689.決戦
〈い、胃に穴が開きそう……〉
〈我慢我慢。みんな興奮してるから、割と素直に聞いてるじゃん? 目論見は成功しそうだね〜〉
〈あとでお礼言わなきゃだけど……。これ以降は勘弁してほしい〉
〈何言ってるのよ。元帥就任後って、いろんなところに顔を見せておかなきゃいけないんだから。各支部十二カ所でしょ、主要な街五カ所でしょ。それからそれから……ああ、王国騎士軍にも挨拶しとかなきゃ〉
〈ああ……憂鬱〉
〈ま、リリィたちもそこら辺はフォローしてくれると思うよ。なんなら、リーウちゃんを本当に騎士団に引き入れて、サポートにつかせてくれるかも〉
〈じゃなきゃやってらんないよ……。うぅ……〉
〈ふふ。ほら、次、挨拶かもよ?〉
エルトと話している間にも、リリィは見事な言葉運びと抑揚とで観客を魅了していた。
〝元帥〟という立場に加え、〝公爵〟エルトリア家の次期当主という肩書き、そしてなんと言っても彼女の美貌が説得力を与えている。
〈リリィ、美人だもんなあ……。声も綺麗だし。みんな聞き入っちゃうよ〉
〈ふふん。私似だもの〉
〈……そうだっけ?〉
〈そうでしょうよ!〉
バカなやりとりをしつつもリリィの話に改めて耳を傾け……そこで、何やら怪しい方向へ進んでいるのが気になった。
「先ほどの攻防でも、彼の実力は一目瞭然。ただし、これだけでは全てを図れないのも事実ですわ。ルールある試合ですもの……互いに、遠慮があります」
闘技場の中心にいたリリィが、意味ありげにその場を離れる。
再びアランと戦うことになるのかと思ったが、彼もまた壁際の方へ寄っていた。すでに〝無銘〟を鞘に収め、腕を組んで傍観の姿勢をとっている。
「今日、この場を借りまして、もう一つ皆様にお伝えしたいことがあります。世界は広く……とても広く、摩訶不思議な出来事で満ち満ちていると言うことを」
なんの脈絡もなく話題を変えたリリィに、盛り上がっていた観客たちはざわりとしはじめた。彼女の口調も相まって、話の先が見えず、誰も彼もが思わず息を潜める。
キラも皆と同じ気分だったが……辺りの空気がピリリと張り詰めたことで、何が起こるか予見できてしまった。
〈まさか……〉
〈まさかね〜……〉
肌を伝う〝気配〟は、とりわけこの一ヶ月の特訓期間で、嫌と言うほど味わったものである。
すなわち。
――やぁっと俺様の出番か……!
どこからともなく降って湧いたのは、世にも美しい白馬。
突如とした出来事に、会場が静まり返る。
次の瞬間には、それぞれの反応を示した。
〝王都武闘会〟の祭りの延長線上と考えて、妙な催し物に盛り上がるヒトたち。馬が登場した事実に困惑を隠せないヒトたち。その突拍子もなさに笑い声を上げるヒトたちも少なからずいる。
だが、これから何が起こるか解ってしまったキラとしては、全く笑えなかった。
サプライズやハプニング大歓迎なエルトも、全く〝声〟を出さずに絶句している。
〈な、なんで……。ユニィが……?〉
――ハッ。テメェを試しに来たに決まってんだろ
〈いや、でも……どうやって?〉
――あの小娘だ。ある程度〝声〟を聞き取れるんでな。意思の疎通は簡単だ
〈へえ……。そう……〉
もはや、何も言うことができない。
これから、ユニィと戦うことになるのだ。
今まで色々と窮地に追いやられてきたが……今ほど頭が真っ白になったことはない。そうして、『無理』という言葉が真っ先に頭に思い浮かぶのは、初めての体験だった。
「彼はユニィ。かの〝不死身の英雄〟の愛馬にして……この王国の守り神のような存在ですわ。生前のランディ殿にも〝世界最強生物〟と称されたほど」
少しだけ笑い声の方が大きくなる。相手が相手ならばバカにされていただろうが、リリィ・エルトリアだからこそ『盛り上げ上手』と好意的に捉えている。
――おうおう。随分とコケにしてくれてんじゃねぇか
ユニィの不機嫌そうな〝声〟をきいて、キラは肝を冷やした。リリィにも聞こえたのが、彼女が不意に喉を詰まらせて、白馬の方をチラリと伺う。
「百聞は一見にしかず。わたくしたちも期待する新たなる〝元帥〟とともに……その真の実力をご覧に入れましょう」
リリィにそう言い切られては逃げられるわけもなく、キラはユニィと対峙することになった。
――オゥ。どうした。〝雷〟の新技、いくつか造ってただろうが。撃ってこいよ
〈じょ、冗談厳しいね……。半端が君に通用するわけないじゃん〉
――けっ。一丁前に勝とうってか?
ユニィは楽しそうにブルブルと頭を振ったが、キラは冷や汗が止まらなかった。
確かに、〝防御面〟あるいは〝攻撃面〟を意識するようになってから、〝雷の神力〟の応用も考えていた。
ただ、現状、〝雷〟は手に余る。
〝コード〟を使えば、一パーセント未満の威力にまで抑えることはできる。
だが、かなりの確率で失敗する。
一番簡単な〝インパクト〟と〝ショート〟を、ギリギリ実践レベルで使えるようになったくらい。
油断したり焦ったりすると失敗してしまい、そもそも、瞬間的な判断をようするスピード勝負では使い物にならない。
失敗しても何も起こらなければ、それでも強引に使えるが……体の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたかのようになるうえ、心臓発作を引き起こす。
ユニィによれば、〝雷の神力〟が乱れるのだという。暴走の危険性を考えると……。
今は大会出場中。周りには多くの観客がいる。〝コード〟はもちろん、〝雷の神力〟を迂闊に放つわけにはいかなかった。
――オイオイ
ユニィが、ダンッ、と右前足の蹄で地面を踏み締める。
――ンな調子で対等に渡り合えると思うんじゃねぇよ!
キラは息を呑み、そのまま喉を詰まらせた。
白馬の放つ迫力といったら。
ろくに〝覇術〟を使っていないというのに、その〝気配〟だけで飲み込んでくる。観客席では何人も気絶している。
〈キラくん!〉
エルトが〝声〟で揺さぶってくれたおかげで、ハタと自我を取り戻す。
目の前には、すでに白馬の大柄な体が迫っていた。
首を伸ばして、高らかに顔を上げて――その額を打ち下ろしてくる。
「――ッ」
咄嗟に、〝センゴの刀〟に頼る。
抜き身の刀を掲げて防御。
鋭い刃で、逆に白馬の額を切り裂こうと思ったが――不可能。どう引いても、硬い感触しかない。
受け流しつつその場から退避するので精一杯だった。
――こういう時こそ〝防御面〟だろうが
不機嫌そうに、ブルルンッ、と鼻を鳴らしながらいう。
――身につけたモン、全部ぶつけてこい。したら一パーくらいは勝率上がるかもな
キラは緊張と焦燥で荒くなる〝呼吸〟を必死で抑え……その無意識の習慣を保つだけで頭がいっぱいになっていた。




