789.条件
「てめぇ……!」
「どうした――」
かつて、どれほど訓練に明け暮れたか。
過去、どれだけ魔法を羨んだか。
その全てを、今に発揮する。
「腰が入ってないじゃァないか!」
水の槍のようなヴェルクの左腕が肩に食い込むも、気にしない。
ローラン自慢の身体は、魔法を通さない。
たとえ肩を貫き、腕を落とすような鋭さを持っていたとしても、ちょっと穴が空いて血が出るだけ。
あらゆる痛みに対して無茶が効くこの身体で、ヴェルクにタックルをかまし――そのままヘクスターに突っ込む。
「なにしてんスか、センパイ!」
「っるせえ! ――止まんねえ、クソがっ」
「弛んでいるなア、情けない!」
ヴェルクとヘクスターと共に、地面に倒れ込む。
だが、もう出来ることは少ない。
武器もなく、魔法も使えない以上、ハッタリが効くのはここまで。
あとはいかに時間を稼ぐか。
リーウの治療が間に合ってくれればいいが――。
「……っ」
一瞬だけ、ちらと背後を伺う。
大量の血痕の中に横たわるセドリックのかたわら、リーウが必死に治療をしている。
ドミニクは呆然として、恋人のそばに近寄ることもできていない。
急激に焦りが募る。
――ゆえに。隙を晒した。
「いつまで引っ付いてんだよ――うぜえ!」
「ヌ……!」
ボコボコッ、と泡立つ音が聞こえると共に、ローランは思わずうめいた。
ヴェルクが〝水〟の左腕を一気に沸騰させたのだ。
まるで炎のような鋭い熱さと激痛に巻きつかれ、距離を取る。
そこへ――。
「フリダシにモドるってこと、でッ!」
〝水の鞭〟がまっすくに突っ込んでくる。
リーウたちへの直撃コースではなかった。ヘクスターの起死回生を狙った焦りの一撃。回避をせねばならなかった。
だが――軍を抜けてもう五年。戦うことをやめて五年。
暴力に対して真っ向から突っ込んで受け止める〝平和の味方〟なりの戦い方が、すでに染み付いている。
「グゥ……!」
反射的に腕をクロスして受け止め、吹き飛ばされてしまった。
距離を離された――もう一度詰めなければ――今度こそリーウたちが――。
空中へ投げ出され、浮遊感に包まれている間にも考えを巡らすが――もはやそれどころではなかった。
ヴェルクが、目の前にいた。
ヘクスターの攻撃に合わせ、その超人的な反応速度で追撃をかけにきたのだ。
「死んどけやッッッ!」
〝水の腕〟ではなく、ナックルダスターによる拳の一撃。
そのままでは右目を潰される――ところを、すんでのところで、額を合わせにいった。
ゼメラルド時代、幾度も頭突きで難を凌いできたが……この一撃は、受けてはならないものだった。
数秒、意識が飛ぶ。
考えていたことが全て消えてなくなる。
気づいた時には、地面に転がっていた。
横になった視界……血に染まってぼやける視界……その中でなんとか焦点を合わせる。
リーウが立ち上がっている。横たわったセドリックはなおも静かなまま。ドミニクは何もできず、ただただへたり込んでいた。
「〝五重詠唱〟――」
耳鳴りがひどい中で、リーウの声が少しだけ届く。
何を言っているかはハッキリとしないが、目の前に立ちはだかるヴェルクとヘクスターに立ち向かうつもりなのは明らか。
「……!」
ローランは叫びたかった。
まだ死んでいない。相手は我輩だ。かかってこい。
だが声を出すことは愚か、喉も腹も動かない。
ただただ、意思だけが空回りする。
思考だけが走る。
「――!」
それでもなお。
ローランは諦めなかった。
体が動かないならば、魔法を。
半ば願うような気持ちながらも、諦めきれない。
だからこそ。
「まだ……おわ、て……ない……ッ」
ローランの〝妖力〟は覚醒したのである。
◯ ◯ ◯
キラからは、口酸っぱく注意されていた。
ドミニクはあくまでもサポート。
ドミニクは一歩引いた位置で。
ドミニクは〝治癒〟が武器。
攻勢に出るのは最終手段。
ウザくなるくらいに……。
「あ……」
〝王都武闘会〟でキラを相手に立ち回って。
少しばかり竜ノ騎士団〝見習い〟としての経験をして。
雲の上の存在だった〝元帥〟リリィと〝総隊長補佐〟クロエに認められて。
実力以上のものを求めてしまった。地味で、根暗で、人付き合いの苦手な自分がこんなにも輝けるのだと……現実が、見えなくなっていた。
「ああ……っ」
師匠は……キラは……出会った時からずっと気にかけてくれた友達は。こんなことにならないようにと、ずっとずっと、思った以上に注意してくれていた。
運が悪いとは、言えない。
キラは、それにさえ対応できる生きる術を教えてくれていた。
あくまでもサポート。それを意識すれば戦況は優位を保てる。
一歩引いた位置。セドリックの判断の邪魔にならないように。
〝治癒〟が武器。万一に備えておけば、死ぬようなことはない。
全部、守っていれば……。
「あああ……っ!」
見たくないものを、見る。
横たわるセドリックは、まるでその最期を見られるのを嫌がるように、そっぽを向いていた。腹には大きな穴ができ、絶えず血が流れている。
無意識に手を伸ばし……ひた、と指先が濡れたところで、ドミニクは理解した。
心臓が、止まっていく。
あと、一、二回で……。
「いやだ……」
考えるよりも先に。
〝治癒の魔法〟を発動する。
「やだよ……!」
恋人の体に触れる。
嫌な体温だった。
父と母を思い出す。
「しなないで……っ」
傷を舐め合うような恋だった。
だが、誰でも良かったわけではない。
もちろん……初恋であろうとも、エリックで代わりが効くわけでもない。
セドリックだけなのだ。地味で根暗でコミュ障なところを、全部受け止めてくれたのは。
変わりたくても変われない、そんなもどかしい様子すらもいとおしいのだと、真正面からぶつけてくれたのは。
その愛情にこそ、心を救われたのだ。
それに負けないくらいの愛情をもって、一生にわたって恩返ししたかった。
なのに、こんなところで途絶えるなど――。
「だめ……ダメ……駄目!」
何をどうしたらいいか、頭が回らない。
ただただ、がむしゃらに、〝治癒の魔法〟をかけ続ける。
今できるのは、己の才能をいっぺんの疑いもなく信じ切ること。これまで積み上げてきた経験を出し切ること。
それが――それこそが。
「私が死なせない……!」
〝妖力〟の覚醒条件だった。




