665.主導権
「――キャア!」
前方から聞こえてきたのは女性の声。フランツでもグリューンでも、ましてやチンピラの声ではない。
「ハァ、ハァ――どけぇ!」
「通して、すみません通して! ――待て!」
続けて聞こえてきたのは逃走劇。
豚の鳴き声のような醜く必死な声と、人混みの中でもよく通る張りのある声。何かトラブルでもあったのか、巡回中の騎士に誰かが追いかけられているようだった。
前方のざわめきは大きくなり、
「ってぇ……!」
それに紛れて、グリューンがうめく声が聞こえた。
カインがヒトをかき分けて進んでいる間にも、事態は進み……。
「クリーブ・ロードン……!」
もう少しで騒ぎの中心に届くというところで、グリューンの呆気に取られた声が届いた。唐突な事態に、カインも足を止めてしまう。
そんな時に、もう一人の声。フランツが小さく叫んだ。
「あ……! ジョンが……!」
どさくさに紛れてチンピラが逃走を図ったようだった。
酔いは完全に回っていたものの、元々そういったことに強い体質なのか、動くことはできたらしい。
たかが酔っ払いなどさして苦労もなく捕らえられようが――状況が混乱を呼ぶ。
ヒトをかき分けたその先の光景が、一瞬にしてカインの目にも飛び込んできた。
クリーブ・ロードンが現れたことで、少しだけ円形の空間ができた様子。汗だくな肥満男に蹴飛ばされて尻餅をつくグリューン。奥の方へヒトに揉まれながら逃げるチンピラのジョンと、それを唇をかみしめて見届けるフランツ。
竜ノ騎士団の騎士はまだロードンに追いつけていない。人ごみに流されそうになっている。
ロードン捕獲の絶好の機会。
だが、ヒトの注目を集めすぎている。
「〝風、吹いてくれ〟」
そこでカインは最大限に頭を回し、〝ことだま〟を呟いた。
脳みそと空気中の〝魔素〟が直接繋がったかのように。イメージがそのまま〝魔法現象〟として現れる。
集まる人々の頭を撫でるかのように、強風が通り抜けた。
皆、たった今起きている騒ぎに注目するどころではなく、頭を押さえたり目を瞑ったりして、風をやり過ごす。
その隙に、もう一つ〝ことだま〟。
「なんだよ、〝酔っぱらってんの〟?」
そうやってロードンに〝錯覚系統〟をかけて、〝ムゲンポーチ〟から引き抜いた〝クリアマント〟を被せる。
モーシュの〝三種の神器〟はその機能を遺憾なく発揮し、使ったカインでさえもロードンがどこにいるのか一切見えない。
ただ、それで取り逃すようなことはせず、ロードンの重い体を抱えた。
「フランツ、グリューン、手伝ってくれ。風が続いてる間に、裏路地に……」
「……それが最優先か。つっても見えねえんだがよ」
「何となくわかるだろ。ほら」
三人がかりでも重たいロードンの体を何とか裏路地にまで引きずり、ほっと息をつく。
だが、そこで一休みできるほど事態は軽くはなかった。
ロードンが追われているのは竜ノ騎士団であり、その理由はもちろん無断出店。
それなりに人手をかけ……それを〝クリアマント〟と〝錯覚系統〟とで何とかやり過ごしながら、時間をかけて宿にたどり着いた。
とはいえ、また酔っ払いの友人として連れて入ることもできないため、ここでもまたスニーキングに注力した。
そうして実に一時間以上もの時間を費やし……。
「本当に……。状況が目まぐるしく変わりますね……」
ベッドにごろりと寝転がり、ヴィーナの膝枕を満喫しながら、一連の気苦労を癒す。気を抜けば意識が飛びそうで、カインは声を出すことで何とか起きていた。
「チンピラたちの様子は変わり無かったんだよな?」
その問いかけにはライカが答えてくれた。一旦部屋の隅の方に寄せて集めたチンピラ三人を顎でさす。
「もちろん。一ミリたりとも動いてないわ。なんたって、私とヴィーナがいるんだから」
現在、部屋の中央にいるのはクリーブ・ロードン。手足を縛って、念の為猿轡も噛ませて、座らせている。
「おい、カイン。お前が尋問するんだろ。いつまで寝そべってんだよ」
「も、もーちょい休ませてくれよ、グリューン。ってか、お前どんだけタフなの。フランツなんてもうぐうすか眠ってんのによ」
「そっちがヤワなんだろ。俺は普通だ。そんなんじゃあ、キラを仲間に引き抜こうったって無駄だ。途中でついていけなくなんぞ」
「うっせ……。俺だって、あんな張り詰めた状況じゃなきゃ……」
「あのな。どういう仕組みだか知らねえが、そのやたら強力な〝ことだま〟に振り回されすぎだ。最低限を知れっての」
「ぬぅ……! 正論で言い返せねぇ……!」
「ってわけで、ほら、尋問開始。疲れてた方が余計な力が入らなくて済む」
「鬼教官かよ……」
カインは仕方なくヴィーナの膝枕から離れて、ベッドの端の方ににじりよる。
膝に肘を置いて気だるげな体を支え、前のめりになってライカに合図をする。
「おっさん。〝俺の聞くことだけに答えろよ〟」
猿轡を解かれたロードンは、唾を吐いて何やら罵ろうとしていたが、コヒュ、と喉を鳴らすにとどまった。
「何で俺らを狙う? 刺客を差し向けたよな?」
ロードンは喉をくぐもらせて抵抗したが、〝錯覚系統〟はその程度では破れない。本人の意思に関係なく、ぽろぽろと言葉が漏れていく。
「王国を……あるべき姿……真なる自由を……。うぅ……。〝ロードン商会〟を……頂点に……。そういう……約束だ」
「ふん……? それと俺らがどう関係してんだよ?」
「国際問題にすれば……。外交問題にかかり切り……。内部の崩壊には……気付けない」
「無断出店して追いかけ回されてたやつの考えとは思えないほど、しっかりと策略してんのな。それが通るかは別として」
その瞬間、ふとグリューンの視線に気がついた。ロードンを睨みつけていると思っていたところへ目があったため、不意に見返してしまう。
ただ、何かがあったわけではないらしく、グリューンはロードンの方へ目を向けた。
少しだけ不思議に思いつつ、カインは尋問を続けた。
「お前が考えたんじゃないだろ? 上がいるはずだ。約束がどうとかいったよな」
「うぅ……。ぐ……」
それだけは口外したくないのか、ロードンは必死に抗っていた。
だが、そのブクブクと肥えた体つきを見るに、欲望に忠実な男である。そのための努力も惜しまないだろうが……だからといって、圧力に耐え切れるような根性はなかった。
「ク……。クレイグス、卿……。全て、は……指示……」
「ってことは……。そのクレイグスってのも、〝反王国派〟ってやつの一人か。――この際洗いざらい話せよ。他に何をやった?」
「金で釣って……海賊行為をさせて……。リヴァーポートでは……反乱軍を……」
「……だってよ?」
ちらりとグリューンを伺うと、少年はロードンの話に集中していた。腕を組んで、顰めっ面で記憶を探っている。
「リヴァーポート……。キラ周りの報告書のどれかで見た気がする……」
「お前……。ストーカーか?」
「バカいえ。俺はただ全部を知っておきたいだけだ。――思い出した。〝黄昏事件〟の時に、ミテリア・カンパニーの連中が〝反王国派〟を気取る連中と遭遇したんだったか……。海賊行為ってのは覚えがないが……似たようなもんだろ」
色々と気になる言葉が出てきたが、カインは少しの疑問でさえも押し殺した。
〝反王国派〟のクレイグス卿。〝フランツ襲撃事件〟はすでに収束したようなものだが、そのクレイグスとやらを捕えることができれば……。根本的に解決するだけでなく、王国との交渉に有利な状況を作れる。
「……よし。もののついでに、そのクレイグスってやつをとっ捕まえてやる。それで全部にカタがつく」
「これで大会を観られると思ったら……。策はあるんだろうな?」
「大丈夫だって。キラの試合には十分に間に合う。……多分」
「期待できねえな。聞いてから判断する。こっから先は、わざわざ面倒ごとに突っ込むだけだ……無茶と思ったらやめさせる」
「いいぜ。こいつをつかって――」
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