。噂に聞く〝元帥〟なだけはある。到着してものの五秒で事態を収めるとは、思ってもみなかった」
「おや。あなたでもヒトを褒めることがあるのですね」
「俺よりも格上がいるなど、厭というほど知っている」
ブラックのその含みのある言い方と、やたらと穏やかな口調に、セレナは首を傾げた。
が、事情を追求している場合ではないと、ほかならぬリーウが教えてくれる。
「あ、ああ、あの……! なぜ、セレナ様がここにっ?」
続けてローランも混乱の極みを見せる。
「なんだなんだなんだっ? 吾輩、さっぱりだ!」
その心情はともかく、二人の顔色があっという間に良くなっていく。それだけ逼迫していた状況だったのだろう。
「私はブラックに連れられただけです。なにやら緊急事態であるからと……。実際、何が起こったのでしょうか?」
セレナはリーウのそばに膝をつき、枯渇のひどい横腹に手を当てる。〝魔素〟が体内を正常に循環するように、ゆっくりとコントロールする。
「吾輩はとんと理解できていないのでな」
「では、このドームを張り続けることは可能でしょうか? あなたも酷い怪我の痕跡が見えますが」
「なに。体が頑丈なのが唯一の取り柄! どれだけでも耐えて見せようぞ」
「頼もしい限りです」
元気はつらつな口調にセレナは頬を緩め、リーウに目を向けた。
「気を失っていたので、私も何がどうなっているかは……。目が覚めたら、ドタバタとここまで連れられて……。そうしましたら、空からたくさんの人魂が降り注いで……」
「人魂……? 魔獣ともいえない、あの異形のモンスターたちではなく?」
「私も信じられないのですが……。人魂が瓦礫に入り込んで、まるで悪魔のような見た目の獣に変身したんです」
「ふむ……。空に何かが……?」
セレナは空を仰ぎ見た。確かに、はるか上空にひび割れのようなものが見える。
「〝黄昏現象〟に類似した事象でしょうか……。しかし、人魂が悪魔に転じるという話も、空がひび割れたという話も、聞いたこともありません……。ブラック、あなたは何か知っているのでは?」
「……俺も、アレは知らない」
「この期に及んで隠し事とは。どういうつもりです?」
「事実だ。想像はついているが……。それを明かすわけにはいかない」
セレナとしては納得はできない。
が、まるでヒトが変わったかのような言動や、悪魔について『想像がついている』と言及した点を踏まえると、何かがあったのは確実。それこそ、人生観をガラリと変えるような大きな出来事が……。
そしてそれには、キラも大きく関わっている。
ゆえに……。セレナはこの場で問いただすような真似はしなかった。
「あなたの行動には多々疑問が残りますが……キラ様が関わっているとなれば、多少は目をつむりましょう。キラ様の信頼に感謝することです」
「ふん……。そんなことは重々承知している」
「……」
ブラックの異様なまでのキラへの入れ込みように、さすがにいくつか言葉が出そうになった。
それをグッと飲み込んで、セレナはリーウに目をやる。彼女の体内に〝魔素〟が循環し始めたのを確認してから、次の算段を立てた。
「連れてこられたといっていましたが。その方達は、この周りにいますか?」
「いえ……。ああ、そうです……! レルマさんたち、逃げ遅れたヒトがいないか探してくると……!」
「落ち着いてください。私が向かいましょう。――ブラック。この場を任せます」
ブラックを完全に信用したわけではないが、それでも、リーウたちの窮地に駆けつけられたのは事実。キラに任せられたというのも本当だろう。
今のブラックならば大丈夫。セレナはそう判断して、〝風の魔法〟でふわりと浮いた。




