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~新世界の英雄譚~  作者: 宇良 やすまさ
第9章

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812.おとぎ話

 ネメアの操る〝カゼキリ〟は、徐々に高度を上げていく。

 それにつれて空気が薄くなり、くらりと立ちくらみがする。さらに加えて、忘れていたものを思い出すかのように、乗り物酔いが気持ち悪さとなって胸を満たしてきた。


「ああ……マズイ……。口の中が酸っぱくなってきた……うぅ」

「よよ? 船は苦手?」

「船っていうか……。乗り物全般ダメ」

「ん〜……。私はそういうのはないから薬は持ってないんだよねえ。っていうか、ほんとに乗り物酔い? 〝雲酔い〟の可能性もあるから……本部に着くまで我慢してね」


 キラはへたりと腰を下ろし、船縁に体を預ける。

 ちらりとネメアの様子を伺うと、彼女は舵輪にもたれかかり四角い箱のようなものに夢中になっていた。

 あとどれくらいでどこに到着するのかを聞きたかったが、口を開く余裕もなくなり……その間にも、小船は分厚い雲に突っ込んでいく。

 思わず目を瞑ったが、直前でシールドを展開。風渦巻く雲の中を危なげなく泳ぎ切り――。


「……! おお……! 雲の、上!」

〈下から見るとどんよりとしてて気分良くないけど……上から見るとこんなに素敵だなんて!」

 待っていたのは、酔いも吹っ飛ぶ絶景。

 〝カゼキリ〟が滑るは、世にも珍しい雲の海。

 もくもくとうごめく様はさざなみのようでありながらも、時折現れる真っ黒な切れ目が深海の如き恐ろしさを思わせる。

 頭上は、ムラのない青空。遮るものがないためか、太陽が元気にギラギラと輝いていた。


「どうよ、いい景色でしょ? 後ろを見なきゃ、もっと気分がいいんだけど」

「わ……。ほんとだ。気づかなかったのに」

 後方に目を向けると〝怪物〟の姿が見えた。随分と距離が離れたというのに、六つの目を持つ頭に、真っ黒な胴体、三又の尻尾がはっきりと確認できる。油断すればまだ何か仕掛けてきそうな、そんな凶悪な存在感を放っている。

〈――わっ、キラくん、あれ、あれ!〉

「今度はなに……。――島が浮いてんじゃん!」


 キラは頭痛も船酔いも忘れて、船縁に身を乗り出した。船首が示すその全貌を、視界いっぱいにとらえる。

 〝カゼキリ〟の向かう先には、島があった。立派な建造物の立ち並ぶ街そのものが、雲の上で浮遊している。

 おとぎ話のようなあり得ない光景に驚くばかりだった。


「さっきの話の続きね?」

「え……何?」

「結局ココはドコ、って話。単なる異世界なんかじゃないってことは、〝理〟の関係性で理解できてるとは思うけど……。ならばココは、キミらにとっては何千年何万年も前の大昔……そういう解釈ができないかい?」

「はあ……。っていっても……」

 確かに、〝怪物〟の存在は元いた世界との繋がりは感じる。〝黄昏現象〟の時に対峙したのは〝腕〟のみであったものの、あの存在感を見間違えるはずもない。

 ただ……。


「この景色が大昔に存在したかって思うと……」

 キラはエルトと一緒になって、心地のいい風が吹き抜けるあたり一面を見渡した。

 雲を海のように見下ろすなど、これまで考えてもいなかった。

 しかも、空を飛ぶ船に乗って、雲の上に浮かぶ島へ向かっている……おとぎ話そのものに飛び込んだかのような体験である。


 そして一番に引っかかるのが、大気に〝魔素〟が一つとしてないこと。

 少ないのでも薄いのでもなく、あるいはびっくりするほど密度が濃いのでもなく……ただただ、〝魔素〟のかけらも感じ取ることができない。

 むしろ、別世界と説明された方がまだ納得できるほど、目にする全てがあり得なかった。


〈私もキラくんと同感。過去に空に浮かぶ島があっただなんて、一つも聞いたことがないもの。船を飛ばす技術も、もし廃れたものだったとしても、何か文献か遺跡か残っていても、おかしくは……ない。はず〉

「そう言うわりには、語尾が弱まったね」

 ネメアの指摘と共に、エルトは何かを思い起こしたらしい。ハッとした拍子に、体を半分乗っ取る。


「ちょ、ちょおっ?」

「そうだよ、キラくん! 私たち、似たような体験してるじゃん!」

「へあ……?」

「〝神殿〟だよ、〝神殿〟! 〝パレイドリアの村〟で……散々おかしな目に遭ったじゃん!」

「あ、ああ……! ――いや、ややこしいし口が疲れるから、ちょ、引っ込んで!」

 なんとか体の主導権を取り戻して一息つくと、ネメアが大声で笑い始めた。レオナルド同様、びっくり人間な様子がツボに入ったらしい。


「ああ、最高……! 今日はなんていい日なんだ! 〝迷い人〟たちと話をできた上に、こんなビックリショーを見られるなんて……っ」

「うう……。はあ……。じゃあ、本当にここは……過去なんだ」

「そ。……ふふふ。さっきの、もっかいやって?」

「いやだ。――それにしても、よく断言できるね。〝迷い人〟と対話すること自体、これが初めてなんでしょ?」

「ま……。可哀想なことに、出会えた〝迷い人〟たちはみんなすぐに命を落としたし、会話だなんて言えないくらいにしか言葉を交わせなかったけど……。彼らの亡骸くらいは、ちゃんと検めたからね。身体構造、内臓と各器官の位置、血液サンプル……とまあ、色々と調べたんだよ」

「で……みんな〝理〟的に共通していたんだ」

「そういうこと。緑色の肌をした人とか、体の一部が鉱石なりなんなりに変質してる人とか、獣みたいにけむくじゃらの人とか。色々いたんだよ。けど、その誰もが心臓があったし、赤い血が流れていたし、肺は二つで胃は一つだった」

「なるほど……」


 エルトのいう通りに、ネメアたちは恐ろしく知能が高いらしい。

 〝迷い人〟を〝迷い人〟という扱いだけで済まさなかったのだ。

 彼らがどこから来たのか、どのようにして現れたのか……気にはなるし、不気味にすら思うかもしれないが、放置しても問題はない。

 数万人が迷い込んできたというのならば話は別だろうが、〝始祖〟が絡むとなると、それほどの人数が飛ばされたとも思えない。


 ならば……〝迷い人〟について調べたのは、ある種の知識欲のため。謎が隠されていると思うと、その複雑に絡んだ糸を解かずにはいられないのだろう。

 しかも彼らは、『〝迷い人〟は未来人』という答えを出した。会話はおろか言葉すらも交わせなかったにも関わらず、こうして推測を的中させている。


 その推察をネメアが考えたわけではないだろうが、彼女にしても飛び抜けて頭が回る。

 なにせ、追い縋ろうとする〝怪物〟から〝カゼキリ〟を操り難なく逃げ切ったのだ……話をしながら、わけもなく、危なげなく。

 瞬時の判断力といい、状況の処理能力といい、ずば抜けている。しかも彼女は操舵手ではなく、あくまでもメカニック。

 言葉を一つ発するのにすら心のうちを見透かされる気がして、少し寒気がした。


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