799.ちるどれん
「何者だ」
ヒトの形ではあった。きちんと立ってはいた。
背丈は子どもほど。
百三十あるかないかの小柄で細身。
ただ、それ以外の情報がないに等しい。
目の色も、鼻立ちも、口の形も、髪の毛の色も、肌の色も、何一つわからない。
なにせ、爪先から頭のてっぺんまで、包帯に包まれている。その状態で身につけているのは、真っ黒なコートと軍帽だけ。
人間というには、あまりにも異質。
「〝ちるどれん〟」
「……対話ができるとはな」
見た目に反して可憐な声。
だからこそエリックは悪寒がした。
包帯で塞がれた口がモゴモゴと動くさまを見ると、なおのこと化け物のように思えた。目も同様に隠れているというのに、気味の悪い視線を感じる。
「よこせ」
「何をかは知らんが、なんであろうと渡すわけがない。――エリック。〝日誌〟を頼む」
マーカスは警戒を高め、布に包まれたそれを雑に放ってきた。なんとか受け取ってから、後ろ腰のベルトに挟む。
すると〝チルドレン〟とやらが行動に出た。
「〝あーみー・あーむ〟」
可憐な声で呟きながら、一歩ずつ近づいてくる。
その間にその右腕が、ぎちぎちと不気味な音を立てながら変形していく。
包帯の隙間からだらだらと血が流れていき、完成したのは――。
「〝もーど・さいす〟」
大鎌。
その鋭い刃が、包帯を破って出てきた。
〝チルドレン〟の小柄な体つきに似合わないほどの大ぶり。
がつん、と鈍い金属音とともに地面に落ち、それも構わずずるずると引きずっている。
「な、なんだありゃあ……!」
「〝ユニークヒューマン〟……にしては、異形だ。ともかく――逃げろ!」
エリックが身動きできない間にも、マーカスは動いていた。
〝モルドレッドの槍〟を構えて、一気に距離を詰める。
〝サイス〟の大きさを加味した接近戦。
〝チルドレン〟が腕を振り始めた瞬間を狙ったのだ。
一思いに決める――マーカスの狙いはわかっていたが、エリックは叫んでいた。
「マーカスさん――右! 伸びてる!」
〝チルドレン〟の左腕……大鎌の柄に当たる部分が、ニュンッ、と伸びる。
まるで蛇のように、マーカスに巻き付いた。
そうはいってもマーカスの方が早く攻撃を繰り出したが――〝チルドレン〟は重い鎌と伸びた腕を利用し、ちょん、と軽く横によける。
最小限の動きで槍の一撃が避けられ――そのせいもあって、マーカスは防御が遅れた。
致命傷は逃れたものの、巻き付かれた大鎌に右肩を貫かれる。
「ぐっ……!」
「マーカスさん!」
本当は剣を引き抜き加勢したかった。
だが腕の中にはアテナがいて、依然として苦しそうに呻いている。
心なしか熱も上がっているようで、彼女の額に乗せた手をどけてしまえば、たちどころに暴走してしまう。
「エリック……! 逃げろッ」
マーカスは身を捩り、〝モルドレッドの槍〟を引き寄せ、食い込む大鎌の刃を弾いた。
パッと飛び散る鮮血に、ふらりとよろめくマーカスの身体、近づく〝チルドレン〟……その様子と、腕の中のアテナの苦しそうな様子とを見比べる。
選ばねばならなかった。
この無理難題への身の振り方が、ここにいるすべての命を左右する。
エリックは奥歯を噛み締め……振り向いて走り出した。
「くそっ、クソッ……!」
押し留めていた悔しさが、喉から漏れ出ていく。
確固とした意思ではない決断が、何よりも悔しかった。
マーカスが絶対に勝ってくれると信じたわけではない。
自分こそがアテナを助けるのだと息巻いているわけでもない。
マーカスを頼ったのも、アテナを心配しているのも事実だが……結局のところは消去法。
流されるような逃げ方しかできなかったのが、ひどく恥ずかしかった。〝古狼〟を名乗るヴォルフと同じ穴の狢である。
そんな中途半端さが、
「――あ」
〝チルドレン〟につけいる隙を与えた。
逃げると決めたはいいものの、全速力ではなかった。
まだマーカスを助けたほうがいいのではないかという迷いがあり……足が緩んでいた。
そこを、狙われた。
裂くような痛みが走るのと同時に、前のめりに倒れてしまう。
アテナに衝撃が走らないようになんとかカバーはしたものの、地面に転がしてしまう。
「エリック!」
反射的に振り返ると、〝チルドレン〟の右腕が変形していた。
左腕と比べると幾分小ぶりながらも、小回りのきく小さな鎌に変形している。
マーカスと戦っていた〝チルドレン〟は、隙を見て右の鎌を伸ばしたのである。
そうはいっても、小さく切り裂かれる程度。
まだ走れはするが――エリックが危惧したのはそこではなかった。
素早く、目の前へ視線を戻す。
「アテナ……!」
地面に横たわる盲目の彼女は、もはや限界に達していた。
目に見えて顔が赤くなり、汗がぼたぼたと噴き出て、息が荒くなっている。
早くその苦しみをなんとかしてあげねば……。その一心で地面を這いずり――。
「あ……?」
そこで、記憶が飛んだ。




