880.原初の時代
「今、この瞬間……魔法って〝理〟が生まれたんだ」
キラは無意識のうちに床を這いずっていた。思い通りに動かない身体で、もっとよく〝理〟の誕生を観察しようと試みる。
そこをブラックが助け起こしてくれ、反対側からネメアも支えてくれる。
「ねえ……。どうなると思う?」
「〝黄昏現象〟の特徴は、大きく三つ。一つは、さっきも言った通り、〝魔素〟が急激に上昇すること」
〝六つ目の獣〟の姿が、もうほとんどなくなっていた。
あるのは、天と地をつなぐドス黒い滝。大陸一つを丸々飲み込むのではないかと思うほどの、広範囲にも及ぶ〝魔素〟の滝である。
天変地異としか言い表しようのない光景に、〝ヨアラシ〟クルーも呆然とするばかり。
「二つ目は、〝魔物〟が現れること」
「〝魔物〟……?」
まるで世界を分断するかのような滝に、隅々にまで目をやりつつ、キラは当時のことを思い起こした。
いったい何が起きていたのか、伝え聞いたことも含めて……。
「僕らの時代には”魔獣”ってのがいるんだけど……。それとよく似た異形の獣さ。一つ違うのは、目玉が身体中についてること」
「うぇ……」
不思議なことに、よく頭が働いた。
いろいろなことが繋がっていく。
「そして三つ目が、〝腕〟が現れること」
「――ねえ。もしかして……」
簡潔に伝えるほどに確実になっていく気がした。
「もともと……。〝魔獣〟ってのは、ある特定の〝ポイント〟しか出現しないんだよ。街や街道は、それを避ける形で築かれてるって聞いた。そして〝魔物〟は……広がった黄昏色の空の下なら、大地から次々と湧いてくる」
「〝魔獣〟も〝魔物〟も、根本的な生態はそう変わらない……」
「〝魔獣〟は死んだら、〝地喰い現象〟で大地に還る。そして〝魔物〟も同じ。ただ、違うのは……ヒトを喰べたあとも、そのまま死んでしまうってこと」
「〝魔物〟には人を喰らう理由がある……」
「だけど……。僕は、標的にならなかった。明確に避けられたんだよ。きっと、それは――」
「キラくんは……〝授かりし者〟〝魔素〟を多く持たないから。つまりは――」
大陸規模の〝魔素〟の滝が、不気味なほどに静まり返る。
「〝魔素〟っていうのは、全部、〝六つ目の獣〟のものだったんだ。そして〝魔物〟は、〝魔素〟を取り戻すための〝六つ目の獣〟の分身体……。たぶん、〝魔獣〟ももともとはそうだったはず」
それがすべて真実なのだとしたら、これから起こることにもある程度予想がつく。
「全部、ここから始まったんだ。〝魔素〟を解き放つことこそが、〝六つ目の獣〟の最後にして最大の魔法で……苦境を強いられた〝獣〟の、反撃の一手だったんだ」
〝黄昏現象〟では、大地から次々と〝魔物〟が現れた。
それはおそらく、〝六つ目の獣〟が地中に封印されていたから。
しかし今は、まだ目の前にいる。すなわち――。
「世界が、〝魔物〟で溢れる」
天に遡るばかりだった〝魔素〟の滝が、逆流する。
凄まじい勢いで地上へ降りかかり、世界を丸ごと飲み込む濁流にまで発展した。
おそらく、地上にいたのならば無事では済まなかっただろう。何せ〝魔素〟の濁流は、地上を覆い尽くす雲までも蹴散らしていく。
もはや、この世のどこにも逃げ場はない。
「高度上昇!」
「やってるって! でも――ッ」
「衝撃に備えて!」
濁流が、すぐ目の前にまで迫っていた。
「――下手に動かすな」
皆が焦りだし……そこへ、ブラックの声が響いた。
同時に、〝ヨアラシ〟が〝闇の神力〟によるバリアが囲まれる。
むろん、それで〝魔素〟の襲来を防げるわけではないが、少なくとも雲上で転覆するようなことはなくなった。
〈キラくん、平気?〉
「まあね……。けど、この息苦しさは……想像以上」
ネメアたちは戸惑いこそしていたが、パニックにはならなかった。息苦しさの度合いを見極めつつ、〝ヨアラシ〟の確認に入る。
並行して、各〝雲島〟に連絡。いろいろなところから話が聞こえるが、一応はどこも無事らしい。
「みんな、聞いて!」
ネメアが声を張りあげる。少しでも時間を無駄にしないように、誰にも注目されずとも、間髪入れずに言葉を続ける。
「これから、キラくんたちを元の時代に届ける! 座標がどうなってるかわからないけど、環境サンプルなら周りにいくらでもある――から、即計算し直すこと!」
返事はない。皆、言われるまでもないとばかりに、すでに行動に移していた。
連絡を終えた者が何やら慌ただしく船内へ入っていったり、逆に船内から出てきたものが皆に武器を手渡していったり。
「で、これは絶対条件! キラくんには、何があっても、戦わせないこと! 死ぬ気で防衛!」
これには、全員が全員、気合いのこもった返事をした。ブラックですらも軽く頷き、執念を燃やしている。
皆の熱意に置いてけぼりにされそうになったキラは、ムッとして口を出した。
「僕だって、戦えるさ」
「重症人は黙ってっ」
「む……」
こればかりは文句いわせないとばかりに、ネメアがキッと睨んでくる。
〈キラくん、ここは頼ろうよ〉
「本当になんともないんだけどな……。さっきふらついたのも、寝起きだったからだし」
〈それはネメアちゃんたちの尽力のおかげ。普通とは思わないこと〉
そういわれてしまえば引っ込む他にはない。せめて足手纏いにはならないようにと、ブラックから離れてしっかりと自分の足で立った。




