787.壁
◯ ◯ ◯
同刻。
〝キッキ区〟。
「セド!」
「――来るなドミニク!」
セドリックは、自分でも驚くほどに冴えていた。
ほんの一瞬だけ視線を周りに巡らせただけで、状況を把握できる。
〝市民軍〟とルセーナたちはすでに住民の避難を終えている。
残るところはリーウが相手にしている海賊たちだが、それももうあと数人。リーウの実力もさることながら、異常に頑強な身体を持つローランがフォローしたおかげだろう。
あとは目の前にいる〝ローレライ海賊団〟の強者二人、ヴェルクとヘクスターのみ。
調子は上がりきっている――二人を視界に入れ続けられる――その上で細かな動作も見切れる――冷静さを保てている。
まだまだその足元にも及ばないが、キラと同じ動きが出来ている。
自分の調子をそう分析した上で――セドリックは追い詰められていることに焦りを感じていた。
「イイな――歯応えあンじゃねえの!」
禿頭筋肉のヴェルクは、見た目通りのパワーファイター。
それだけにわかりやすく、それだけに戦いにくい。
ナックルダスターを装備した両拳は、ただ振うだけで脅威。爆風のような威力を持ちながらも、スピードがある――あっという間に懐に潜り込んでくるのだ。
その速さと大胆さは、キラと遜色がない。
真に恐ろしいのは、おそらくヴェルクの真価はそこにないということ。
剣と拳の打ち合いを楽しんでいる節があり……何より、今までにないくらいに尖ったセドリックの感覚が、ヴェルクに眠る〝気配〟の強さを感じ取っていた。
「ハァ……ハァ……! くそ!」
「どうしたどうした! もっと遊べるだろ、ンなあ!」
頭は冴えてる。
ヴェルクのスピードにも慣れた。
ギリギリだが対応もできる。
だが、ただただ、体力が持たない。
〝考える〟ことにエネルギーが持っていかれる。
しかも――。
「センパァイ……。いつまでアソんでんスかぁ」
まだ、もう一人いる。
ヒョロガリのヘクスターは、やる気なさそうに傍観しながらも、隙を見ては攻撃を放ってくる。
妙な魔法だった。手に収まる杖から伸びるのは、水の鞭。
ヘクスターが気だるげに杖を振るい、すると、〝鞭〟が大きく弧を描いて飛んでくる。
ドミニクが〝グローブ〟で食い止めようにも、あっという間に切り裂かれる。
「手ェだすんじゃねえよ、ヘクスター! 避けられてんじゃねえかヘタクソ!」
「センパイがちょこまか動くからッスよ! 邪魔っ」
「ンだとっ?」
見るからに余裕そうな二人に、腹が立つ暇もない。
実力では圧倒的に劣っている。
唯一の勝ち筋は、リーウとローランが合流すること。それまでは、耐えて耐えて、耐え抜かなければならない。
そのためにも考えるべきは、二人を同時に相手しないこと。
幸いなことに、ヴェルクもヘクスターも戦闘スタイルがわかりやすい。方や剣撃も恐れない接近戦、方や癖のある遠距離戦。
注目すべきは、ヘクスターの〝水の鞭〟。
〝鞭〟の先端だけではなく、大きくしなる縄部分も殺傷能力が高い。
それはすなわち、〝水の鞭〟が届くもの全てが攻撃対象となり――ヘクスターとの間にヴェルクを入れれば、多少なりとも防波堤になる。
「ドミニク、俺の後ろから出んなよ……!」
「わかってる――三歩下がってッ」
セドリックが指示通りに動く間に、ドミニクが〝グローブ〟で牽制を入れる。
ぼむっ、ぼむっ、と幾つも打ち出されるのは燃える拳。〝王都武闘会〟でキラにも褒められた独創的な魔法が、ヴェルクの動きを制限する。
「――しゃらくせえ!」
とはいえ、ほんの足止めに過ぎない。
パワーだけの脳筋ならば翻弄できたが、ヴェルクはスピードも兼ね備えている。素早い動きでかわし、時には勢いのある拳のみで打ち壊してしまう。
ヘクスターも、文句を垂れつつも見事な援護に回っている。〝水の鞭〟を蛇のようにしならせて、ヴェルクに迫る魔法を叩いていく。
ただ――足止めは足止め。
ヴェルクもヘクスターも、〝レッド・グローブ〟を処理している間は攻撃には転じない。
セドリックは明確な隙を見て取り、前へ出た。
〝グローブ〟の合間を縫って、ヴェルクに接近――切り払い。
ただ、ヴァルクの反射神経は凄まじかった。
迫る足音で危機を察知し、防御体制に入る。
「こ――のッ」
振るった剣は、ナックルダスターで阻まれる。
ヴェルクがニッと笑うのが目に入る。
ヴェルクの気が緩んだその一瞬――不意に、キラの動きを思い起こした。どんな時でもキラは、誰もが恐怖する〝一歩〟を戸惑いなく踏み出す。
セドリックも、それに倣った。
わずかに弾かれた剣を強引にナックルダスターに押し付け、一歩を入れる。
「なに――グァッ」
体勢的に有利なこともあって、セドリックはパワーでゴリ押した。
それだけならすぐに距離を離されて終わりだが――今は、まだ〝レッド・グローブ〟が暴れ回っている。
ヴェルクの咄嗟の判断には、その脅威まで計算には入っていなかった。左腕が火に包まれ、苦悶の声を上げる。
そこへ、さらなる追撃。
狙いは左腕。斬り落とせば、戦況は変わる。
ヴェルクの体勢は傾いている――ヘクスターの方へ後退するはず――まだ動いていない――キラならどう処理する。
「ここ、だろ!」
村を守るため、竜ノ騎士団に入るため、何千回と剣を振ってきた。
足の踏み込み位置、太ももの力の入れ具合、上半身の筋肉の動かし方、腕の振り位置や剣の柄の握り方――その成果が、今、この一瞬に集約された。
無駄なく、無理なく、距離を詰めた一閃。
あっけないほど簡単にヴェルクの腕を斬り飛ばす。
「――アアアァァッ!」
ヴェルクは怒号にも似た悲鳴をあげ、体を硬直させた。鮮血を撒き散らしながら、地面へ倒れていく。
その全てが、スローモーションに見える。
畳み掛ける好機。
セドリックは確信したが――ざわりとしたものを感じた。
〝気配〟が、ヴェルクから溢れ出ている。
このまま勢いに任せてはいけない。
「ドミニク!」
悪いというのならば。
たった一秒にも満たない声かけを怠った方が悪い。
耐えに耐えて、ようやく巡ってきたチャンス――ドミニクもそれを逃さまいと動く。声をかけられたのならば、なおさら。
「おっと――ミス、ハッケンす」
そうはいっても隙にはなりえなかった。
セドリックは〝気配〟に警戒して様子見で動きを止め、ドミニクは〝イエロー・グローブ〟を拳に宿すだけ。
立ち位置だけ見れば、何も変わっていない。
距離を置いて戦っていたヘクスターが、どこまでも冷静に分析をしていたというだけ。
仲間に何と言われようと己のスタイルを守り、ズレを見逃さないよう気を張っていたのだ。
待ち体勢と、攻撃体勢。
戦いへの姿勢の変化に、ヘクスターは目をつけたのである。
そして。
「――」
ヴェルクと同時にヘクスターにも気を払っていたセドリックには、そのヒョロリとした腕から放たれる〝水の鞭〟の行方が瞬時に把握できた。
ドミニクが前のめりになる瞬間へ、〝鞭〟を放つつもりだ。
それが判ったから――否、そうでなくとも。セドリックはヴェルクに背中を向けた。
幸運だったのは、調子が頂点にまで達していたということ。すべての感覚を手に取るように把握でき――それが〝身体強化の魔法〟に繋がった。
不運だったのは――。
「ゥ……!」
どうあっても、セドリック自身が避けられないこと。
強化した身体能力のままドミニクを突き飛ばすわけにはいかない。
彼女を助けるには速度を落とす必要があり……高速で迫る〝水の鞭〟に隙を晒すこととなる。
「セド……!」
背中から、脇腹へ。衝撃と痛みと熱さが走る。
肉がちぎれ、骨が砕ける音が轟く。
意識が、遠のく。
その上で。
「たぁくよォ――やってくれたなァ!」
ヴェルクの怒声が響く。
「腕ェくっつけんの、どんだけ痛ェかわかんのか!」
何が起こっているのか、把握できなかった。
体が動かない。頭が働かない。痛みに喘ぐことすらできず……〝水の鞭〟に腹が引き裂かれるのも、他人事のように思える。
ただただ、ドミニクを守らねばと、そう思い続けるだけ。
そうしてセドリックは……。
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