780.思考
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〝ガリア大陸遠征計画〟はどうあっても止められないと、マーカスは断定していた。
〝市民軍〟がパサモンテ城前で抗議活動を行うことも、各地で集会が開かれていることも、前日には把握していた。これを口実に軍をとめることも出来たのかも知れない。
事実、前日会議で〝マーカス・エマール〟として取り上げた。
だが、父シーザーの答えは『否』。
力を持たない〝市民軍〟に何ができようかと、取り憑く島もない。むろん、父を〝王〟として祭り上げる〝三竦み〟たちもこれに同意。
普通に考えても、愚かな選択である。
〝市民軍〟は確かに戦力を持たないのかもしれないが、声を上げ続けるという戦い方をしている。
これが一度で済めばいいが、二度三度……年単位で続けられれば、もう止められないほどにその思想が市井に浸透する。
傍目に見えずとも、瓦解するときは一気に崩れるだろう。
仮にも王。仮にも〝イエロウ派〟トップ。
手で触れられず目にも見えない〝思想〟こそが一番に強いと、父シーザーも理解しているはず。
なのに……。
〝キロクタブレット〟でもたらされた真実に、執着している。
エマール家に託された使命なのだと……自分こそが〝神〟を呼び起こすのだと……強く、強く、信じている。
理解できないとは言わない。
正義がないとは言えない。
だが、もっと上手い選択肢があったはず。
向かうのは〝太陽の神の聖地〟。
立ちはだかるは〝霧の使徒〟。
実際に何が待ち受けているのかはともかく、衝突は必至。
相手は世界最高クラスの軍力を誇る〝大国ルイシース〟を一人で退けた化け物……何がどう転んだとしても、敵うわけがない。命を捨てに行くようなものである。
父シーザーがいかに考えなしでも、無謀であるということは承知しているはず。
だが……良しとしたのだ。
自分のみならず、多くの騎士の命と人生を断つことを。
考えれば考えるほどに――許されざる蛮行である。
親しいヒトを失うのは、信仰心に関わらず誰にとっても辛い出来事。というのに、仮にも為政者がそれを理解しようともしていない。
最大限の努力はしたが……もう、手は尽くした。
ならばマーカスがなすべきことは一つ――〝キロクタブレット〟の確保。
「マーカス様、なぜこちらに……? もうすぐ壮行式が始まりますが……」
「――。お前は誰にも会っていない。いいな」
「……はい。誰も見ていません……」
常々、考えていたことがある。
なぜ、〝キロクタブレット〟なるものが存在するのか。
世にも奇妙な〝声を出す書籍〟。本と呼ぶにはあまりにも薄いそれは、わずかに発光しつつ文字を浮かび上がらせる。
〝旧世界の遺物〟、あるいはそれに類するものというのは確実。千年もの間形を保っていられるものなど他にない。
ではなぜ、そんな代物が初代エマールの手に渡ったのか?
そしてなぜ、初代エマールは〝キロクタブレット〟に記録を残せたのか?
なぜ――千年を生き抜く異質な遺物に、〝神はランダム海域にて眠りについた〟という一文を残したのか?
父シーザーも、〝忌才〟ベルゼも、他の学者たちも……。〝キロクタブレット〟の内容にばかり注目するが、マーカスとしては存在そのものが気がかりだった。
〝キロクタブレット〟の保存状態も気になる。
エマール家の〝宿願〟を後世へ伝えるため、どの世代も大事に保管してきたはず。
というのに、文字が映し出される前面部分の端の方に、うっすらとヒビが入っている。
角は潰れ、背面は擦れて擦り傷だらけ。内容を知る分には支障がないものの……おかしな話である。
大事な大事な先祖の遺物を、手荒に扱うわけがないというのに。
ならば、〝キロクタブレット〟は初代エマールが手にした時からボロボロだったと考えるのが妥当であり――となると、それが不思議ではない状況や場所で手に取ったというのが自然。
〝キロクタブレット〟は、〝旧世界の遺物〟があって当然のような場所に保管されていたのではないだろうか。
その場所は、〝神〟が眠りにつかねばならないような事態に巻き込まれ、崩壊したのではないだろうか。
その事態というのは、初代エマールにとって我慢ならないことだったのではないだろうか。
初代エマールは、その事態に巻き込まれながらも、〝キロクタブレット〟を手にしたのだと想像できる。
するとまた疑惑が出てくるのだ。
それほどにまで欲しがった〝キロクタブレット〟……はたして、後の世に伝えるために手に取ったのだろうか?
死ぬかもしれない窮地で、そんな先のことを考えられるだろうか?
もしも、その場で何かできるのかも知れないと手に取ったのならば、何ができたのだろうか?
――〝神〟を救えるものが、〝キロクタブレット〟だとしたら?
飛躍した憶測だとしても、放っておくわけにはいかなかった。
「こんな形でエマール家に生まれて良かったと思うようになるとはな……」
目の前には、地下金庫室の巨大な鉄扉。
行手を塞ぐ者はおらず……踏みとどまるならば、ここだった。〝キロクタブレット〟を持ち出したら、もう後には戻れない。
ただ……すでに賽は投げられた。
最後の説得後、父シーザーは短い眠りにつかせた。
金庫番は〝錯覚系統〟で洗脳済み。他にも、指揮官たちに軽い暗示をかけて、道中マーカスがいなくても不思議に思わないように仕組んでおいた。
あとは、持ち出すだけ。
暗号盤を回す際に指先が震えたが、少しすればそれもおさまった。
「さて……。早いところエリックとアテナのところへ戻ろう」
〝キロクタブレット〟を手に取ったところで、マーカスははたと顔を上げた。
何か物音がしたのと同時に、〝気配〟を感じたのだ。〝武装蜂起〟の際に幾度も感じた〝操りの神力〟である。
「何が……」
呟くのと同時に思考が回る。
なぜ〝力〟を使った――パサモンテ城では使う理由がないはず――今までも無駄な〝力〟の使い方はしていない――。
明確な目的を持って〝力〟を振るったのだとしたら……。
「〝聖母の間〟……〝知恵の神力〟か……!」
さらに続けて、爆発音が轟く。〝操りの神力〟とはまた違う〝気配〟。
マーカスは逡巡し――。
「二人を助ける」
エリックもアテナも過酷な環境で生き抜いてきた。不意打ちくらい逃れているはず――そう願いながら、仮定する。
「そのためにも――俺が囮になる」
もう一つ大きな騒ぎを起こせば。
少なくとも、二人が城中から追われることはなくなる。
友人たちを救う――人生で初めて、マーカスは一瞬で判断を下した。
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