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~新世界の英雄譚~  作者: 宇良 やすまさ
第8章

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773.仁義

「――はッ?」

 〝人形〟が、目の前からフッと消えた。


 〝瞬間移動〟が頭によぎり、咄嗟に死角を警戒する。〝呼吸〟を整え、〝気配面〟を使い、感知力を高める。


 まだ、目の前にいる。

 消えたように見えただけだった。

 〝人形〟は親指サイズにまで小さくなり、阿鼻叫喚の背景に紛れたのである。


「クソ――ッ」

 タイミングをずらされた。

 見失ってから見つけるまで、二秒とたっていない。

 しかしその間に視線がずらされ、体勢が崩れ、思考も制限された。〝雷〟よりも〝気配面〟の使用を強制されたのは致命的だった。


 〝未来視〟は立て続けに使えない。

 しかも、〝人形〟の動き方が未知数。

 全体的にあるいは部分的に、大きくも小さくもなるということは、それだけ応用が効くということ。


 どちらにしろ――〝雷〟を放つよりも先に、〝人形〟に仕掛けられる。

 その一瞬後に〝緑の炎〟。


 なら。

「一か八か」

 〝雷〟は諦める。


「〝居合〟――」

 一歩分、なんとか距離をとりながら、〝センゴの刀〟に手をかける。


「〝飛燕〟!」

 一度だけ理論を聞いて、一度だけ実践演習を見たのみ。

 ほぼ感覚。

 しかも、一瞬が勝敗を分けるこの状況。


 そんな無謀な賭けは――五分に終わった。

 〝飛ぶ斬撃〟は成功した。

 神速の居合い切りが、その軌跡そのままに鋭い衝撃波を飛ばす。ビッ、と空気を裂き、風を巻き込みつつ、〝変化の人形〟に牙を向く。


 だがそれで勝敗がついたかと言えば、そうではない。

 〝人形〟はさらに小さくなって回避。


 〝飛ぶ斬撃〟はそのままシスターに襲いかかったものの、わずかにずれていたために簡単にかわされる。たとえ当たっていたとしても、体勢を崩す程度に終わっていただろう。


「……!」

 反撃が来る。

 ギリギリ。〝未来視〟を展開。


 〝人形〟はそのまま一直線に飛び込み、再び拳を巨大化させて仕掛けてくる。

 そして〝緑の炎〟が、広場を一掃するかのように、横なぎに襲いかかる。狂気的なシスターは味方のはずの〝人形〟も躊躇なく焼き払うつもりらしい。


〈――エルト、まだっ?〉

〈あと――あと五秒!〉


 長い。

 〝猫足〟はもう切れてる――溜めがなければ〝雷〟は使えない――〝変化の人形〟を盾にするか――触れられたらどうなるか――。

 一瞬で巡る思考にキラは目を細め――そこへ、視界の端で動く影に視線を取られた。


「黒髪の少年――」

「……っ?」

「助太刀する!」


 たった今放たれた〝緑の炎〟と、たった今巨大化した〝変化の人形〟。迫り来る脅威とキラの間に割り込んだのは、一人の騎士。

 〝炎の魔剣〟を携えた、老騎士だった。


「ぬ、んっ!」

 炎そのものとなった剣を全身で振るい――全てを一閃。

 唸る炎で巨大な〝人形〟の拳を焼き切り、〝緑の炎〟も押しとどめる。


 だが、足りない。

 〝魔剣術〟で放たれる炎が、徐々に緑色に飲み込まれていく。


〈キラくん!〉

「下がって!」

 右目がズズと赤くなるのを自覚しつつ、老騎士に声をかけた。

 一瞬の攻防ではあるが、彼は多量の汗を流しながら隣へ交代する。


 するとそのタイミングで、〝変化の人形〟がまさしく人形サイズに変化。

 〝緑の炎〟の吹き上がるような熱を利用してふわりと上昇。

 そうして、本格的に〝緑〟の波が迫り来る。


〈エルト流――〉

 両腕を突き出して、掌を向ける。


〈〝鳴動ミュウ〟!〉

 ゴロニャウ! 一瞬だけ、まさに猫のような鳴き声が響き渡った。


 その甲高い鳴き声が、津波のような〝緑の炎〟を解体した。

 徐々に勢いがなくなり、到達する前にしゅるりと消えてなくなる。


〈あ……焦ったぁ……! ナイス、エルト〉

〈師匠のは何度も見てきたからね。完成度はイマイチだけど。もっと……ぱっ、て消したかった〉

〈僕の〝飛ぶ斬撃〟なんてただの空気砲に終わったし、それに比べたら十分すぎさ。それよりも……〉

 焦りと安堵でバクバクと唸る心臓を抑えつつ、キラはちらりと隣を見た。


「〝魔剣術〟……。旧エマール領の……」

 剣の先で石畳を引っ掻き、重たそうに手元に引き寄せる男。その姿には見覚えがあった。

 〝イエロウ派〟騎士、スプーナー。随分と〝悪魔〟を憎んでいたのをよく覚えている。その憎しみが狂気じみた顔つきを生み出していたが……今は、その執着心がないように見えた。


「キラ殿……であるな」

 声も、別人のように穏やか。

 ただ。


「貴殿に謝りたいことがあった。〝悪魔〟と呼んだことや、知らぬ罪を被せたことを……。話さねばならないこともある。助けに入ったはずが助けられたことについても」

 スプーナーを形成する禍々しい何かが消え去ったわけではなかった。

 別の形に変わり、別な方へ矢印を向けただけ。


「だが今は――」

 スプーナーが睨んでいるのは、凶悪なシスター。

「シスター・マリノ――先ほどの〝炎〟はどういうことか、説明してもらおう」

 

   ◯   ◯   ◯


 〝モンテベルナ・ファミリー〟と〝バレンシア・ファミリー〟の抗争。

 正義も仁義もないマフィア同士の争いに首を突っ込む人間は、そうはいない。その直接的な原因を作った〝赤目の少年〟以外は、降りかかる火の粉を避けようと避難する。

 そんな中、スプーナーが現れたのは、〝イエロウ派〟騎士だからではない。

 旧エマール領から数々の経験を経て、彼は新たな道を歩もうとしていた。

 その矢先に起きた事件だからこそ、〝新生スプーナー〟として〝授かりし者〟を庇ったのである。


 ことの発端、というほど大したものではないが、スプーナーが新しい自分を見つけた始まりは、まさしくエリックとの出会いからだった。

『お前……お前! エリックだろ!』

『人違いだっつってんだろ! しつッッこいぞ、セド!』

『俺の名前知ってんじゃんっ!』

『俺は知らねえやつを〝セド〟っつうんだ!』

『嘘つけぇ!』


 五日ほど前。

 トスコ婆に紹介してもらった八百屋で配達に勤しみ、一つ休憩を挟もうとしたタイミングで、何やら騒がしい追いかけっこを目にした。

 常ならば、少年たちのおふざけとしてわざわざ下ろした腰を上げるようなことはしなかった。

 だが〝エリック〟という名前を聞いたなら話は別。

『――! なんだ、おっさん……!』

『静かに……。〝錯覚系統〟でやり過ごす』


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