893.1-7「変移」
「流石に……。飛ばしすぎたか」
扉の中心が渦巻いたかと思うと〝闇〟の穴が開き、ヒトが飛び込んできた。その人物は、崩れ落ちるようにして床に膝をつき、荒く息をつく。
「ブラック……! なぜここに……!」
長く真っ白な髪に、血のように真っ赤な瞳。
一度敵として合間見えたならば一生涯忘れることのないその特徴に、さすがのセレナも緊張を覚えた。
リリィもクロエも剣を携帯していない――部屋の中にあるとはいえブラックが相手では大きな隙となる――魔法使いとして前衛に出るべき。
瞬時に判断して、セレナは杖を引き抜き二人より前に出た。
「ここは竜ノ騎士団本部。なんの挨拶もなしに飛び込むとは、随分と無謀ですね。まさかとは思いますが、本部内であれば戦うのを控えるとでも?」
「一手目で仕掛けてこないだろうとは、踏んでいた。事実……。こうして対話ができている」
そこでセレナは奇妙に思った。
警戒を解くような真似はしないが、わずかに力が抜ける。
「なにやら消耗していますわね。首を垂れた状態で話を続けるとは、これまでの印象とかけ離れているように思います」
リリィも同じように違和感を覚えたらしい。ぶつぶつと怪訝そうにつぶやく。
「私は彼と直接対峙したことはありませんが、今の所、敵意は感じません……。そもそも、わかってここに現れたのならば、セレナさんのいうとおり、全くの無謀と言えるでしょう」
王国騎士軍〝総隊長補佐〟のクロエでさえ、どう対処すればいいか戸惑っている。
となれば、話を聞くのも一つの手。
セレナは杖をブラックに向けつつ、彼の求めている対話に応じてみた。
「簡潔に答えてください。何が目的で、私たちに接触したのでしょうか」
「……手を貸してほしい。我が主のために……キラ殿のために」
「キラ……殿?」
今度こそ、セレナはどう反応していいかわからなくなった。思わずリリィとクロエを振り返ってしまう。
しかし、彼女たちですら動揺を隠せずにいた。
なにせあのブラックが、〝キラ殿〟と口にしたのだ。誰にも靡かないような冷徹な男が、かつて敵だった人間に敬意を抱いている……。
「悪いが、あまり時間がない」
さらに続く言葉に、考える気力がなくなりそうだった。
『手を貸してほしい』『我が主』『悪いが』……。
本当に同一人物なのかと疑いたくなるかのような腰の低さだが、〝闇の神力〟がブラックであることを証明している。
「ここにいる三人がいれば、事態は収まる……。どうだ」
微妙なラインではあった。
たとえブラックがキラを尊敬していようとも、それを証明するものは何もなく、向かう先に本当にキラがいるかも判別できない。
とはいえ、ブラックは現れてからただの一度も立ち上がっていない。
それだけ消耗しているともいえるが、その状態を晒すこと自体が彼にとってはデメリットでしかない。
それに、もしもブラックのいうことが本当だったのならば。キラがアベジャネーダで窮地に陥っているところを、見て見ぬ振りをすることになる。
「――私が行きましょう」
「――わたくしが向かいます」
ほぼ同時に、セレナとリリィは決断していた。
クロエは、ワンテンポ遅れてから、
「私は……。王都に残ります」
絞り出すように意思を示した。
「――決定だ。今から向かうのはアベジャネーダの首都リケール。街全体が戦場となりつつある……二手に分かれて行動をしてもらう。いいな」
そうしてブラックの〝闇〟による瞬間移動により、立て続けに超常現象に揉まれるリケールに向かったのである。
「――ふむ。なるほど」
騙されて王都から連れ出されたのではないと、一目で分かる事態だった。
場所は街中。ぐるりと辺りを見回しても、残っている建物が少ないほどに瓦礫だらけ。
被災地といっても過言ではないその場所で、ヒトと悪魔の攻防が繰り広げられていた。
「一人で対処するな! 最低でも三人でかかれ!」
「固まれ、固まれ! 孤立するとやられるぞ!」
「負傷したらすぐに〝ドーム〟に引っ込め!」
目を引くのは、薄く青く輝く〝ドーム〟。
今までに見たこともないが、確かに魔法であるその〝力〟が、戦えない女子供や老人を守っていた。
獰猛な獣のような悪魔たちが〝ドーム〟に挑むも、その爪も牙も腕力も、一つとして歯がたたない。
セレナがブラックと共に降り立ったのは、その〝ドーム〟の内側。
治癒係として奮戦するリーウの真隣だった。
「――えっ? セレナ様っ」
〝ドーム〟の内側に入ってきた怪我人を治療していたリーウは、驚きでその手が止まっていた。
「治療中に意識を逸らすのはいけません。……もっとも、あなた自身もかなり無茶をしているようですが」




