753.流れ
レルマがあらかじめ用意していたのは、〝ラッジ区〟の地図。
大通りはもちろん、裏路地や建物の位置まで、詳細に把握している。
「あなたのお仲間さん……リーダーが望むのは、『告知が目につく場所に張り出される』ということ。ということは、運が悪ければ〝イエロウ派〟の過激なヒトたちに目をつけられる」
「あ、あれ……。シスの言ってたこと、本気にしてる……?」
「あなた、度胸あるでしょ。そういう態度がトラブルを引きせるってこともあるの。――それで、いざという時には逃げなきゃいけないわ」
「逃げ切る……そうじゃないといけないんだよね」
「そ。ヴェロニたちはともかく、アタシらみたいな人種が手を出してみなさい。治安局が軍を動かす事態にまでなりかねないわ。そんな大事は求めてないの。重要なのは、喧嘩を売っておきながら逃げちゃうチンケさ」
「それ……。いろんなところに噛みついてない?」
「あら、そうかしら」
とぼけたように言うレルマは、杖で地図の真ん中をぐるりと指し示した。
〝ラッジ区〟の中央には、円状の大通りが敷かれている。この通りからさまざまな方向へ道が伸び、街が広がっている。
「この中央にはチラシを貼るのは危険ね。人通りが多すぎるし、初手で見つかる可能性も高い。だから本命は、この通りから派生する五本の道」
続けて、南東、南西、北西に伸びる道をなぞる。
「この三本の通りを中心にチラシを貼っていきたいの。なぜって、アタシたちがいるようなヒトの寄り付かない場所が点々とあるから」
する、する、する、と杖の先端で素早く円を描く。そのどれもが建物が密集し、かつ裏路地が張り巡らされている地域だった。
「チラシを貼って、すぐ裏路地に退散。見つかっても適当に逃げ回ってれば撒けるはずよ。屋内や屋上にでも避難しちゃえば、ほぼ確実でしょうね」
「うぅ……。迷子になりそう」
「そういう場合は、分かれ道を全部左に曲がりなさいな。いろんなところにあらかじめ印を置いてあるから、その時は右。すると考えることもなく出られるわ。ともかく、慎重に行動することね」
「わかった。それで……二手に分かれる?」
「そうね。明日からは別々で活動することになりそうだし。とりあえず、三箇所ほど貼ったらまたここで落ち合いましょ。過激派が一人も釣れないなんてことになったらつまらないもの」
そういうとレルマは、全身を隠すようなコートを脱ぎ去り、端の方へポイと投げ置いた。
「じゃ、またあとで」
ふわりとスカートがはためく町娘姿に様変わりしたレルマは、颯爽とその場を後にした。
〈七変化すぎない……? 同じコート着てても中年男と貴婦人を演じ分けて、その上あのドレス姿で町娘って……〉
〈さすが〝アサシン〟。役者だあ。キラくんも負けてられないよ〉
〈〝一ノ型〟で警戒はしておくけど……。正直、自信はないなあ〉
ひとまずキラは、広場を通り抜けた先にある大通りの確認をした。
そこは円状大通りに通じる五本のうちの一本。午前十時を回ったということもあって、すでに人通りが多い。
目の前を馬車が通ったタイミングで、裏路地から出る。レルマから借りている肩掛けバックの位置を仕切りに直しつつ、一番近い南東の通りへ向かう。
〈キラくん。カバンに帽子があるみたいなこと言ってなかった?〉
〈ん? そういえば。かぶっといたほうがいいかな〉
さりげなさを装ってハンチング帽で黒髪を覆い、ちらりと円状大通りの中央に目を向ける。〝イノシシの巣窟〟に到着する前に見たのと、ほぼ同じ光景が広がっていた。何人かの演説者が、声高に〝イエロウ派〟であることの正当性を訴えかけている。
少し違うのは、この演説を横目に通り過ぎているヒトたちの様子だった。
迷惑そうに顔を顰めたり、その空気すら嫌うように遠回りしていたり……分裂という言葉を理解できるほどに、市井の人々の思想に溝があった。
〈場所は……ここからもっと遠いところがいいよね〉
〈だね〜。あそこに集まってる人たちが帰り道に見つけちゃう、みたいなのが理想だと思うよ〉
怪しまれない程度にキョロキョロとして的確な場所を探す。
円状大通りを中心として広がる〝ラッジ区〟は、どうやら住宅街のようだった。石レンガのアパートメントや木造建ての長屋が立ち並び、住人が家族や友達を連れて出入りしている。
そのうちの木造建てに目をつけて、ヒトの流れに乗る。
表側の目立つところに、手をつくふりをしてペタリ。思ったよりも杭が刺さらなかったが、心臓が暴れ出しそうなほどのドキドキでそれも考えていられなかった。
チラシを貼った後は即退散。長家の横から小道に入り、鬱屈とした半迷宮に潜る。
念の為〝一ノ型〟でヒトの〝気配〟を探ったが、レルマの言った通り安全は確保されていた。
だが、お世辞にも隠れ蓑として最適とはいえない。ただでさえ狭い路地というのに、建物がぎゅうぎゅうに密集し、光も空気も少ない。
ほぼすべての廃屋が老朽化しており、手をつくだけでも崩れそうだった。これでは、どんな荒くれ者でもたむろしようという気にはなれないだろう。
〈ああ、緊張した……。〝一ノ型〟で警戒しようにも、五十メートル以上広がんないから……〉
〈そういえばキラくんってば、旅の最中はぐうたらしてばっかだったもんね〉
〈言い方。集中できる環境だったんだよ。課題が見つかったのは事実だけどさ……。適当に方向だけ探るなら、五キロは行けるのに……それじゃあほぼ役に立たないからなあ〉
〈って考えると〜。ほんと、師匠とかユニィって化け物。キラくん、今の緊張感でそれなんだから、戦闘中とかもっと切羽詰まると十メートルも保てないんじゃない?〉
〈それは流石に……。んー……。いやでもほら、〝弐ノ型〟を中心に使うしさ〉
〈はい言い訳。ダメだよ〉
〈ぐ……。精進するよ〉
レルマの助言をもとに迷宮を抜けて、別の通りに繰り出す。同じように住宅が立ち並ぶ中から木造建築に目をつけて、二枚目、三枚目と張り付けていく。
意外と誰からも注意を受けないことにホッとしていたが……。
〈なんか……。尾けられる〉
〈だね〜。にしても妙……。尾行されてるってことは、チラシ貼るとこ見られてたってことだよね〉
〈それか、この迷宮に入っていったから……? 後ろに一人、二時の方向に二人、九時方向に一人……。どっちにしろ、包囲されてる〉
〈トラブルの予感〜〉
〈楽しんでる場合じゃないでしょ。別にこの人数どうにでもできるけど、今は〝市民軍〟メンバーとして行動しなきゃなんだから。なんとかして逃げないと。とりあえず、どこか建物に入ってやり過ごして……〉
気配感知の有効距離は半径百メートルほど。集中できている分、全員の位置を把握することはできる。
この調子であれば、迷宮の複雑さを利用して撒くことも十分可能……。
そう思っていたが。
〈ちょちょちょ、ま、待って……!〉
それまで痩せ我慢していたエルトが、ついに限界を迎えていた。
大の幽霊嫌いは、この常に薄暗い迷宮でもジワジワと精神的に追い詰められていたらしい。
〈え、エルト……? ちょ、足、動かないんだけど……!〉
〈だから待ってって! まさか今にも崩れそうな廃屋でじっと息を潜める気なのムリムリムリムリ危ないじゃん!〉
〈よく息継ぎなしで……! そんなこと言ってると――あ〜あ〉
〝一ノ型〟で位置を探るまでもなく……見つかった。
ざ、ざ、ざ、と。踵を地面に擦り付けるような足音とともに、ねっとりとした声がかかる。
「やあ、坊や。こんな場所に来て……危ないじゃないか」




