697.1-4「初出勤」
「大丈夫か?」
「なんか……すごく疲れた」
「キラへの声援すごかったもんなあ。王都に知り合いいない俺とかドミニクも結構名前呼ばれたし。〝王都武闘会〟の影響、すげえ」
さすがに〝騎士寮〟に入ってまで声援を届けようとするバカはいない。
注目の渦から抜けたということもあって、門を潜った順に、皆どっと疲れたようにため息をつく。出発前まで緊張で張り詰めていた分、ざわざわと喋り声が出始めていた。
ただ、それを諌めたり咎めたりするような声はない。
なにせ、監督官権誘導員として動いていた上級騎士たちも、疲れを隠せていないのだ。新人騎士たちをトラブルから守るという使命がある分、むしろ彼らの方が疲労が大きいだろう。
疲れで頭が回らない中、キラはセドリックと一緒になって、流れに乗って歩いていたが、
「キラ。用意した馬車はこちらですわよ」
リリィに手を引っ張られ、ようやく自分が大講堂へ向かっていることに気づいた。
「リリィ……。あれ、本部にいるんじゃなかったっけ?」
「? 何か勘違いをしてますわね? わたくしは新人式で挨拶を任されていますのよ」
「あれ……? ああ、馬車を用意するって、こっちでってことか」
〝元帥〟リリィ・エルトリアの存在で、周囲のざわめきが一際大きくなる。新人騎士も在籍騎士も、一様に足を止めて見惚れる。
それもそのはず。今日のリリィは一層輝いていた。白銀の軽鎧といい、紅色の騎士装束といい、一部の隙もない。
化粧も完璧。元から整っていることもあり、愛らしさと艶やかさと美しさとが同居していた。目元のくっきり具合、肌のきめ細やかな色艶、唇の鮮やかさなど、何もかもが仕上がっている。黄金色のポニーテールも、陽の光を受けてそのつややかさが目立っていた。
「じゃあ、俺、講堂に行くから。またな」
「ん。また」
セドリックは変に浮くのを避けるため、さりげなさを装って離れる。キラも軽く言葉を交わして、リリィに目を向けた。
「そういえばさ。任務の説明って言ってたけど、どこでするの? 会議室みたいなとこ?」
「いえ。少し複雑に入り組んだ事情もありますので……〝元帥室〟の方で。セレナが待ってくれていますから、迷うことはありませんわ」
「〝元帥室〟……。そういえば、僕のもあるの?」
「ええ、もちろん。わたくしの隣に」
「あれ……。でも隣って、セレナのじゃなかったっけ? 入ったことはないけど」
「そこがキラの〝元帥室〟となりますわ。もともと、セレナはわたくしの部屋に入り浸ることが多かったので、この際にまとめてしまったのです。詳しいことはセレナに聞いてくだされば」
「アランさんと同じで派出所のほうにあってもよかったんだけど……。後から取ったみたいで、なんか悪い……」
「気にすることはありませんわ。ほら、元帥同士、近い方が連携も取りやすいですし。ね?」
「まあ、二人が納得してるんなら……」
念押しするような言い方に気押されて、キラは思わず頷いていた。手を繋いだまま馬車に案内されて、そのまま中へ。
「では、また後ほど。二時間ほどで戻りますので」
リリィが御者に合図を出すと、ぴしりという鞭の合図で二頭の馬がゆっくりと車を動かし始めた。
初代エグバート王国時代には王都だったという〝騎士団地区〟は、一つの街だったこともあってかなりの規模となる。
〝人事局〟や〝商事局〟といった〝兵士局〟以外の部署も集う、まさに竜ノ騎士団の心臓を担う〝本部棟〟。
本部勤めの職員たちが寝泊まりする〝職員棟〟に、騎士団の中でもトップクラスの実力者たちが集う〝西部騎士寮〟。王都西部を巡回地域とする〝派出所〟。
そのほかにも、会議室や講堂で構成された〝本部別棟〟に、騎士たちが一斉に訓練できるほどのグラウンドと、さまざまな役割が詰め込まれている。
今は下級騎士となったコリーが話すには、本部勤めはエリートの証。
元帥が常時待機している部屋もあるのだから、竜ノ騎士団に勤める者すべての憧れの場所と言える。
関係者以外は原則立ち入り禁止な〝騎士団地区〟を訪れるのは、キラは二度目のことだった。
「ずいぶん久しぶりな感じがする……」
「ですね。あの時は夏直前でしたから」
馬車から降りると、さっそくセレナが出迎えてくれた。
彼女によれば、全部署の局長たちが並ぶところだったが、『それは嫌がるだろう』ということで控えてもらったらしい。
個別に挨拶に回る方が楽なキラにとって、ありがたい配慮だった。
「暑いは暑いけどさ。結構過ごしやすいよね。湿気もあんまりないし。〝グエストの森〟は夏に入る前でも割とすごかったのに」
「あの地域は暑くて有名ですからね。そのぶん、特産品も多いのですが」
「なんか……。王国の気候って独特? 帝国はどこも寒いのに、王国は場所でガラッと変わってくるよね」
「ええ。ですので、新人の配属は特に気を使うのです。ただでさえ緊張しているところへ、ガラリと環境の変わる支部へ配属すると、すぐに体調を崩してしまうので」
「それでいうと、リーウは今も結構苦戦してるよ。見かけないと思ったら、大抵森の方に出かけて涼んでるし」
「魔法で部屋を涼しくしようにも、この時期はすぐに冷気がなくなってしまいますし……。何か……こう……画期的な方法があればいいのですが」
「ま、自然が一番じゃない? 王都は常に汗かいちゃうって気温でもないんだから。いざってときには、それこそ魔法があるんだし」
セレナと他愛のない会話をしながら、〝本部棟〟に入る。扉を潜って、吹き抜けの円形エントランスを通り、〝元帥室〟のある三階へ。
新人式があろうが、新しい元帥がやってこようが、〝本部棟〟で働く職員たちは今日も忙しい。若手もベテランも関係なく、廊下をせかせかと歩き、階段を上がったり下ったり。
そうはいっても、すれ違えばちゃんと立ち止まり、きちんと挨拶とお祝いをしてくれた。
キラも最初の方はセレナに任せっきりだったが、それがどうにも格好悪く思えて、途中からモゴモゴと自己紹介をするようになった。
「疲れた……」
三階に上がるのに、約三十分。次から次へと現れる職員たちと挨拶を交わしていると、階段の段を一つあがるのも一苦労だった。
「お疲れ様です。キラ様なりの努力が見えて嬉しい限りです」
「言われるがままに頭下げるだけじゃあ、なんかね……。でも、元帥としての振る舞い方ってまだよくわかんなくってさ……。大変」
「自然体で良いのではと思います。リリィ様はともかく、私もアランも、どちらかといえばコミュニケーションが苦手な方ですが……いつも通り過ごしていても、何か支障をきたしたということはありません」
「二人とも強さが滲み出てるから……」
「それをいうならばキラ様の方が〝圧〟を感じますよ」
「そうかなあ……? たまに見た目で舐められるんだよねえ……」
「ま。確かに……。〝元帥〟であるという証は必要となりましょう」




