742.隠れ家
「けど……緊急事態かあ。僕、運の悪さにかけては群を抜いてるから……また何かトラブルに巻き込まれるだろうなあ」
「正直に言って……。ありえますね。キラ様のおそばにいてトラブルがないことがないのですから」
「とりあえず……。〝元帥〟としてなすべきことは、国民の安全確保かな。二百五十まで感知距離がのびたから……固まって動いた方が得な気がする。下手に離れたら指示が届かなそうだし」
「そうですね……。そういった場合、パニックもあって物音が無尽蔵に重なりますから。私たち四人一緒に避難誘導に努めた方が良いでしょう」
「ただ……。バッチバチに戦いが起きてたらいいんだけど、そうじゃない微妙な時はどうしようかな。実は〝市民軍〟とはまた別に反乱組織があって……みたいにさ」
「〝アサシン〟がいらっしゃるのでその可能性は薄いでしょうが……。そういったときは〝アサシン〟に従うほかないのでは?」
「そう……だなあ。僕らは見習いみたいな立ち位置なわけだし……」
〝アサシン〟としての見解も聞きたいところだが、そう言った細かい話はまた後ということになりそうだった。
長く続いた地下通路に終着点が見えたのである。
平坦だった道にわずかに傾斜がつき、それを合図にしてバレアスが魔法の光を投げかけると、土色の階段が明らかになる。
階段を上りきると扉があり、そこを開いてもなお暗闇。
「バレアス。噂の客人かな?」
パッと室内が明るくなると同時に、しわがれた翁の声がゆったりと響いた。長い髭を蓄え、腰の曲がった老人が杖をつきながら近寄ってくる。
「ラグーナ先生。竜ノ騎士団の〝元帥〟キラ殿と、〝専属秘書〟のリーウ殿です。あとお二人いらっしゃるのですが、そちらはルセーナとともに明日到着予定です」
地下通路に通じていたのは、どうやら地下貯蔵庫らしかった。
酒樽やら木箱やら籠やらがそれぞれ棚にきちんと整理され、それぞれプレートで内容物が記されている。酒にワインに、小麦、じゃがいも、ヒヨコ豆、多種多様の干し野菜に、干し肉。
基本的に乾いたものばかりであり、エグバート王国とは全く別の土地に来たのだと理解できる。
「では元帥殿、秘書殿。私はこれで失礼致します。それと……先程の非礼、重ねてお詫び申し上げます」
「ああ、それはいいんですけど……。バレアスさん、もう戻るんですか?」
「私は〝マイルズ亭〟の従業員。リケールに居てはならない人間なのです。時間のことならばご心配なく。私は一時間でどこでも向かえますし、疲れたとしても避難所がありますので」
「そっか。案内ありがとう。助かりました」
最後にバレアスはラグーナ老人に一礼してから、来たその足で再び地下通路に潜った。
「キラ殿、リーウ殿。ようこそおいでなさった。此度の御援助に感謝申し上げます」
「ああ、えっと……。どうも」
「以降は少々粗雑な扱いとなりますが、〝アサシン〟としての役割を全うしてのこと……ご容赦いただければと存じます」
「それはもちろん。僕らは見習いアサシン……ってことでいいんですよね?」
「表向きには〝ドンキホーテ商会〟の見習いとなりますな」
「ああ、そっか……。で……? 〝市民軍〟にも所属してる、って形になって……?」
「一度状況整理のため、場を設けましょう。お仲間のシス殿もいらっしゃいますので、さまざま情報の交換をされるとよろしいかと」
杖をつくラグーナに、隠れ家を案内してもらう。
見るからに筋肉が衰えて痩せ細っているというのに、意外と健脚。トントンと身軽に先をいく。
地下貯蔵庫から繋がるのは小さな中庭。真ん中には噴水が設けられ、ベンチが四方の壁に沿って設置されている。
もうすでに夕方ということもあって、〝アサシン〟たちの憩いの場となっていた。談笑したり、本を読んだり、書き物をしたり、食事をしたり……。
ラグーナの顔を見るや全員が立ち上がり、よそ者に対しても礼を欠かさずお辞儀をする。
「〝アサシン〟たちは、みんな商会の人間ってことになるんですか?」
「そういうわけではありませんが……。その前に、キラ殿――キラくん。この中庭はまだ良いものの、室内に入れば窓や扉などから見られる可能性が高い。できれば、そちらの服は脱いでおいてもらわねば……目をつけられてしまう」
ラグーナに指摘されて、キラは噴水のそばに膝をついた。
右肩に提げていたバックパックをおろし、蓋を開けて〝元帥羽織〟を突っ込む。その際に長細い袋を取り出して、〝センゴの刀〟と剣帯とをしまいこんだ。
「ああ、そうだ、忘れぬうちに……。キラくん、リーウくん。我々が仲間であると一目でわかるよう、右手の中指に指輪をつけてもらうことになる。二人とも、何もつけてはおらんな?」
「はい」
「よし。――ジョヴァンニ。二人の指のサイズを測り、至急〝証〟を作るように。名前は〝キラ〟と〝リーウ〟。ああ、ついでにシスくんを会議室までよこしてくれ」
ベンチに座っていた指輪職人の太めの男が、鈍い動きでベンチから立ち上がる。手にしていたパンを丸呑みにして、噴水でバシャバシャと手を洗ってから、のそのそやってくる。
無口で愚鈍なジョヴァンニは、しかし繊細な男だった。
まるで宝石でも扱うかのようにそっと手を取り、じっと指を見つめる。リーウに対しても同じ行動をして、一つ頷いて立ち去ってしまった。
「え……? 今、測った?」
「いえ……。見つめただけのように思いますが……」
リーウと顔を見合わせて驚いていると、ラグーナが誇らしげに笑った。
「個人的に店を構えるほどの腕前でな。ちょっと観察すればどういう指輪が合うかわかるそうじゃ。――さ、こっちじゃ」




