730.3-9「理屈」
五人分の〝気配〟が近づいてくるのは、南西……左後ろの方から。
今いるのは山間地帯。山々を縫うようにして街道が敷かれ、見通しもそれほど悪くない場所。キャンプ場に選んだのも、雑木林や小高い丘からは離れた平坦な草原部分である。
リーウたちに寝ずの番を任せても大丈夫なくらいに安全な場所を、ルセーナは選んでくれた。
だが、いかんせん、注意すべき場所が多い。
離れているとは言え、北東方面、北西方面、南西方面のそれぞれに山がある。
山の麓まで一キロメートルはあるが、魔法を駆使しつつ時間をかけて近づかれれば、経験の低いリーウたちではあっという間に奇襲をかけられてしまう。
最も警戒すべきは、南西方面。
山の淵を沿うようにして川が流れており、草原部分と比べても一段階低い。この地形を利用すれば、一気に五百メートル付近まで距離を詰めることができる。
その観点があったからこそ、エルトもひと足先に気づき――素早く対処ができる。
「こういう時、〝元帥羽織〟は便利だよね〜」
鞄から羽織をそっと抜き出して袖を通す。羽織特有のあまりある裾が気になるものの、闇に隠れる真っ黒な生地が安心感を与えてくれる。
〝覇術〟は使わず、衣擦れや足音に気を遣いながら、〝空梟〟と己の目を頼りに〝気配〟に近づく。
目の前から、静かな川のせせらぎが聞こえてくる。右から左へ流れるような音。
五人の賊は固まって動いていた。
位置的には、まだ川の近く――土手を上がっていない。
そこでエルトは、大きく弧を描くようにして、右側面に回り込んだ。河岸に降りる土手に到着したところで、一旦静止する。
「さて……? お仲間は……いるとしたら川向かいの山ね」
距離は二百メートルほど離れている。魔法で探知できるギリギリの遠さ。
「〝雷〟は派手だし特徴的だからNG……。恐怖を与えて、盗賊団に手を引かせるには……四人は始末して、一人残す。近距離戦は二秒以上かかっちゃう……」
元帥時代ならばここまで考え込むことはないが、今はキラの体を間借りしている状態。魔法はもちろん使えず、となると、手数を把握するのにも時間がかかる。
無駄ともいえるこの時間が、エルトは嫌ではなかった。
何ができるか、何をしようか。考えていくうちに頭が冴えていくこの感覚は、何にも変え難いほどに心地が良い。
「そうだ。アレ、試してみよう」
悪い癖である。
思いついたら、もう止まらない。
失敗に終わることなど、考えてはいられないのだ。
「じゃ、まずは接近」
〝気配〟の位置を覚えてから、〝空梟〟を切る。
流れるように足へ〝血因〟を集中させ、筋肉を強化。キラの考案した〝隼〟は早すぎる上に、地面を蹴る力が果てしなく強い。
隠密行動をするには――。
「〝一ノ型〟――〝猫足〟」
トン、トン、トン、と。猫の如く、身のこなし軽く駆ける。
五人の盗賊たちも警戒は怠っていないだろうが、まさか五百メートル離れた地点から感知されるとは思っていないだろう。そんなことができるのは、それこそ元帥クラス。
暗闇に響く足音と、羽織がはためく音とが五人の賊たちに届くのを考慮して――一気に速度を上げた。
百メートル、七十、五十――。
「何か――」
気づかれて、コンマ一秒。
声は出させない。
「〝雷鳴ガウバウ〟」
両手を突き出し、十本の指で牙を形どり、〝白雷〟を放出。
獣の形をしたそれが、口を開くやパッとはじけて、〝見えない雷〟となる。そうして五人をまとめて飲み込み、痺れさせた。
「さあ、行くよ」
〝センゴの刀〟を抜き放ち、深く〝呼吸〟をする。
イメージするのは。
「飛ぶ斬撃」
プラス。
「〝火焔〟」
アランの〝古代魔法〟から着想を得た新技――。
「〝飛燕刃〟!」
ボッ、と炎が伝う〝センゴの刀〟。
大きく振りかぶった軌跡そのままに、炎が渦巻きながら飛んでいく。
直線上にいる四人を順に斬りつけ、その上で業火が巻き付いた。
狙い通り。
エルトはニッと口の端を吊り上げて、しかしそれで止まることはなかった。
四人の〝気配〟は消えた。残るは、尻餅をついた一人のみ。
徹底的に、恐怖を与える。
「無事には帰さない」
動けず、声も出せないうちに。その左腕を切り飛ばす。
悲鳴も上げれずにゴロリと河岸に転がる男は、完全に心が折れていた。涙と鼻水とよだれをダラダラと垂らしながら、痛みに悶えている。
「盗賊団だかなんだか知らないけど……。警告はしたから。あとはご自由に」
チン、と刀を納めて、その場を立ち去る。
なにやら男がくぐもった声を出していたが、エルトは聞こえないふりをした。
「レオナルドも難しいこと言うよ……。殺しに正義を求めちゃいけないってさあ――じゃあ、どんな気分で悪循環を断ち切れってのよ」
いつもは適当ながらもちゃんと考えて返してくれるキラの〝声〟はなく……。
「悪を根絶やしにしたらそれでおしまい、ならそれで良いんだろうけど。悪者にも悪者なりの理屈があるもんだから……。あ〜あ……大変」
くふぁ、とあくびをしながら、キャンプ場に戻った。
◯ ◯ ◯
マーカス・エマール。
エグバート王国〝公爵家〟長男あらため、王位継承者。
〝イエロウ派〟にあって青いマントを翻す彼のその姿は、新しい家ともなった〝パサモンテ城〟でも話題になっていた。
「マーカス王子は……なぜあのマントを?」
「エグバート家への未練だったりして?」
「しっ! 聞こえるッ」
陰口……とまではいかないが、人目が集まることに対して、マーカスはため息をつきたいのをグッと堪えた。が、角を曲がった廊下で吐息がこぼれてしまう。
「人目を集めるのはどうも好かん……」
ここ最近は、特に。
息が詰まりそうで仕方がない。
「今は我が〝女神〟にも頼れん……。嫌われてしまってはなあ……」
とはいえ……。
立場を考えると、下手は打てない。
いつも通り。〝エマール領〟で生活していた通りに、振る舞う。
「殿下!」
「……耳障りな。声を荒げずとも聞こえている。俺は老人か?」
「あ……。いえ、その、背後からのお声がけでしたので……。どうぞお許しを……」
考え事に没頭していたところへの急な呼び止め。苛立ちを隠せず振り返ると、一人の〝イエロウ派〟騎士が顔を真っ青にして震えていた。
血筋ゆえの短絡的なところが出てしまったと反省しつつも、謝るようなことはしない。
それが、かつての〝エマール城〟での振る舞いであり、今いる〝パサモンテ城〟での日常である。
褒められたことではないが、体裁を取り繕わねばならない現状において、この短気な性格がいい隠れ蓑になっている。
思い返せば、〝エマール領〟闘技場での乱闘騒ぎの際は、我ながら自分の性格に感謝すらしたものだった。




