842.絶望の形
「ちょ、ちょ、ちょっとッッッ!」
スピードを落とすのも忘れて、頭から突っ込んでくる。
防御面を一つでも〝マスター化〟しておいて良かったと思った瞬間だった。できるだけネメアにダメージが入らないように、腕でなんとか受け止める。
とはいえ、勢いを完全に殺せるものではなく……ぎゅ、と抱きしめる形で一緒に床に横倒しになった。
「あ……。いい匂い。香水なんてつけてたっけ?」
「あ〜……。言ってなかったけど、僕、〝神力〟と〝覇術〟以外にも〝魅了〟ってのがあってさ……。あと〝妖力〟」
「ふん……? イロンがぶつぶつ言ってたのはソレかあ……。このまま引っ付いてたら、ホント、ヤバイかも」
ネメアは平然としたふうで体を起こして距離を置いたが、その顔つきは〝魅了〟にかかった女性そのもの。リリィやリーウのように、うへへへ、と顔つきが緩んでいた。
〈古代人も虜にするだなんて……。実は〝魅了〟がいちばんの難題かも?〉
「は、早いとこなんとかコントロールしないと……。絶対まずい気がする」
エルトとの会話で、ネメアも自分の状態に気がついたらしい。
彼女の中の〝波動〟が目まぐるしく動いたかと思うと、先ほどまでの緩んだ顔つきはなくなっていた。
さすがは古代人というべきか、あっという間に〝魅了〟を解除してしまった。
とはいえ、あられもない姿を見せたと言う気持ちでいっぱいなのか、ネメアは耳まで赤くして咳払いをした。
「さっきまでの私は忘れること? いいね?」
「ん……。で? どうしたの?」
じとっと睨んでくるネメアから視線を外し、立ち上がったブラックをちらと見る。〝メモリーズ〟をしげしげと観察しつつ、ふらふらとアリーナエリアを出ていった。
「そう、そう。〝殺し合いの定め〟だよ! 二人の話聞いてて、ハッてなってさ! そういえばオロスのおっちゃんから共有来てたな、って……! 何にも言わないからすっかり忘れちゃってたよ! 直接言ってよ、そんな重要なこと!」
「それは、まあ……言い忘れてたというか。ってか、聞いてたの、ブラックとの話?」
「監視してたってわけじゃないけどね。一応、いざこざのあった二人だし、音声だけは聞いてたんだよ。あそこの監視カメラと私のスマホを接続して、音声だけを流して、無線でイヤホンにね」
「ふうん……。で、〝殺し合いの定め〟が何か、だっけ? 僕もよくわかんないってのが答えだよ。〝神力〟を持つ者たちは、いずれ互いに殺し合う運命にある……って聞いただけで」
「でもさ。実際に体感はしてるんでしょ? 『引っ張られた』って言ってたじゃん?」
「言葉にすると難しいけど……。だんだんと感情のコントロールが効かなくなったって言うか……。でもあれは……」
あの瞬間、あの状況において、あの行動は適切だった。
チラリとよぎったその考えを口に出そうか一瞬迷い……すると、それを押し留めるかのように、エルトが会話に割って入った。
〈今思えば、〝侵食〟に似てるんじゃないかな。〝覇術〟のほうの。イロンくんによれば、〝侵食〟が凶暴性を引き起こすらしいしさ〉
「――なるほど。〝覇術〟もコピーとはいえ〝神力〟。〝侵食〟は〝神力〟の〝侵蝕の性質〟が歪んで伝わったものだとして……。〝侵食〟に凶暴性があるなら、その元である〝侵略の性質〟もまた然り。で、〝神力〟同士が接近したことで、〝侵蝕の性質〟が触発された……」
〈〝殺し合いの定め〟、なんとかなる?〉
「ん〜……。〝覇術〟があれば可能だと思うよ。けど原因を知らないことには……。結果は同じでも過程が真逆、なんてことはよくあるからさ。っていうか……なんで殺し合いなんだろ?」
〈なんで……って?〉
「だってさ。〝侵蝕の性質〟そのものは、自分の領域を広げるための性質で……確かに攻撃性をはらむ場合もあるけど、害のないことも多分にあるはず。エネルギーの確保のためだとしても、そのエネルギー元が重ならないことだって考えられるじゃん。〝雷〟と〝闇〟なんて、絶対それぞれ違うところから吸収してるんだろうしさ」
〈そう言われれば……。まるで……〝神力〟同士が惹かれあってるみたい〉
「そもそも、なんで〝神力〟が存在しうるんだろ? 私たちは〝カミ〟なんてのは知らなかったけど、きっと太古の昔から存在してるはず。なのに私たちは、キラくんやブラックくんが持ち込むまで、〝亜空〟以外を一つとして知らなかった……」
ネメアはハタとしてスマホを取り出して、慌ただしくメモをとっていく。
「ともかく――。〝カミ〟は……〝亜人〟は一人じゃない。〝雷〟や〝闇〟やそれ以外の〝神力〟を有する〝亜人〟がいて然り。仮に順調に〝六つ目の獣〟も〝亜空の亜人〟も倒せたとして……その次には、別のが姿を表す。そこに向けても動かなきゃいけないんだ……!」
ひゅぽ、ひゅぽ、と。おそらくは皆と共有するためのメッセージを送る機会音が、絶え間なく響く。
そこでようやく、キラもエルトも胸を浸すような絶望を感じ取ることができた。
「も、もしかしてさ……。かなり、マズイ?」
〈かも……。だって、ようは神々との戦争にも発展しうるってことでしょ……? 古代人たちならあるいはって思うけど……でも、無茶すぎるよ〉
「同感……。規模がデカくなりすぎて感覚が狂ってるけど……あの〝怪物〟ですら、倒せるかどうかってくらいにバケモノで。その上の存在が〝亜人〟……神サマなわけで」
〝雷〟や〝闇〟以外にも、多くの〝神力〟がある。その分だけ〝亜人〟、すなわち〝神〟がいて、その全てが古代人の敵に回ったのならば……。
「――だからラッキーだって思うんだよ、私たちは」
ネメアは興奮したようにいいながら、スマホでのやりとりも続ける。
「ちょっと前までは、核エネルギーが私たちの限界だって思ってた。〝波動術〟じゃあどうにもならない段階まできてるって諦めてた。――その上限を、キミたちが取っ払ってくれたんだ。だったら、その先を見ないわけにはいかないじゃんね?」
胸を浸す絶望の一因に、ネメアの姿もあったのかもしれない。
彼女はきっと、口で言うほど諦めてはいない。むしろ、その逆境と息苦しさに燃え上がっているくらいだろう。他の古代人たちも同じはず。
〝亜空〟以外の〝神力〟も、自力で発見できたのかもしれない。時間が問題なだけであって……ともすれば、〝アクウ・コピー〟ひとつでこの苦難も乗り切れたのだろう。
キラには、到底真似できないと思った。
根性で我慢はできる。負けん気で諦めないでいられる。そうやって数多の修羅場を潜り抜けてきた。
しかし、もし仮に、〝怪物〟が真なる姿でエグバート王国に現れた時。
例えば今のネメアのように頭を働かせるかと言われたら……。手詰まりな状況でなお打開策を見出せるかと言われたら……。
〝怪物〟の目の前に転がされた時のように、無力さを実感する他になかった。
だから、こそ。
「ネメア。僕にも、何かできることある?」
せめて、手となり足となり、どんな形になろうと喰らい付いていくしかないと思った。
「……キミは自分を低く見積もりすぎじゃない?」
「……? なんて?」
「いや……。まずは〝殺し合いの定め〟の解明といこうかな」




