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~新世界の英雄譚~  作者: 宇良 やすまさ
第8章

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801.メシ・2


「早く、声をかけてやってくれ。――ここは私が食い止める」

 まるで記憶が蘇ったかのように。

 今の状況を、ふと思い出す。

 〝チルドレン〟との戦いで機敏になっていた身体が、嘘のように鈍くなる。

 マーカスが倒れている場所はわかりきっているのに、なかなか目を向けられない。


「マーカ……ど、の……!」

 弱々しいアテナの声を耳にして、エリックの体はようやく動いた。

 地面に横たわったマーカスは、この世から旅立とうとしていた。自らの血に溺れたかのように、全身が真っ赤。

 〝神力〟の暴走で衰弱したアテナが、見当違いな方向へ這いずっている。


「……!」

 『村に居場所がない』……いつだったか、吐き捨てるように言ったことがある。

 今思い返せば、随分と平和ボケしたセリフだった。

 エリックは、死を直接見たことがない。

 〝武装蜂起〟の際、狂人クロスによりアテナの両親が殺害されてしまったが、それも目の当たりにしていたわけではない。

 どさ、という不自然な物音が聞こえて、振り向いたらだらりと力なく横たわる腕と血溜まりがあっただけ。


 命の灯火が刻々と消えゆく様を目にしたのは、これが初めてだった。

 それを思えば、〝隠された村〟での生活がどれだけ幸運だったか。

 父も母も健在で、友達もいて、時折悲しい瞬間に遭遇することはあるけれども、自分の身に降りかかったわけではない……。

 幸せというには過酷だった。

 しかし揺らぐことない〝日常〟が確かにあった。


「あ……?」

 無知は罪。

 知らないからこそ……何をすればいいか、一つもわからない。

 ただただ、頭を真っ白にして、血の海にへたり込むしかなかった。死にゆくマーカスの顔をのぞくこむことなど、できやしない。


「えりっ……あて、な……。おれの……ともよ……」

 それでも幸いだったのは。

 マーカスが、引き攣りながらも、笑顔で目を合わせてくれたことだった。


「ありがとう……」

「え……あ……?」

「きみ、らが……ともだちで……」


 もうすでに、目には何も映っていないはず。

 もうすでに、呼吸もできないはず。


 なのに。

 はっきりと。

 ニカっと笑って。


「とても……楽しかった!」

 その瞬間に。

 エリックは、ようやく口を開いた。


「俺も! 俺も……! メシ、すげえ美味かったっす!」

 ひどく静かに安らかに……。

 マーカスは、いい夢でも見るかのように、この世を旅立った。


「……逝ってしまわれたか」

 エリックも不思議なことに……。

 相変わらず頭が真っ白で、何も考えられないというのに、スプーナーの言葉を受け入れることができた。


「良かねえけど……良かった。言葉……ちゃんと受け取れた」

 ぐしぐしと痛くなるくらいに目元を擦り、鼻を啜る。

「眠る場所……。見つけてやんねえと……。ここじゃあ寝心地悪そうだし」

「……そうだな」

 ただ、エリックの体は、意に反してマーカスから離れた。

 少し離れたところで地面にうずくまり、泣きじゃくるアテナの元にヨタヨタと向かう。


「アテナ……。聞いただろ? 楽しかったってよ」

「聞いたよ、バカ……! だから……!」

 その言葉の続きも、アテナの想いも、痛いほどよくわかった。

 しかしそれをひとたび口にしてしまえば、混沌に突き落とされたリケールの中で、ただただ泣きじゃくる他に手立てがなくなってしまい……エリックはぐっと堪えた。


「マーカス殿は私が連れて行こう。君はアテナを……。残酷だが、ここでまごついているわけにはいかない」

「うっす……。けど、スプーナーさんは大丈夫なんすか?」

「疲れてはいるが、ほぼ無傷さ。あの妙な包帯だらけの子どもも、時間だなんだと呟きながら戦線離脱した……。しかし君の方こそ、ボロボロじゃないか」

「ぶっ倒れるまでは動けます。――うまいメシ、たらふく食わせてもらったんで」


 〝平和〟だった〝隠された村〟でも、死というやつは誰のそばにもいた。神様とやらに指さされて死んでいったヒトたちを、エリックもたくさん知っている。

 皮肉にも、この喪失感は親しみのあるものだった。

 だから……無理矢理にでも前を向かねばならないのだと解っていた。


「アテナ。いくぞ。俺らでやり遂げるんだ」

「……何を?」

「エグバート王国じゃあ、エマール家は反逆者だ。けどマーカスさんはそうじゃねえ……俺らで、あのヒトの汚名をすすぐんだ。絶対に……!」

「……そんだけじゃ足りない。私らでマーカス殿を英雄にする。私とエリックの存在を世に知らしめて、マーカス殿という英雄がいたんだって……世界中のみんなの記憶に刻む」

「――いいな、それ。やるぞ、アテナ」

「うん。……ありがと、エリック」

 

   ◯   ◯   ◯


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