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~新世界の英雄譚~  作者: 宇良 やすまさ
第8章

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763.〝隣人〟

「驚いた……。中もそのままか……。埃がない……掃除が行き渡っている……?」

 あのまま、舌を噛みちぎって死んでしまってもよかった。

 だがそんなことをすれば息子の無念は晴らせない。隙を見て脱獄し、今度こそ……。

 そう思っていた時に、苛烈な感情を露わにする少年と出会った。息子と比べると随分育ちの悪い子供である。

 あの黒髪の少年……キラの友達であろう少年は、真っ直ぐに怒りをぶつけてきた。


『俺が殺してやる!』

『罪をなすりつけやがって!』

『真っ直ぐものも見れねぇくせに――!』


 まだ十数年しか生きていない子供にそんなふうに散々罵倒されて頭に来たが……真っ暗な地下牢に再び静寂が訪れると、いやに冷静になれた。

 どちらが正しいのだろうか。

 どちらが異常なのだろうか。

 何が正義なのだろうか。

 そんなことが延々と頭の中で回っていく。地下牢でも、移送中の檻の中でも、ガルシーアに到着した後も。


 結果……分からなくなった。

 だから、誰でもいいから捕まえて聞かねばならないと思った。とはいっても、看守はもちろん話し相手になどならず……チャンスを見つけて脱獄する他なかった。


「犬畜生、か……」

 なんの巡り合わせか、脱獄後すぐにグリューンと再会した。

 当然のことながら、少年には『イカれてる』と即答された。その上で『悪魔』だの『言いなり』だの、挙げ句の果てには『犬畜生』。

 聞く相手を間違えたかと思ったが……ふと思い出したことがあった。


 息子のローディを失ってからは、心に空いた穴へ憎悪を注ぎ、〝悪魔〟根絶に傾倒していた。

 だがその前は、〝聖母教〟にも似通った信仰心を持っていた。たった二年半の結婚生活だったが、妻のレニャーノに大きく影響されたのである。

 彼女が大切にしていた〝隣人愛〟を穢さぬように、そして愚かな思想で息子ローディが染まらぬように、スプーナーは人一倍言動に気をつけていたのだ。

 あの頃は、確かに〝犬畜生〟などではなかった。

 自分の考えもなく、ただ目の前にぶら下げられた〝憎悪〟という〝正解〟に飛びつく野獣などではなかった。


「少年……グリューンよ、君が正しい。だが……それでも私は、まだ怨みを忘れられないのだ」

 〝トラエッタ区〟に捨て置いた我が家を目にすれば、何もかもに諦めがつくと思っていた。

 かつて幸せを夢見た一家が住んでいたことも消えてなくなったかのような、新たな住人のごくごく普通の生活を目の当たりにすれば。

 きっぱりと区切りをつけられたかもしれなかった。

 そうして、どこか人里離れた場所で、ひっそりと……。


 だが現実には、約三十年もの間、我が家は誰かに守られてきた。

 親元を離れて住み始めた当時から、結構な築年数だった。

 三十年も放置していれば外も中も荒れ放題だったろうが、ドアが新しくなっていたり、窓が張り替えられていたり、中はきっちり掃除されていたり。家具の配置も、食器棚の食器の数も、何もかもがそのまま。

 もちろん、ローディが住んだ部屋もそのまま。

 少し小柄だった少年時代に合わせた勉強机に、〝ゼメラルド〟隊員と共に完成させたベッド……。棚の引き出しを開ければ、服もそのまま入っていた。


 否が応でも、思い出す。

 妻に託された想いを。

 息子の愛おしさを。

 生まれてきてくれた時から脳裏に刻んだ幸せの数々を。


 それを否定するかのように、あの〝炎〟が燃やし尽くしてしまった。

 怨みは消えない。

 消えてくれない。


「どうすれば良いのだ……」

 ふらふらとした足取りで家を出る。まるで、息子を失ったあの日のように……。

 しかしあの時と違うのは――。

「スプーナー……?」

 背中にかかる声に気付けたことだった。


「ああ、本当に……。戻ってきたのかいっ?」

 声をかけてきたのは老齢の女性。腰が曲がり、杖をつき、しわくちゃな顔をくしゃっと歪ませる。

 おそらくは知り合い。だが三十年も経っていれば年を取り、顔も格好も変わる。

 誰だ……? 今までにないほど頭を回転させていると、老婆が見かけによらない速さで駆け寄ってきた。カカカッ、と高速で杖をつき、遠慮なく距離を詰めてくる。

 その距離感に、スプーナーははたと思い出した。


「もしやトスコ婆さんか。……生きていたとは!」

「ハッ、若造が! 年寄りを舐めるんじゃないよ!」

「あ、と……失礼。しかし驚くのも無理はないでしょう? 三十年前で六十……まさかご存命で、しかもそれほどの健脚とは。思いもよりませんよ」

「そらァ、こっちのセリフよ! まったく……どこで不良してたんだか!」

 かつてならば杖を振り上げ、こめかみあたりをしばいてきただろう。

 しかしトスコ婆も、間違いでなければ御年九十……くわっ、としわがれた目をかっ開くに止まる。それでもその年に見合わない迫力ではあったが。


「気は……晴れたのかい」

「一歩、前進はしました。しかし――恨みも怒りも、一つとして消えません」

「そうかい。それなりでよかった。あの時ァ、声かけても応えてくんなかったからねぇ」

「その当時は迷惑をかけました……。その日に飛び出すように王国へ旅立ったものですから」

「王国……。エグバート王国かい? あんな遠くまで……。そうかい」

「よければ、中へどうぞ。皆がこの家を守ってくれたおかげで……。紅茶の場所もすぐに思い出せます」

「はっは! とっくにしけってらァ」

「あ……」

「安心しな。アンタがいつ帰ってもいいように、茶葉もコーヒー豆も定期的に入れ替えてたんだ。いっときは年寄りの寄り合い所みたいになってねぇ。悪いけど使わせてもらってたよ」

「いえ……。もう捨てたようなものでしたから……。そのまま使っていただいても」

「フン……。どれ、あたしの紅茶の腕前を披露してやろうじゃないか」


 慣れたかのように家に入っていくトスコ婆から視線を外すと、どうやら〝トラエッタ区〟そのものの気遣いであるとわかった。

 道の端でたむろする主婦たち、向かい側の道で売り子に話しかける紳士……そのほかにも次々と誰かが誰かを呼び止め、話し込んでいる。三十年以上前の記憶が一気に蘇るような、懐かしい顔ぶれが成り行きを見守っていた。

 先手を切ったのがトスコ婆というだけであって……皆、ソワソワとしていた。

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