806.影を踏む
その数、三。正確には、四。
走っているのは二人。
エリックが一人の少女を抱え、その少し後ろを、スプーナーと呼ばれた老騎士が一人の青年を腕に抱いて走っている。
懸命に走る二人を追うのは、不気味な姿をした子供。
真っ黒なマントを身に纏っているのはいいが、全身包帯姿。顔すらも見えない徹底っぷりである。
そのうえ、両腕が文字通り化け物。
その先端にあるのは手ではなく、凶悪な牙の生えそろう口。舌がぬらりと涎を垂らし、血を欲していた。
「スプーナーさん!」
「構うなッ――ぬぁ!」
左腕の〝顔なし顎〟が、スプーナーを追うように噛み付く。
スプーナーも見事な反射神経で避けたものの、牙が足首を掠ったらしい。バチッ、という痛々しい音とともに、前のめりに倒れ込んでしまう。
間髪入れず、もう片方の〝顔なし顎〟が襲いかかる。
そこへ、白シスがギリギリで介入。
「――平気カ」
異形の子供の前へ迷いなく飛び込み、鋭い蹴りを喰らわす。
どうやら戦いが得意というわけでもないのか、子供の姿をした何かは防御体勢を取ることもなく蹴飛ばされる。
その様子を見るや、ドミニクが声を張った。
「追撃する!」
「え、おい、ドミニク……!」
「畳みかけるなら今――〝レッド・グローブ〟」
「お前もキラに似てきたなあ……!」
ドミニクは背中に乗ったまま背筋をピンと伸ばし、セドリックはそれに合わせて何とか姿勢を保つ。
ボ、ボッ、と二つの炎の塊が飛んでいく。
今のドミニクはそれが限界だったが――シスがサポートした。
〝不可視の魔法〟で二つの炎を掴み、まだ体勢を立て直せていない異形の子供へ改めてうち放つ。
完璧な連携。
が――。
「がぶがぶ――がぶがぶがぶがぁぶ!」
全身包帯姿の子供が、さらに異様に変形する。
左腕と右腕がそうだったように――腹にまで〝顔なし顎〟を宿した。
それだけでなく、にゅうっと腹の〝顔〟が伸び、がぶっ、と炎を飲み込む。
「なんだあ、ありゃ……!」
「まずいナ――退クぞ!」
気がつけば、〝宵闇現象〟がすぐそこまで迫っていた。
まるで巨大な壁。
ここまで近くに来ると、その内側で暴れ回る〝紫の雷〟がどれほど恐ろしいか。音と迫力と圧迫感に、全身総毛立つ。
〝宵闇現象〟の恐怖を肌で感じて、誰もが硬直していた。
エリックが背後に迫る恐怖に立ち止まり、スプーナーはそもそも足を負傷して動けないでいる。
シスですら、一瞬だけ迷いを見せている。
そんな中でセドリックは、そしてドミニクも、至極冷静でいられた。
これまで幾多もの危機に直面したというのもあるが、〝黄昏現象〟を知っているからというのが大きい。
「エリック、足止まってんぞ! 走れ!」
その声に引っ張られるようにして、ようやく再開できた幼馴染の顔が前を向く。
一瞬だけ目が合い――セドリックは、エリックがどれだけ成長したかを感じることができた。
きっと前のままならば憎まれ口を叩いただろうが……今は、気に入らなさそうに鼻を鳴らしながらも、素直に喜んでいる。
顔つきも、少し大人っぽくなっている気がする。
「ドミニク、もう一発いけるか」
「言われなくても――」
シスが迷いを見せたのは、化け物のような子どもへ追撃をかけるか、はたまた足を負傷して動けないスプーナーを助けるか。
シス自身、少し前まで重傷で動けなかった身。傷は無くなったとはいえ、その消耗の度合いは激しい。
それがわかっていたからこそ、ドミニクも彼の選択の手助けができた。
〝炎のグローブ〟で、三つの〝顔なし顎〟を宿す子どもに牽制を入れる。
たったそれだけではあるが、白シスにはそれだけで十分だった。
今度こそ迷いなく、〝不可視の魔法〟でスプーナーと青年とを一緒くたに持ち上げる。
「マサカ、こんな再会トなるとはな」
「ハァ、ハァ……。その声は……シス殿か。あぁ……驚いた」
「積もる話ハあとだ。ソノ遺体、離スナよ」
セドリックも、隣で並走するエリックに言いたいことや聞きたいことが色々とあった。
先程一瞬だけ見せた成長した顔つきといい、腕に抱えている少女のことといい、スプーナーと一緒にいることといい……。
その全てを、今ここでぶつけるわけにはいかない。
代わりに、一言だけ。
「帰るぞ、エリック」
エリックは少し驚いたような顔をして……。
「……わーったよ」
やはり素直に、簡潔に返した。
「――で、アレなんだよっ? まだ追ってくる!」
「知らねぇっての! 俺に聞くんじゃねぇ!」
「じゃ何で追われてたんだっ? 何かしたんじゃないのかっ?」
「された方だ、どっちかっつうと! いきなり現れて、そんで……!」
言い争っている間にも、子供が追いかけてくる。両腕の〝顔なし顎〟と両足の四歩行で、世にも奇妙な四足獣と化していた。
シスがもう一度対処しようと足を緩めた――その時。
二人の間に割って入る影があった。
どこからともなく、キラが降ってきたのである。
「ゼェ……ハァ……! ――吹っ飛べ!」
キラが時折見せる謎の技。
〝ローレライ海賊団〟本隊の一人にもやって見せたように、〝雷〟で異形の子供を弾き飛ばした。
異形で凶暴とはいえ、敵は戦いの『た』の字も知らないような子ども。抵抗することもできずに〝宵闇現象〟に消えていった。
「キラ……! ――後ろ!」
一つ脅威が去ったというだけで、依然窮地。
それどころか、その代わりというようにもう一つ――身もすくむような恐怖がキラに降りかかる。
キラの影が、むくりと起き上がったのである。
その影は、キラそのもの。
まるで本物にとって変わるかのように、キラへと襲いかかる。
「――」
キラは素早く対処した。
降りかかる刀を刀で防ぎ、じりじりとした鍔迫り合いに持ち込む。
そのほんのわずかの攻防で、相手の弱所を見抜いたらしい。
〝宵闇現象〟に近づくリスクを負ってでも、一旦距離を取る。
すると影はわかっていたかのように距離を詰め――そこで、キラの姿が消えた。
かと思うと、影の背後に現れる。
〝センゴの刀〟を振り切った姿で。
「すっげ……!」
キラは影の行動を誘い、瞬間移動にも思える超スピードで斬りつけたのだ。
胴体を真っ二つにされた影はもやもやと崩れ去り――間髪入れずに、次の窮地が現れた。
崩れゆく影を伝ってきたかのように。
黒髪赤目の男……ブラックが現れたのである。
「危ない!」
流石のキラも、攻撃直後の後隙を狙われては、万全に対処できない。
それでも咄嗟の判断で横に転がる。
一瞬後、ブラックの剣が地面に突き刺さった。
「え……!」
なおも、ピンチが重なる。
二人目のブラックが、空から降ってきたのである。
ただ、そのブラックは全身真っ黒だった。
真っ赤な双眸が不気味に輝くだけで、あとは漆黒に塗りつぶされている。手にした剣も、陽の光を通さないほどに真っ黒。
その頭上からの斬りかかりに、キラはギリギリで反応。
〝センゴの刀〟を掲げて受け止め、すぐにその場から転がって脱出する。
「アレやべぇだろ……!」
「けど俺らじゃ……!」
驚くべきことに、キラは二人のブラックを相手に互角に戦っていた。
回避を優先として立ち回り、常に本物から目を離さない。
それどころか、距離を離されれば自ら踏み込み、絶えず接近戦を仕掛けている。
素早く刀で切り結び、〝雷〟を小出し撃ってダメージを稼ぎ、時折格闘術に切り替える。
かと言って偽物を無視するわけではない。
何をどう察知しているのか、視界に入れないままにその動きを把握し、最低限の対処で凌いでいる。
斬りかかってきたならば避け、なおも張り付かれたのならば、刀を振り向ける。
全ての行動に対して、最適解を出し続けていた。
神がかり的としか言いようがない。
だが――。
「セド、助けに行かないと!」
「わかってるけど……けど、俺たちじゃあ!」




