858.編む
「すっごくデカイんだけど!」
前までは、〝六つ目の獣〟は雲の海から顔を出す程度だった。
それが今は、頭はもちろん、胴体も雲から完全にはみ出る大きさ。
頭を振っただけで周囲の雲が散っていき、それが嵐となって数百キロにわたって雲の海をかき乱す。
〈マズイな……。あの大きさじゃあ、座標が足元に埋まってる……!〉
「それに、まだ二百キロ以上は離れてるはずなのに……〝獣〟の起こした暴風で、操縦桿が暴れる……! あんなの、近づいただけで即墜落だよ!」
〝六つ目の獣〟を舐めていたわけではなかった。
その危険性を肌で感じたからこそ、〝覇術〟も〝コード〟も限りなく完璧に仕上げた。最後の作戦会議でもマントスが散々注意してくれていたし、それを脳に刻みつけた。
ただ。
その全てを覆すほどに、〝六つ目の獣〟は〝怪物〟だったというだけ。
「……! スマホに着信……?」
〝ムゲン・ポーチ〟の内側から、スマホ独特の電子音が鳴り響く。
エルトはアクセルペダルから少し足を離して、スマホを取り出した。
画面に映るのは、昨日ネメアと撮った写真。緑色のアイコンをスワイプして応答すると、ネメアの焦った声が聞こえた。
『ごめん、三人とも! マズイことになっちゃった!』
ぶつぶつと途切れてはいるが、彼女の焦りが如実に伝わる。
「今朝の作戦会議だと、あんなにデカくはなかったよね?」
『そう、それ。伝達ミスなんかじゃないんだよ……!』
「ってことは、急激に成長した……?」
『間違いなく〝亜人〟がそばにいる! 気を……つけ……――!』
「……!」
通信距離に限界が切れたのか、その忠告を最後に通話が切れた。
「……どうする」
そう問いかけたのはブラック。通話口から漏れる声で大方の内容を把握したらしい。
〈――余力を残すなんて甘い、ってのは確かだ〉
〝亜人〟……すなわち、〝神〟。
この世の全ての創造主。
理、そのもの。
「けど、私たちに……。何ができるの?」
珍しく、エルトが消え入りそうな声で問いかけてくる。
それに、キラも明確な答えなど持っていなかった。〝神〟嫌いではあるものの、今の自分がその領域に届くわけがないことは解りきっている。
正直に言えば、このまま引き返したかった。ネメアたちと合流し、共に戦う手段を取るべきだと思った。
二度、三度、言葉を〝声〟に乗せようとしては断念して……絞り出すように決断を下す。
〈ここで戻ったところで、この状況が好転するなんてことはない。〝亜人〟も〝獣〟も、依然として立ちふさがる。だから――今、進むしかない。それに、そんな……そんなことじゃあ……〉
うわずった〝声〟で、決意を言葉にする。
〈永遠に、〝神〟に弄ばれるだけだ。そんなのは、絶対に、厭だね〉
いつものように、断固とした意志ではない。何か一つ……ちょっとした反論を受けるだけでも崩れてしまいそうなほど、脆い。
しかし、幸運だったのは――。
「――わかった。出来ることをやろう」
「となれば、このまま航行していては何も成せない」
二人ともが、ちゃんと同じ方向を向いてくれたこと。
それがどれだけ無謀で……どれだけ心強いか。
エルトがあれだけ〝仲間〟にこだわっていたのが、今になってようやく身に染みて理解できた気がした。
〈僕らが引きつけるべきは、〝亜人〟の方。〝六つ目の獣〟は、きっちりと準備をしてきたネメアたちに任せよう〉
「だね。けど、刺激するだけ刺激してトンズラ、ってのはネメアちゃんたちにも影響が及ぶよね。だから……撃退、したい」
〈うん。それが現状のベストだとは思う。だけど、具体的に何が思い浮かぶかって言うと……〉
それほど時間的な猶予はない。
早いところ策を詰めたかったが、そもそも〝神〟とやらがどんな姿形をしているのかすら想像がつかない。
何が有効打になるのか。何を嫌がるのか。それ以前に、目視できる存在なのか。
「相手は〝神〟だ。使う〝力〟は途方もないだろう。想像を簡単に超えてくる……だが、〝神力〟であることには違いない。そこに、わずかばかりの芽がある」
ブラックの言葉を咀嚼しつつ、キラは頭を回転させた。
〈〝亜空の神力〟……。どんな能力を持っていようとも、空間そのものに干渉するのは確実……。ってことは――〝波動術〟が鍵になる〉
「おそらく。範囲もできることも限られているが、最適解を出し続ければ……空間に干渉する〝亜空〟の力も封殺できる」
〈〝覇術〟……じゃあダメか。〝血因〟を中心に回るものだし、空気中の〝波動〟への干渉も限られてる……。やっぱ〝波動術〟かぁ……!〉
「できなければ死が待っているのみ。ちなみに……俺は完璧だ」
〈ム……。僕も完璧さ。……エルトがいれば〉
「――それでいい。〝神〟が相手では、恥もプライドも捨てるべきだ」
エルトも異論はないようだったが、〝ムゲン・ポーチ〟をごそごそと探りつつ一つ付け加えた。
「ブラックくん、これ、持ってて」
「これは……。〝氷の使徒〟の……」
「そ。〝氷枷〟。ブラックくんの〝闇〟でさえ凍らせたから、きっと〝亜空〟に対しても有効なはず。いざとなったら使うこと」
「二回分もあれば十分だ」
エルトが改めて体の主導権を譲り、キラが表面化を果たす。
「さて……。どうやって引き摺り出そうかな。――」
その時。
未来予知としか言えないような、鋭い勘が働いた。
「――ブラック!」
考える前に声をかけ、声をかける前に身体が動く。
なりふり構わずブラックに突進し、一緒に〝カゼキリ〟から飛び降りる。
「助かった――足場はまかせろ」
〝カゼキリ〟が粉々になって墜落していく中、キラは〝闇〟で作られた足場に着地した。
一安心する暇もなく、〝センゴの刀〟を抜く。隣に降り立ったブラックも〝ペンドラゴンの剣〟を引き抜き、同じ方向を見る。
すなわち、〝カゼキリ〟の墜落地点。
「出来損ないの、人の子よ。十分に、策は編めたか?」




