863.〝神〟
「貴様……!」
「我慢比べといこうじゃん……!」
防御面を展開していてもなお、右足は潰れそうなほどに悲鳴を上げる。
痛みに叫びたいのをグッと堪えて、代わりにニヤリと笑って見せる。
「〝パルスドーム〟――」
〝キューブ〟内の天使を、〝パルスドーム〟で覆う。
同時に、〝キューブ〟も爆発の前兆を見せる。
「〝テラヴォルト〟!」
古代人が〝六つ目の獣〟に追い詰められ、初めて命の危険を知ったように。
天使もまた、自身に迫る恐怖を初めて感じたらしい。
そもそもが〝神〟。
この世の理そのものが、己を脅かす敵なり事象なりに遭遇することはまずないだろう。
小さな太陽の如く渦巻く〝雷〟に、〝神〟は恐怖に従った。
遠く離れた後方に〝キューブ〟を作り、即座に転移。〝パルスドーム〟から逃れるだけでなく、〝影〟の領域からも脱出する。
その様子から目を離さず、キラは左足のみで空を蹴って後退した。
「〝術式:魔導〟……!」
危機は回避したとはいえ、右足はズタボロ。
動かそうとすれば、たちまち激痛が走る。
それだけでなく、二度の〝キューブ〟の爆破で受けた傷も、無視できないくらいには痛い。
「〝治癒〟」
〝魔素〟の存在しないこの時代において、一度しか使えない擬似魔法。
神経に宿る〝魔素〟に〝波動術〟で干渉し、自己回復をはかる。
とはいえ、〝妖力〟分の〝魔素〟を使い回すことはできず、そもそも〝魔素〟を保有しにくい〝授かりし者〟。
出血と痛みが引くくらいで、たいして治癒はできない。
右足に至っては痛みを取り除くことはできず、正しく動けるかどうかもわからない。
「俺が補助しよう」
隣に降り立ったブラックが、〝闇〟の力で追加の応急処置を施してくれる。
足元から這い上がってくる〝闇〟が、ぺたぺたと傷を塞いでいく。
たったそれだけだったが、そのおかげで傷が外気にさらされることがなくなり、嘘のように痛みがなくなった。
〝闇〟が動作の補助もしてくれるのか、ほぼ真っ黒になった右足も動かせるようになる。
「これは……すごいね」
「鎮痛作用も含んでいる。だが気をつけろ……〝錯覚系統〟とおなじく、傷をなかったことにはしていない」
「わかった。ありがとう」
「で……。どうする。この状況……相当に分が悪い」
「まあ……。けど、策はある。――さっき捕まった時、使おうかどうか迷ったんだけど。〝雷〟撃つ方が速かったし、それに、ちょっと距離があったからね」
「使う……? ……なるほど」
もっと詳細に詰めたかったが、敵の前でそんな相談をするわけにもいかない。
そもそも、具体的な動きを決めたところで、〝神〟の前ではほぼ意味はないだろう。
それよりも、遠く離れてしまった敵の動きに神経を研ぎ澄ませ……それも相まって、奇妙に響く声に、キラは目を細めた。
「なぜ……。抗う?」
咄嗟にブラックに目配せをする。
天使の義体……その心臓部から発する〝神力〟が、尋常ではないほどに高まり始めた。
もはや、〝キューブ〟がなくとも辺り一帯の空間を自由に操ることができる。声が近くに聞こえるのがその証拠と言える。
こうして空中に止まっているだけでも、危険な状況だった。
何もなしにただ突っ立っているだけでは、即、死。
対策を練るだけの時間が必要だった。空間の支配を得意とするブラックを頼りにしつつ、キラは対話を試みた。
「なぜ……? それを、今更僕らに問う?」
「〝界域〟という〝理〟すらも知らぬ下等種族が……。醜く踠いてくれるな」
「それはまた……随分な誹りだ。理由をオウカガイしてもヨロシイでしょうか、神サマ?」
〝界域〟と呼ばれる〝理〟、〝神〟が天使の義体を使う理由、下等生物などという謂れのない暴言。
おそらくは古代人すらも知らないであろうそれらに、キラは興味があった。知っておかねばならないと、直感したのである。
「〝理〟は、〝混沌〟より発生する。この星がその爆発から生まれたが故に……その定めからは逃れられない」
「……〝混沌〟」
「星とともに、〝生命の神〟が産まれ落ちた。彼女こそが〝原初の神〟……あまねく生命の母。ある意味では、我々を産んだ〝神〟といえような」
「ふん……? 〝神〟でも親は大切か……。で、ある意味ってのは?」
「……。母なる〝神〟は、命を産み落とした……彼女の思いのままに。ノームやシルフといった妖精、ユニコーンやケルベロスなどの幻獣……。空を泳ぐドラゴン属、闇に潜む悪魔属、海の支配者たる水妖属。そして、〝神〟にも至る〝知能〟を有し、調停者として産み落とされた真なる人属。その全てを以て、この世の原型を造った」
「この世の……原型?」
「あまねく命が、母なる〝神〟より役割を与えられていた。単なる大きな土塊でしかなかったこの星に、海を、川を、森を生み出し、循環させる……それだけの強大な〝力〟を、与えられたのだ。その全てに死という〝理〟などなく、永遠の楽園が築かれる……はずだった」
「死が……ない? それすらも〝理〟だった……。――まさか」
「――この星は、渦巻く〝力〟に耐えきれなかった。一度目の〝混沌〟である。山が火を吹き、海が荒れ、大空が渦巻き……その環境が百年たったのち、ほとんど全ての種が死に絶えた。そうでなくとも、〝死〟という〝理〟を〝命脈〟にねじ込まれた。貴様のいう、古代人の誕生だ」
状況が状況なら、もっと素直に反応できただろう。
たとえネメアら古代人だろうと、どうあがいても到底辿り着くことのできない世界の歴史。その誕生秘話を、こうして聞けているのだから。
だが、歴史を紐解いて聞かせている〝神〟は、今は敵。
キラは話を聞いてはいたが、頭の中は一秒先のことで一杯一杯だった。




