808.腕
あの時。
〝ペンドラゴンの剣〟が振り下ろされる瞬間、キラは死をイメージした。
相手は〝闇の神力〟を有する〝授かりし者〟。〝覇術〟をも習得し、さらに力をつけたブラックである。
生半可な戦いとならないことはわかっていたが……想像以上だった。
ブラックは〝闇の神力〟と〝覇術〟を掛け合わせることで、〝意思を持つ分身体〟を創れるようになったのだ。分身体の真っ赤な目がその証拠である。
ルトと連携をとり、分身体の動きを彼女に監視してもらうことで対処。
しかしそれは同時に、攻め手を複数失うことを意味した。
エルトとのスイッチ戦術が使えないのはもちろん、いかに彼女といえども〝覇術〟なしで視界外の動きを追うことは不可能。
以前キラが編み出した〝気配読み〟を使い……そうなると、キラは自然と刀一本での立ち回りとなる。負荷を考えれば、〝未来視〟の併用はできなかった。
エルトの指示に従って背後の攻撃をいなしつつ、正面の本物と戦う。
考えるだけでも不可能に近かったが、そんな絶望など抱えている暇もなかった。
『……っ!』
なんとか分身体に致命傷を与えた、その時。
息がもたなかった。
二人分の動きを把握し。エルトの指示にも耳を貸し。その上で絶え間なく動く。自分自身でも考えをさまざま巡らせながら。
分身体の不自然なまでの特攻のその意図にも気づかず……本物のブラックの動きに、遅れをとった。
『――』
大振りの一撃でトドメを刺しにくる。
その一瞬。
わずかに猶予があると見抜いた。
動きの少ない刺突であれば、回避は不可能だった。
ブラックはそれでは殺しきれないと判断したのだろうが……ともかく、その差分だけ余裕があった。
考えている暇はない。
理論に頼る余裕もない。
全ては感覚。
〝ショート〟を撃つ。
『ぐっ……!』
しかしこの肝心な時に、失敗した。
ブラックの動きをわずかに静止させるだけ。
ただ――その追加猶予が、生死を分けた。
エルトが泣きそうになりながらも〝覇術〟で守ってくれたのだ。
袈裟斬りにされるも致命傷を免れ……そこが限界。
意識が飛びかけ、そこへブラックの追撃
まだエルトの〝覇術〟が残っている――斬られたあとどう動くか――死にはしないが動きに支障が出る。
〝レーザーマイン〟があればと思うが、この状況下では感覚一つ掴めない。
甘んじてブラックの剣を受けようとしたその時。
『――っ?』
しゅるる、と何かが全身に巻き付いてきた。
〝始祖〟の作り出した暗闇の空間から、包帯が出てきたのである。
振り解きたいところだったが、すでに満足に身動きがとれなかった。
どころか、ブラックと一緒くたにされて、暗闇空間へと引き摺り込まれる。
まるで影にでも入ったかのよう。水に溺れているかのような息苦しさがあり……かと思うと、ぴかっ、と〝紫の雷〟が瞬く。
早いところ包帯を斬って脱出を。
そう思ったところで、次なる一手が打たれた。
他ならぬ〝始祖〟の手先によって……そばにふと現れた〝人形〟によって。
あ、と思ったのも束の間。
気がついたら、見渡す限り何もない土色一色の不毛の地にいたのである。
紛れもなく、〝転移〟。
それを証明するかのように、キラは強い酔いに耐えきれなくなり、胃の中を空っぽにするように全てを吐いていた。
「ハァ……ふぅ……」
人形は足元で壊れて転がっている。
どう戻るか。そもそもここがどこなのか。
少しばかりスッキリした頭で考えておきたかったが……事態は、思った以上に深刻で、思った以上に複雑のようだった。
「この〝腕〟って……」
〈あの〝腕〟って……こと?〉
「いやけど……。また〝腕〟だけ? 本体はどこに……?」
キラはもちろん、エルトも、そしてブラックまでも……〝腕〟の持ち主を探した。
確かに、右手数百メートル先に、〝腕〟がある。
見覚えのある真っ黒な鱗に覆われたそれは、地面から生えているのではなく、曇り空の上から生えている。
世界を隔てる壁のようにすら感じる巨大な〝腕〟は、指を突き立てるようにして、地面を踏み締めていた。
まるで犬のようではあるが、指の先の爪ですら山を軽く削り取ってしまうほどの大きさ……それが大地に突き刺さる様は、悍ましさすら感じた。
「……」
ブラックが無言で灰色の空を見上げているのに気づいて……キラは嫌な予感がした。
どんなに奇天烈な生態をしていようと、〝腕〟という生物はいない。腕があるからにはそのほかにも腕があり、脚があり、胴体も頭もあって然るべき。
……巨大すぎるあまり、〝腕〟しか見えていないのならば?
キラも、エルトと一緒になって、必死になって空を見つめる。
「……あ」
〈……ん〉
例えば四肢動物の場合。四本の足で地面を踏ん張り、胴体を持ち上げているはず。その際、頭は自由に動く……右を見たり左を見たり、じっと地面を見つめたり。
まさに、今その状態を見上げていた。
蟻にでもなったかのよう。否、もっと小さく……ダニにでもなった気分。
分厚い雲の一部がふわりと動いたかと思うと、見えたのである。
下顎、凶悪な牙、長い鼻……そして、右目だけでも三つある〝怪物〟の横顔が。
「……!」
思わず、息を止める。エルトも余計な言葉を挟まない。
ブラックですら、一つの物音も立てないように気を張っていた。
戦ってどうにかなる相手ではない……その存在感だけで、足が動かなくなる。気配を消して、静寂を保ち、時が経つのを待つばかり。
しかし不思議なことに動物というのは、ごくごく小さな虫こそを発見する。
ぎろりと、三つの目が動いた。
〈逃げてっ!〉




