699.1-6「口火」
「約三百年前に占領された、とある領土です」
そこまで言ってから、セレナはリーウの手元を伺った。メモの進捗に何度か小さく頷きつつも、一言二言アドバイスをする。
せっせと頑張るリーウをみて、キラははたと思い出した。
「あ……。アベジャネーダ国……〝贋の国〟。領土を奪ったとか何とかって、リーウがちょろっと話してくれた気がする」
「そうです。まさにそう」
セレナがメモの速度に合わせて、言葉を繋げる。
「約三百年前、〝教国〟ベルナンドの西端の領土が占領されるという事件が起こりました。主犯は〝聖母教〟の分派である〝イエロウ派〟……水面下で着実に勢力を増していったことで、発覚した時にはすでに国の様相を呈し、戦争でしか取り返せない状況になっていたそうです」
「それで、重い腰上げて今取り返そうってことになったんだ……。だから、内密」
「その通りです。エステル殿の護衛任務はカモフラージュ……キラ様が自然な形で〝教国〟に入国し、流れで潜入任務に入るための」
キラもリーウが必死に会話内容を書き付けているのを見て、時間稼ぎ的に少し話題を逸らした。
「にしても大胆というか、なんというか……。あんな形で大々的に依頼をするっていうのが……。どっちかっていうと、ラザラスさんがそういうことしそうなイメージあるけど」
「クロエさんから聞きましたが……まさにその通りだそうです」
「へえ……?」
「〝聖母教〟総本山からの〝相談事〟となれば、ほぼ断ることのできない要請となります。キラ様もお察しの通り、ラザラス様はそういうことを毛嫌いするお方ですから……ある種の意趣返しのようなものでしょう」
「だ、大胆だあ……」
「ラザラス様は〝教皇〟カスティーリャ様と親しい間柄なので、友達の頼みに応える代わりに、というような意味合いではあるでしょうが……。規模が違いすぎますね」
「あ……。じゃあ、もしかして、エステル……様が元帥を公認したのも?」
「流石にそこまでラザラス様も厚顔無恥ではありませんが……ただ、『おめでとう』の一言でも、という話はされていたようです。キラ様がエグバート国民に〝元帥〟として認められるように」
「元っていっても、国王なんて立場を務めた人がなんでそうやって……」
「それだけキラ様に魅力があるということです」
リーウのメモの手が追いついたところで、セレナが話を元に戻した。
「この潜入任務の最も肝心なところは、あくまでも〝教国〟ベルナンドに対する支援が中心ということです」
「ふん……?」
「この〝領土奪還作戦〟は、何があったとしても、ベルナンド側に良い形で終わらねばなりません。最良の結果は、もちろん、アベジャネーダの領土が解体され、ベルナンドに戻ること。しかしそうでない場合……この二カ国での戦争になった場合などは、ベルナンドが勝利という形にならねばなりません」
「んー……。つまり、僕は表に出ちゃいけない……?」
「絶対というわけではありません。戦争に発展すれば、〝聖母教〟を国教とするエグバート王国にも〝教国〟ベルナンドを支援する口実が生まれます。ただそれは、戦争を悪とする〝聖母教〟としては、本当に最終手段……そうならないように、キラ様には立ち回ってもらいたいのです」
「どっちにしろ、もう今回で決着つけたいって話か……。でも、アベジャネーダ国が勝手にベルナンドの領土に戻る……なんて奇跡、ないよね?」
「はい。その流れを引き寄せるための潜入任務です。すなわち、アベジャネーダの国民を煽動し、革命を起こすのです」
「なるほど……。国をぐちゃぐちゃにして、隙だらけのところに交渉を仕掛けるんだ。けどさ。そう簡単に革命なんて起こせるかな……?」
「たとえば我が王国であっても……その実態は、何百万という人間の集まりにすぎません。そういう見方をすれば、文字通りの一枚岩はあり得ません。ましてやアベジャネーダ国は、歪な成り立ちをした〝贋の国〟……付け入る隙はいかようにもあります」
そうやって言い切ったセレナは、リーウの手元を覗き見た。
そこでぴくりと眉を動かして、ペチ、とリーウの頭を叩く。どうやら何か余計なことを書いていたらしい……『名言』だの『金言』だの聞こえる。
「おほん。偶然にも、私たちはこの革命に先駆けて動いていました」
「? どういうこと?」
「キラ様もご存知の通り、〝贋の国〟はエグバート王国とも因縁深い関係にあります。なにしろ、裏切り者のエマール家がそのトップについていますから」
「ああ、そういうこと……。まあ、僕としても用はあるんだけど」
「承知しています。――そのため、竜ノ騎士団としても放置できない事案でもあったわけです。アベジャネーダへの侵攻か、エマール家の捕獲か……何にしろ動かねばなりません」
「ってことは……。もう誰かが先に向かってる?」
「はい。〝ノンブル〟のシスが、潜入を開始しています。つい先日、〝贋の国〟国内に入ったとの報告があり……キラ様が到着する際には、幾分事を運べているでしょう」
「なら、僕がすることは……。シスと合流して――エグバート王国の人間とバレないように革命活動を煽って――アベジャネーダを中から崩す。ってこと?」
「話が早くて助かります。その通りです」
リーウが内容をまとめているうちに、キラはセレナに聞きたい事をぶつけた。
「セドリックたちは連れて行ける?」
「すでにリリィ様が打診しています。もちろん、お二人とも依頼を受けると」
「よかった……。あ……けど、〝見習い〟が突然〝元帥〟と一緒に任務に出るって、結構不自然?」
「そうでもないかと。現時点で、セドリックさんとドミニクさんは突出していますから。〝黄昏事件〟に際しての活躍で竜ノ騎士団内でも話題となりましたし、〝王都武闘会〟でも見事な活躍を見せてくれました。それに何より、キラ様のお友達……〝見習い〟ながらもこれだけ目立っているのですから、問題はないかと」
「そういや……二人とも、入る前から立派な騎士だったもんね」
「それは本当にそう思います。大会では巡り合わせが悪かっただけで、下級騎士としての資格も十分に有しています。それに……お二人ともタフですから。国外任務となる今回に適任かと」
「そうなの……?」
何を意図していったのかよく分からず、キラは首を傾げた。が、セレナは小さく頷いただけで、それを明かしてくれることはなかった。




