879.てんき
少ししてから、キラの手術が終わった。
ブラックも執刀医のアノスも助手たちも、一斉に腰を抜かした。取り囲んだ皆も安堵して息をついてたことから、無事に乗り切ったらしい。
「アノス。キラくんの意識、戻りそう?」
「元の時代に戻るまでっていう話なら、五分五分か。〝闇〟の力の……ブラックのおかげで、麻酔もほぼ使わずに済んだからな」
ネメアは少し考えてから、ブラックに提案した。
「キラくんが目を覚ましても覚さなくても、お願いできる? 説明とか諸々込みで」
「当たり前だ……。それより、〝獣〟のほうはどうなってる。対処できるんだろうな」
「もちろんさ」
言葉ではそう言ったが、心中は穏やかではなかった。
本部を飛び出してから、通信は意図的に切ってある。
〝ヘクトル〟や他の〝雲島〟に何かがあったとして、その報告を聞いてしまったら、確実に判断が鈍る。
そうやってキラのもとへ駆けつけたからこそ、仲間たちのほうを振り返るのが恐ろしい。
〝六つ目の獣〟の巨大化に〝亜人〟との戦闘と、想定外が続いている……何があってもおかしくはない。
ネメアは〝ムゲンポーチ〟からスマホを取り出そうと、のろのろと手を動かし……。
『こっちゃ形勢逆転しよったで! そっちはどないなっとんっ?』
スマホ一つ取り出すのにもまごついていると、ぴと、と電話口を押し付けられた。
見れば、レタが自分の端末を押し付けてきている。
「あ、あ〜……。ペンドラゴン? 形勢逆転、っていうのは……?」
『まあ、ちぃっとばっかしまずい状況やあったんやけどな? 島が落とされるわ、オロスらとは連絡が取れんくなるわ……』
「……っ。被害状況は……?」
『島の半分が墜ちてもうてな。まあ、もともと雲上生活で色々と用意はあったし、なにより墜落まで高度がある。重傷人は何人か出てもうたが、全員が脱出。なんなら各舟で反撃もしよる。頼もしいったらないで!』
「そっか……。オロスのおっちゃんたちは、どうなの? その様子だと、無事なんでしょ……?」
『正直な話、誰が生き残っとるんかはハッキリせん。そやけどな。〝六つ目の獣〟が呆けた一瞬があったんよ。その隙を逃さず、誰かが――あるいは全員かもしれんが、首を斬りつけたんや!』
「……!」
『殺すには至らんかったが、それでも十分! ようやくこっちのペースで攻撃を撃ち込めるようになったんや!』
「よかったあ……!」
ヒヤリとした分だけ、力が抜けた気がした。ネメアはそのまま腰を抜かしてしまい、レタにもたれかかりつつ、座り込む。
〝ヨアラシ〟クルーも、それが良い報告の証拠であると悟ったらしい。今度こそ、歓声をあげて、明るくなる未来を喜んだ。
『そいで、そっちは? 少なくとも〝ヨアラシ〟は無事なんやな?』
「うん……。こっちは死人なし。キラくんの心臓が破裂したくらい……」
『はっ? そら死人なしとは言わんやろ!』
「もちろん、助かったよ。間一髪でね。で――〝亜人〟、倒してくれたんだ」
『なんやて……なんやて! そらあ……そら……ッ! こ、言葉も出てこんわ!』
「だよね〜……。ホント、すごいよ。でも、ちょっとした問題が残ってね……。あれ? 聞いてる?」
賑やかしが大好物なペンドラゴンのこと。おそらくは盛りに盛って〝亜人〟討伐を皆に伝えたのだろう。
まるで爆発でもしたかのような感情が、電話口から轟いた。
ネメアは思わず耳を離して、レタと顔を見合わせる。
いつもはクールな彼女の顔つきがひどく緩んでいて……ネメアもおそらく同じような顔つきをしていたのだろう。
どちらともなく、吹き出していた。
『ほいで、ほいで? 問題ってのは?』
「ちゃんと聞いてんじゃん」
『そう言わんといてえな。で、なにがあってん?』
「〝亜人〟は確かに死んだんだけどね。その〝力〟は消滅せずに留まってたんだよ。こう……〝亜空〟の力に取り憑いていた人格が消えた、みたいな感じ?」
『ほぉん……? 〝亜人〟は〝カミ〟っちゅう話やし、死に様が全く別の形やってもおかしくはないが……。不気味やな』
「でしょ? で、前にも話した〝氷枷〟。あれ使ったらクリスタルの結晶みたいになって……〝波動〟もきちんと停止したの。どう思う?」
『実物を見てみんと、どうにも判断できんなあ。繰り返しかもしらんが、危険性はないんやな?』
「今のところはね。持って帰るまで経過観察はしておくから、容器か何かを……」
『――なんや? どないしたっ』
ペンドラゴンの声色が急に変わる。
ネメアは緩んでいた空気がピリつくのを感じ……それが、現実に起こっているのだと知った。
すなわち。
〝カオス〟が発生したのである。
○ ○ ○
誰かに耳元で叫ばれた気がして、キラは飛び起きたのであるが……。
正直に言って、何が何だかわかっていなかった。
心臓が破裂しただのなんだのと説明を受けても、何一つ頭に入ってこない。おそらくエルトも同じで……説明してくれているブラックすらも、もはや自分が何をどこまで話しているのかをわかっていない。
それほどの事態が、〝カオス〟だった。
「この感じ……」
中型高速船〝ヨアラシ〟が向いている先。
何百キロメートルと先には〝六つ目の獣〟がいて、マントス率いる古代人たちが、人類の存亡をかけて死闘を繰り広げている。
そのはずなのだが……。
〈〝黄昏現象〟……!〉
今いる場所からでも、うっすらと〝六つ目の獣〟の姿が確認できる。
その〝獣〟の姿が、徐々に形崩れしているように見えた。溶けゆく身体は重力に従って地上へ落ちていくのではなく、天へと遡っていく。
「それは……。どういう意味だ」
「前に巻き込まれてさ……。急激に〝魔素〟の濃度が上がって……〝六つ目の獣〟の〝腕〟が現れたんだよ」
「〝魔素〟……。だが、この時代にはまだ魔法はない……」
「今、この瞬間……魔法って〝理〟が生まれたんだ」




