890.1-4「沙汰」
「お前らは……何なんだ!」
会話すらも囮にして、即座に仕掛ける。
悪魔はボールのような体型を生かして、身軽に回避。そのまま地面で跳ねつつ、まるで煽るようにして甲高い声で答える。
「ア、ア、アッ! さァ〜、何だろうなァ! 実のとこ、オイラもよくわかんねぇんだな、これが!」
「転生だ何だっつってたろ!」
「答えてやらねェこともねェが、理解できるとは思えねェんでね! ア、ア、ア〜ッ!」
奇妙な笑い声を上げながら、毛玉の悪魔はぽよんぽよんと遠ざかっていく。
何か仕掛けてくるとばかり思っていたセドリックは、その動きを理解するのに時間がかかった。
「はっ? おい、逃げんな!」
「オイラ、知能はあるが戦えねェんでな。それと――気をつけろゥ! オイラたちは死人の集まり……生身の肉体をもってるわけじゃねェんでな!」
先ほど倒した熊の悪魔は、確かに奇妙な形で絶命していた。
致命傷を与えたにもかかわらず、血の一滴も出ていない。
まるでリアルなぬいぐるみと戦ったかのようで……事実、死体は抜け殻になっていた。みるみるうちに厚みがなくなり、カーペットのように薄くなる。
そうして風に攫われて消えてなくなり……ぽわん、と人魂が浮き出る。
「まさか……!」
セドリックは本能的に動いていた。剣が届くうちに、切り掛かる。
が、するりとすり抜ける。
切った感触など一切ない。
ドミニクも〝レッド・グローブ〟で燃やそうとしたが、やはりこれも効果なし。
そうしているうちに、その人魂はまた別の瓦礫に入り込み――熊の悪魔として復活を果たした。
「シスさん! これ、やばいっすよ!」
「厄介ダナ……! 〝不可視の魔法〟デモ捕えらえきれン……!」
辺りは……否、おそらくはリケール全体が、地獄と化していた。
突如として現れた悪魔たちに、誰もが逃げ惑うばかり。
マフィアやら海賊やらといった荒くれ者たちは何とか戦えているが、ろくに連携が取れていない。
互いに足を引っ張り、ほぼ自滅する形で命を落としていく。
戦えない一般市民は、さらに残酷。
逃げて、囲まれて、地に伏せる。
居合わせた騎士たちに懸命にすがるが、そのせいで苦戦を強いられている。
そんな周りのことを気にしてられないくらい、セドリックも手の届く範囲を守るので精一杯だった。
ドミニクと連携すれば、継戦は可能。エリックとスプーナーが声かけをしてくれるおかげで、死角もカバーできる。
だが、倒しても倒しても悪魔は復活する。
何か手立てを考えねば、全滅するのは目に見えていた。
「ハァ、ハァ……! エリック! あの毛玉、どこいったっ?」
「わっかんねぇよ! 他に喋るやつを見つけて問いただすしか――前、前!」
「……ッ!」
少しでも手掛かりがないかと視線を巡らしたのが悪かった。
ドミニクも、〝妖力〟の覚醒から疲弊が続くせいで、注意力が散漫になり……二人して、大鬼の悪魔の攻撃に反応が遅れた。
奥歯を噛み締めて、それでも何とか解決策を編み出そうとした、その時――。
「え」
すぐ目の前に、〝闇〟の塊が現れた。
その〝気配〟はゾッとするほどに重く、絶望感がひたすらに胸にのしかかる。
まだ何か起こるのか――さらに強力な悪魔か――それともこの訳のわからない現象を引き起こした超自然的な何かか。
「ぁ……」
もうダメだと、心が折れる。
頭が真っ白になり、何も考えられなくなった。
そうして――。
「手を貸してくれと、簡単に言いましたわね。――とんでもない事態ではありませんか」
聞き覚えのある可憐な声に、セドリックは目を見開いた。
〝闇〟の中からパッと伸びた手は、真っ白で華奢。その腕に〝紅の炎〟がまとわりつき――掌から放たれる。
まるで聖なる炎の如く。
熊の悪魔を焼き尽くし、ふわりと浮かぶ人魂すらも葬ってみせた。
「リリィ……さん?」
「ご無事で何よりですわ」
何が何だかわからず、夢かとすらも思ったが……確かに、竜ノ騎士団〝元帥〟リリィ・エルトリアその人が、〝闇〟より現れた。
紅色の騎士装束と、揺れるポニーテールの、存在感と安心感たるや。
セドリックは腰が抜けてしまい、ドミニクと一緒になってへたりこんでいた。
「状況を詳しく聞きたいところですが――その前に。つゆ払いをいたしましょう」
太陽のように美しく輝く〝元帥〟は、指の先からぽたりと〝紅の炎〟の雫を垂らした。
まるで大海をさざなみが駆け抜けていくように。
〝紅の炎〟という波が、地面を這っていく。
セドリックもドミニクもその波に飲まれたが、一つも熱くない。
だが悪魔たちにとっては、浄化の炎だったらしい。一様に悲鳴をあげ、絶命し……その魂までも焼き尽くされた。
まさしく、圧倒的。
シスですら活路を見出せなかったというのに、たったの一手で絶望的状況を跳ね除けてしまった。
「あら、あら、あら……。〝咎人〟らしく、随分と残虐だこと。しかし……劣勢を跳ね除けた点は、褒めて差し上げましょう」
そんな中で、聞き覚えのない女性の声が艶かしく響く。
辺りを見回しても誰もいない。ただ、リリィは冷静にその位置を把握していたらしく……彼女の見つめる先で、黒いモヤが渦巻き始めた。
現れたのは、魔女。
尖った帽子に、腰元までウェーブする長い髪、スラリとした体つきを際立たせるドレス。その全てが黒ずくめで、肌は死人を思わせるほどに青白い。
ヒトの形をしていたが、同じ人間とは思えないほどに異質だった。
「魔法でも〝神力〟でもない……わたくしたちには縁遠い〝力〟の持ち主。貴女から直接事情を伺った方が早そうですわね」
不気味な現れ方をした魔女にも、〝元帥〟リリィは臆さなかった。白銀の剣を引き抜き、いつ何が起こってもいいように身構える。
「ええ……。お互いに、ね」
「……? どういう意味でしょうか」
「ワタシたちの目的はただ一つ。〝神殺し〟の身柄をよこしなさい」
「〝神殺し〟……?」
「黒髪に〝雷〟、そして刀……。名を、キラ」
「……!」
いまだに何一つわからないが、セドリックもこれから起こることは理解できた。力の抜け切ったドミニクを抱えて、〝元帥〟から遠ざかる。
彼女の戦いの邪魔にならないようその場を退散したところで――。
「どうやら、穏便な話し合いは出来そうもありませんわね」
「あら。ワタシは、最初からそうなると分かっていたわ」
短いやり取りを皮切りに、〝元帥〟と謎の魔女が衝突した。
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