737.ゴタゴタ
〝贋の国〟アベジャネーダは、その実、都市国家という。
約三百年前。〝教国〟ベルナンドの領土を一部奪って以来、縮小もしていなければ拡大もしていない。
侵略戦争をあちこちに仕掛けていれば、ベルナンドとしてもまだやりようがあったのだろうが……。
「――ま、できなかったってのが、正しい言い方になるな」
〝カール哨戒基地〟を出発してすぐ。セドリックとドミニクが御者席に座ったことで、ルセーナによる〝アベジャネーダ講義〟が始まった。
それもそのはずで、アベジャネーダ内で結成されている〝市民軍〟に参加せねばならない。
シスやルセーナの仲間が手引きし、サポートしてくれるとはいえ。アベジャネーダでの常識は必要となってくる。
キラはあくびをしたいのを必死に我慢しつつ、リーウが素早くメモを取るのを横目に見ながら、話を聞いていた。
「アベジャネーダからもう少し西に行くと、〝聖地〟があるんだ。奴らの嫌いな〝授かりし者〟たちの祈りの場所さ。けどそこにゃあ、〝神〟にすら届くって噂の化け物クラスの〝使徒〟がいっから、いかに〝悪魔〟嫌いとはいえ容易に手出しはできない」
「〝使徒〟かあ……。確かに、規格外なんだよなあ……」
「会ったことあんのかっ?」
「え……あー……ま、まあまあ」
「なんだよ、まあまあって」
じとっとした目で睨まれ、キラは苦笑いしながらリーウに近寄った。
内容を確認している風を装ってメモを確認するものの、まだまだ読み書きが苦手なキラにとっては、ミミズの集合体にしか見えなかった。
すると今度は顔を上げたリーウから意味ありげな視線をもらい……セドリックとドミニクを頼った。
「二人とも、ちゃんと話聞いてる?」
「ドミニクの魔法で何とかなってるって言ったろ。三度目だぞ」
「そ……」
もはや時間稼ぎにもならず、キラは諦めてルセーナに視線をやった。
ただ、彼女も諜報員。さまざまな情報を握る身として色々と察するものがあったのか、一度大きなため息をつくだけで見逃してくれた。
「あえていうけどな、〝元帥〟。嘘をつけないなら下手に言葉に出さないほうがいいぞ」
「う……。ごめんなさい」
「いや、別に謝る必要はねーだろ……。ま、いっか。で……何の話だっけ……そうそう。アベジャネーダの情勢だ。政治的なやつ」
「政治……。そういえば、アベジャネーダの王様って、結局、元公爵のエマール家の……あー……あのまん丸な人なんだっけ?」
「シーザー・J・エマールな。まんまるって……そんな?」
「うん。ボールみたい」
「ぷふっ! う、んん、〝聖母教〟信者たるもの、そういう身体的特徴を笑うのは良くないな。ん。ぷふ」
「堪えきれてない……。それで、ちょっと疑問なんだけどさ。王様がいないのに、アベジャネーダはどうやって国として成り立ってきたんだろ?」
ルセーナはひとしきり笑ってから、何とか想像上のエマールをどこかへ追いやり、こほんと一つ咳をついて答えた。
「アンタの嫌いな宗教的なトリックさ」
「別に宗教が嫌いなわけじゃないよ……。神が嫌い」
「そっちのがなお悪いって。――要は、奴らはご大層に〝空の玉座〟なんてものを祭り上げて、〝王の帰還〟を待ちわびてるって体をとったんだ。『王が御帰還なさったとき、我々に安寧がもたらされる』ってな」
「確かに、宗教らしい……」
「で、その〝空の玉座〟を守るのが〝三銃士〟……って名目の〝三竦み政治〟。国のトップとして三人が同等の権力を持って、互いを抑制し合うって寸法だ」
「政治はよくわかんないけど……。そんなもんで上手く回ってたんだね」
「昔はな。ベルナンド側のアタシがいっちゃなんだが、領土を奪うなんてこと、相当の切れ者じゃなきゃ話にもならねえ。一つでもミスりゃあ首が飛ぶどころ話じゃねえんだ。それをやってのけた世代は、そりゃあ国を回すなんてこともお茶の子さいさいだわな」
「じゃあ、今は……?」
「潜入班の報告書を読む限りじゃあ、それはもうお粗末。〝三竦み〟なんて呼ばれてんのも、互いの抑止なんかじゃなく足の引っ張り合いになってっからさ。つい最近なんかは、リューリク帝国のゴタゴタにつけこもうとして全滅したって話だ」
「帝国のゴタゴタ……? 〝ペルーンパニック〟のあたりかな。あとでリリィに聞いてみよ。でも……軍が壊滅って。一個中隊とかそんなもんなんだろうけど、それでもなかなかの失態じゃない?」
「おおよ。しかも、奴らが心待ちにしてた〝王の帰還〟直前の大失態! 〝三竦み〟の一人、〝急進党〟のパトリキが早まったおかげさ。これをきっかけに〝三竦み〟の一角が崩れ、パワーバランスの崩壊と共に政治不振が溢れて……みたいな流れになりゃあよかったんだが」
「そうはならなかった?」
「残念ながらな。本当かどうか、〝悪魔〟に行手を阻まれたんだってよ。〝正義の進行〟のためだったのに奮闘虚しく……うんたらかんたら。〝三竦み〟の他の二人も、政治的不安を煽って国を窮地に追いやるわけにもいかねえもんだから、余計な茶々は入れられない」
「はあ……。まあ、もうちょっとマシな言い回しだろうけど……そんなのを鵜呑みにしちゃうの? 〝イエロウ派〟の信者ってのは」
「アンタな……。神様嫌いにはわからんだろーけど、信仰心てのはそのヒトの人生の芯なんだよ。〝神〟を信じて、縋って、頼って……そういう支えがあるから明日を生きれるの。ってか、アタシだって『鵜呑み』だなんて言い方できないぞ」
割と真面目に説教され、キラは言葉を呑んだ。ルセーナの目つきが尖り、燃えるように赤い髪の毛が逆立っているのようにも感じる。
「キラ様……。流石に先程の発言はいささか配慮に欠けていたかと……」
「ぐ……。だって、ルセーナの言い方も怪しいもんじゃん……」
「それは〝三竦み〟とやらに向けたもの。信仰心ある人間に向けたものではありません」
「確かに……。うぅ……」
そこでキラは、改めて〝元帥〟として任務についていることを思い出した。
今の発言は、〝神嫌い〟と〝群衆嫌い〟とがないまぜになって溢れたもの。だがそれは、〝元帥〟の立場を通してみると、いささかまずいことになる。
キラがどう対応しようか焦っていたところ、リーウが冷静に言った。
「先程のキラ様の言葉には、さまざま誤解を生むものがありました。訂正いたしますと……キラ様が、常人から外れているのです」
「あれ……? リーウ?」
「実を言うと、私はリューリク帝国出身でして。先程ルセーナ殿も言及した『帝国のゴタゴタ』にも巻き込まれ……その一連の騒動にて、キラ様とお会いしたのです」
「あの……? リーウ?」
「〝ペルーンパニック〟に〝帝都内乱〟。『ゴタゴタ』というのはおそらくこのことであり……この二つとも、キラ様が鎮めてしまいました」
「あー……」
「キラ様がいなければ、帝都は滅びていたでしょう。とくに、〝ペルーンパニック〟……この世のものとは思えない、まさに地獄のような出来事でした。死人が、蘇るのです」
淡々と話を進めるリーウに、キラも口出しを諦めた。




