761.本命
「いくつか、選択肢はある」
「頭が回るなあ、マーカス殿は。頼りになるぜ」
「君が大人になれば立場は逆転するさ。――選択肢の一つ目は、俺も君たちについていく」
「おお……? 意外なとこから来たな」
「二つ目は、〝ガリア大陸遠征計画〟に便乗する」
「便乗……?」
「〝ガリア大陸〟へは海路を使うことになる。遠征のために築いた〝ヴァラキ基地〟から出航するのだが……この基地からは、意外と〝聖地〟が近い」
マーカスのその言い方に頭が混乱しそうになり、アテナは〝知恵の神力〟に頼った。
ぱらぱらと記憶の本をめくり、必要なページをちぎり取っていく。考えるというにはあまりにも稚拙で不確かだったが、〝神力〟が適切に繋ぎ合わせる。
「マーカス殿のいう〝聖地〟は、この国の西に隣接する〝月の神の聖地〟だな?」
「そうだ。もちろん二、三日で着くような道程ではないが、それでもここから出発するよりかはだいぶマシだろう。俺も遠征に同行すれば、荷馬車なり積荷なりに二人を匿うことも容易。物資もいくらか融通できる」
「けど……。マーカス殿は遠征には反対してたじゃんか?」
目が見えなくとも、マーカスがどんな顔をしているのかは容易に想像がつく。
〝知恵の神力〟というやつは妙なところで親切で、顔を触ったり容姿を聞いたりすれば、大抵その通りに顔貌を記憶に刻んでくれる。
想像上のマーカスは、吐息のつき方からしても、渋い顔つきをしていた。
「……確かにな。〝太陽の神の聖地〟には、〝南の大国〟ルイシースですら敗走する他になかった怪物――〝使徒〟がいる。〝元帥〟が全員揃い踏みの竜ノ騎士団を跳ね除けるようなものだ」
「初耳だが……。それが事実だとすれば、とんでもねーな」
「今のアベジャネーダ軍には〝授かりし者〟が二人……ロキとガイアがいる。しかし奴らが〝元帥〟と同格とは思えん。それに何より、腹のうちで何を考えているかわかったものではない。なのに……馬鹿げている。命を捨てにいくようなものだ」
声の調子が、底の底にまで下がる。誰も想像できないほどに、一人でずっと悩んでいたのだろう。
ただ、その迷いはもう吹っ切れたらしい。耳に届く声には震えなど一切なく、しっかりとした芯が通っていた。
「君たち二人の意見が揃えば、二番目の選択肢を俺も採ろう。だが――俺としての本心は、最後の三つ目にある」
「おう? ってことは現実的ってこったな?」
「エグバート王国に戻る。俺も一緒にな」
その一言で、マーカスが何をどう悩み、そしてどんな答えを導き出したのかを読み取れた。
「それは……。いいのか?」
「迷いはしたが――気遣いは不要だ。俺は俺の道をゆく」
「おお……! かっけえや!」
「いうんじゃなかった……照れる。だが実際のところ、王国に戻るということは俺にとってメリットが大きい。知らねばならないこともあるし、調べねばならないこともある。問題は……俺よりも、君たちだ」
「あー、それな。私は別にいいんだ。エリックがいれば……」
「ほう? ほほう?」
「――違う!」
「何も言ってないではないか」
マーカスには筒抜けなことなど、とうの昔からわかっている。相談すれば真剣に乗ってくれるだろう。
だが、いつも『今はその時ではない』と理由をつけては話すのを戸惑い……今この瞬間も、頭を振るって強引に話題を戻した。
「私よりも、エリックだ、エリック! 今のあいつじゃあ、どうやっても王国に帰らない気がするんだ」
「彼の友達についてはチラリと聞いたことがある。難しい問題だが……」
「いや、そうじゃない。あー……それもあるけど、そっちが主題じゃあなくって……。私が言ってるのは、今のエリックは自分に一個も興味がないってコト」
「ム……? 自尊心が低くなっているということか?」
「それともちょっと違う気はするんだけど……まあ、大体はあってるな。なんていうか……こう……自分のために行動してないんだ。いっつも私のためかマーカス殿のためで……。うぅぅん……。わ、わかってくれ……!」
「――。確かに。思い返してみれば、俺への恩返しにこだわったり、〝聖地〟への旅の資金集めに執着していたり……。彼の性格を考えるに、もう少し自分のやりたいことへの比重があってもいいはずだが……。それこそ、〝旧エマール領〟であれだけ目の敵にしていた〝エマール家〟が目の前にいるのだから、何か行動を起こしても……」
「だろ? エリックにしてみりゃあよ? マーカス殿とこんだけ仲良くなったんだから、ちったあ何か考えたっていいはず。言いにくいけど……マーカス殿の父上に対しては、相当な恨みを持ってるんだからさ」
「ずばり言ってくれて構わないさ。むしろ、俺にも非がある。父を止めることに執着して、どれだけのヒトが苦しんでいるかなど考えもしなかったのだから……。相応の報いを受けねばならん」
「うぅ……。いいじゃないかっ。だって、マーカス殿はエリックと私を助けたんだから」
「……ありがとう。――しかし、考えれば考えるほどに奇妙に思える。村を飛び出してまで父の寝首をかこうとした彼が……こんなにおとなしいとは。リケール内には〝エマール家〟を追放せんとする活動団体が暗躍していると聞く。それも含めて考えると……」
「自己肯定感……っていうか、〝自分〟の価値が限りなく低くなったってコトかあ……?」
「〝武装蜂起〟では随分無茶をしたらしいからな。苛烈な性格が裏目に出たと言ったところか……。その上で友と喧嘩別れしたというのであれば、不安定になるのもわかる」
「喧嘩……か? アレは。真剣を持ち出してたぞ?」
「喧嘩だ。元からあった溝をさらに深めていくような愚かな対立だが……死で分つような亀裂は入っていない。それほど深刻だったのならば、エリックか彼の友か、どちらか命を失っている」
「ならさあ……。その溝ってやつを埋めてやれば、エリックも〝自分〟を取り戻せるか?」
「どうだろうな……。エリックもまだ十五……考え方に変化があっても当然の年頃だ。この異変が大人になった証、といえるかもしれん。いかに〝知恵の神力〟を有する君であっても、こればかりは経験してかねば解らないだろうが」
「結局、わかんねえってことかあ……」
「うむ。しかしこの変化がマイナスなものであれば、悪い兆候がきっと出てくる。妙に荒れたり、妙に落ち込んだり……。できるだけ、小さな違和感も逃さないでいよう」
「一度、王国に帰ること、提案してみようかな……。その反応で何か分かるかもだし」




