771.抗争
「……どうしたの?」
「変な〝気配〟が、今、一瞬だけ……」
レルマはそれだけで状況を理解してくれた。ちゅ、と頬にキスをしてから、自然な流れで離れてくれる。
ルセーナも空気を読むのがうまい。言葉にはせずに、目だけで何かあったのかと訴えかけてくる。
「二人に聞くんだけどさ……。こっちの方って、何がある?」
〝気配〟を感じた方向を指差す。エルトも同じ方角から察知したらしく、「そう、そっち!」と頭の中で肯定している。
「何があるっつっても……」
「パサモンテ城のほうじゃあ、ないわよね……」
曖昧な問いかけに、ルセーナもレルマも困惑していた。
もしかしたら本当に気のせいだったのかもしれないと不安になり……そこで、背後で交わされる会話が耳に飛び込んできた。
「マフィア同士の抗争だってよ……!」
「なんだってこんな時に……! どことどこだよ?」
「モンテベルナ・ファミリーとバレンシア・ファミリー! 〝市民軍〟のヒトらが大慌てで報告しに行ってた」
「デモ行進はやるんだろ? 大丈夫なんだろうな……?」
モンテベルナ・ファミリーとバレンシア・ファミリー。
言い換えれば〝イエロウ派〟過激派とクロス一派。
二人とも、その構図にすぐさま気づいていた。
「マズイんじゃねえか、これ……。だってよ……」
「〝マフィア狩り〟の成果とも言えるけど……。このタイミングはなかなかね」
二人の反応を見るまでもなく、キラは動いていた。
「とにかく、様子見だ――僕が見てくる。二人はここにいて。リーウたちと合流できたら事情を説明してほしい」
「うっし、わかった。増援向かわせるか?」
「――いや。一人で十分」
〝イエロウ派〟の教会を中心として広がる〝プッチーニ区〟。店の一つもない住宅区は〝イエロウ派〟の中でも過激な思想を持つ人間ばかりが住んでおり、ある意味〝トラエッタ区〟とは真逆の街となる。
ただし、〝プッチーニ区〟の真の支配者は〝モンテベルナ・ファミリー〟。過激派たちを隠れ蓑にして、アベジャネーダ全体に影響を及ぼすマフィアである。
貴族や議会議員とも深い繋がりがあり、このファミリーに喧嘩を売るということは、国を敵に回すということに他ならない。どんなに荒くれ者を抱えるマフィアでも、表立って敵対するようなことはしなかった。
〝モンテベルナ・ファミリー〟一強時代。マフィア間ではそう囁かれていたらしいが……この一週間で崩壊した。
むろん、原因は〝マフィア狩り〟。
陽が沈むとどこからともなく現れて、狙われた者は二度と朝日を拝むことはできない。人数を増やしても、待ち構えても、対策をしても……五秒とたたずに皆が死ぬ。
恐れる他に、手立てがなかった。
他マフィアからすればまたとない好機……ではあったが、そう簡単にはいかない。
全てのマフィアが〝マフィア狩り〟の被害に遭い、無事なのはマフィアとも認識されていない使いっ走りの集団のみ。どこもかしこも、よそへ手を出すほど余力はなかった。
ただし。
〝バレンシア・ファミリー〟を除いて。
〈〝プッチーニ区〟……だっけ? 見事に戦場になってる〉
〈〝イエロウ派〟過激派の根城だからいいものの……〉
〝バレンシア・ファミリー〟は、マフィア同士のしがらみも国云々も関係ない。
マフィアの皮を被った〝聖母教〟過激派なのだ。アベジャネーダにおいて、彼らの目に映るもの全てが攻撃対象となる。
〈けどまあ、よかった……のかな? てっきり、デモに絡んでくると思ったけど。その方が〝イエロウ派〟を消すって目的に一番近いでしょ〉
〈それしたら私とキラくんで対処してたから……。それを〝バレンシア〟も分かってたんじゃない?〉
〈ふん……。旧エマール領のときは〝聖戦〟だとかなんとか叫んでたけど、今回はそれっぽい雄叫びが聞こえない……。だから……マフィアとして抗争を仕掛けた、ってことになるのかな?〉
〈ふふん。だいぶ追い詰めたね。一強に食ってかからなきゃいけないほど、〝バレンシア〟の未来は狭いってことなんだから。せいぜい足掻いてほしい〉
〈このままジリジリとどっちとも潰れてほしいとこだけど……〉
マフィア同士の抗争は激化しつつある。
一本の大樹が聳え立つ広場を二分して、魔法を打ち合っている。
ビュンッ、と光の玉が飛んでいくかと思えば、それを別の光の塊が食い止め。その一方で、舐めるように地面を這う炎を、水流が堰き止めている。
氷に雷に風が吹き荒れ、爆発と砂塵と瓦礫とが入り混じる。
激しい魔法のぶつかり合いの端でも、マフィアたちの接近戦が繰り広げられていた。刃同士がぶつかっては火花を散らし、互いの拳が体にめり込む。
ざっと見、戦況は五分。
ただ――少しだけ、〝バレンシア・ファミリー〟に傾き始めた。
元は〝アルマダ騎士団〟に所属していた異端児たち。単なる殴り合いだけでなく、きちんとした作戦も組み込んでいた。
魔法を撃ち合い、接近戦も仕掛けるその陰で、何体かのゴーレムを生み出していく。人の倍ほどの大きさしかないものの、ずんずんと進撃する姿は威圧感があった。
〈さっきの〝気配〟、なんだったんだろ? 〝神力〟のような気はするんだけど……〉
〈ああ〜、そういえば。私も、てっきりどっちかに〝授かりし者〟が紛れてるのかと思ったんだけど……。いないね〉
〈〝授かりし者〟を抱えてるとしたら〝バレンシア〟のほうなんだろうけど……。だとしたらさ。思いっきり暴れさせるじゃんね〉
〈んね。ってことは、〝モンテベルナ〟か……全く違うところか〉
〈んー……。一瞬だけ、ってのが気がかりなんだよねえ。なんか、僕らうまいこと釣られたような気がして……〉
〈えー? ……ええ?〉
〈……。違うとは言い切れないんでしょ〉
〈……うん。けどそんな細かい芸当ができるなんて、それこそ――〉
エルトがほぼそれしかないであろう事実を口にしようとした、まさにその時。
辺り一体を〝気配〟が飲み込んだ。
と同時に、炎が吹き荒れる。
さながら地獄からこぼれ落ちたかのような緑色の炎が。




