637.修行
言い訳気味に、冗談気味に。リーウには「クロエに負けた」と簡単に言ったものの、キラとしては夢に出るほどに悔しい勝負だった。
――ハッ、ちったぁマシになったと思ったら。まだまだヘナチョコだな
「く……。い、いうほど差なんてなかったよ」
〈使ったのは〝コード〟だけだったけどね〜。しかも全部中途半端〉
エルトリア邸にて。竜ノ騎士団の試験に向けて急激に忙しくなったというリリィとセレナの出勤を見送り、キラは邸宅の西側に広がる雑木林に足を運んでいた。
エルトによれば、もともと森だったところを領地として確保したのが由来だという。
もともと王都は、今の〝騎士団地区〟というごく一部の範囲に限られていた。
それをより拡大するためには周辺の川や森を開拓していく必要があり……それにエルトリア家が待ったをかけた。結果として、エルトリア家が現在の王都内に広大な領地を持つことで、自然を確保したのである。
定期的に一般公開されることもあり、その際には多くの人々で賑わうという。
そのため、エルトリア家は一番に雑木林の手入れに力を入れている。
もともと森というだけあって、丘のように隆起していたり、溜池のように窪んでいたり。アップダウンが激しく、雑草や低木も自然のままに生えそろっている。
その一方で、遊歩道もきちんと敷かれている。土や砂利で舗装し、杭と縄で柵を作り、丸太で階段を作り……といった具合に。
雑木林の中心には綺麗な湖があり、キラはそのほとりでユニィと共に訓練に励むことにした。
都会にいるとは思えないほどの静けさは、人目を気にすることなく鍛錬に励むことができる。
「まあ……。さっきもちょっと話したけどさ。〝気配面〟は上手くいくんだよ。ただ、〝攻撃面〟と〝防御面〟が……。僕の〝血因〟にはそういう才能はないってこと?」
――バカいえ。エルトは出来るっつったろうが。テメェのはあの小娘由来だろ。そんでもって、あの小娘はエルトの血をひいてる……テメェができねぇ道理はねぇだろ
「でも……。ほんと、感覚が掴めなくって」
――それぁ……グッと力入れんだよ。グッと
「……手紙書いたときもだけど。ユニィ、物教えるの下手くそだよね」
――あァッ? なんだその態度は、クソガキ!
「だって、本当のことじゃん! グッ、て何! 具体性がないにも程があんでしょ!」
歯を剥き出しにして唾を飛ばしてくるユニィに対して、キラもブツっとキレてその横っ面を引っ叩く。
しかし不思議生物ユニィがそれで引っ込むはずもなく、歯茎を見せて遠慮なく噛んでくる。
ぎゃあぎゃあと喧嘩していると、エルトが仕方なさそうにため息をついた。
〈ほらほら、二人とも。話が前に進まないじゃん〉
「や、でも……! じゃあ、どうしろって……」
〈要は、キラくんは〝攻撃面〟と〝防御面〟を使いたいわけでしょ。けど今はそれができない〉
「うん」
〈でも、リョーマくんを思い出して見てよ。あれだけ攻撃も凄くて防御も硬いのに、〝気配面〟の技術で補ってるって。ってことはさ、キラくん、〝気配面〟特化なわけだから、それ軸に訓練できるんじゃない?〉
「ん……。じゃあ、〝コード〟を使ったときみたいに、〝気配面〟で〝血因〟を探れば……? いや、でも正解がわかってないと意味が……。エルトがやってるのを感じても、なんかあんまり実感が湧かないし……」
ユニィのよだれでべっちょりとなった手を湖で洗い、ムムム、と眉を寄せ……はたとして白馬の馬面を見た。
「ユニィ。〝攻撃面〟、見せてよ。ちょっと前から使ってる〝気配汲み〟は成功率高いし、それで観察すれば何か糸口見つけられるかも」
――わかった。だが〝防御面〟が先だ
「? 別にいいけど……」
白馬はブルブルと顔を振りながら、その場をクルクル回った。
どうやら湖近くの芝生が若干ぬかるんでいるのが気になっているらしく、少し遠ざかる。粗暴な性格とは裏腹に、綺麗な毛並みを汚さないように静かに歩く。
そうして、木漏れ日を浴びるような立ち位置で、〝覇術〟を使った。
傍目にはなんの変化もない。ただただ、一枚の絵画のように湖の辺りに白馬が頭を逸らして悠然と立っているだけ。
だが――〝弐ノ型〟で感覚を鋭敏にしていたキラは、その凄まじさに鳥肌すら立っていた。
〝覇術〟を体得してからこれまで、幾度か〝気配〟に気圧されたことはある。リョーマの〝防御面〟、ブラックの〝闇の神力〟、クロエの魔法……。
誰もが強敵だった――というのに、彼らが足元にも及ばないほど、ユニィの”防御面”は圧倒的だった。
全身が〝覇術〟の〝気配〟で満たされている。骨も、筋肉も、肉体も……毛並みの一本一本にすら〝血因〟が伝わったのではないかと思うほどに。
もはや、何者にも侵されることのない絶対領域である。
「うぅわ……。やば」
〈ね……。〝覇術〟使えるようになって……ここまで〝差〟があったんだって。改めて思うわね〉
――感心ばっかしてんじゃねぇよ。分析をしろ、分析を
そう言われても、解ることは少ない。せいぜい、ユニィの〝呼吸〟により〝気配〟が鼓動していると汲み取れる程度。
「これ、どうやって真似ろって……。〝血因〟が活性化してるのは解るけど……。〝気配面〟との違いがいまいち……」
――ったく……。〝覇術〟ってのは〝覇〟……〝血因〟を操る〝力〟だ。ってことはつまり、間接的に血流をコントロールすることになる
「はあ……」
やはりユニィには、物を教えることに向いていない。
ぶるぶると頭を振るって苛立ちを表している。彼の性格を考えれば、それを言葉にしないだけ堪えているのだろうが……。
〈つまり……? 〝気配面〟は、〝血因〟が身体中を巡って五感を刺激してるわけだ。血がいっぱい通うから、より感覚が鋭敏になる〉
「ほう……?」
〈だから……。〝気配面〟は、〝血因〟が感覚に作用してるってわけで……。〝攻撃面〟とか〝防御面〟は、肉とか骨に〝血因〟を差し向けなきゃいけない……ってことじゃない? 多分、私が無意識にやってるだけで、理屈で言えばそうなんだと思う〉
エルトの言っていることは的を射ているのか、ユニィは見るからに機嫌が良くなった。興奮気味に鼻を鳴らして、ふりふり尻尾を振る。
「ああ……? なるほど……? いやでも、〝血因〟を差し向けるって……どうやって?」
――じゃあ、お前はこれまでどうやって〝覇術〟を使ってきたんだよ
「あ……? 〝呼吸〟か! ……え?」
――まったく。まあ、しょうがねぇことだが。無意識レベルで使える系統が、その血筋の得意とする〝覇術〟になるからよ
「ってことは……。〝呼吸〟にはまだ二つ種類がある? 深さとかじゃなくって」
――〝覇術〟を引き起こす〝呼吸〟の仕方はかわらねぇよ。そういう意味じゃあ、はっきりと区別できるようなもんじゃない
「じゃあ、どうやって……」
――それこそ〝気配面〟だ。〝血因〟の〝気配〟を探れ。それがどこにどう作用してんのか、はっきりと意識し自覚しろ
「でも、〝気配面〟を使ってたら……」
――おいおい。〝気配面〟と他を併用できないって、誰がそんなデマを教えた?
「……! なるほど。リョーマもそういう意味を込めてアドバイスくれてたんだ」
――〝血因〟は身体中に巡ってんだ。〝気配面〟で活性化してる〝血因〟はごく一部。それ以外の動きを把握することがキモになる
「わかった」
――勘違いしちゃならねぇのは、〝攻撃面〟も〝防御面〟も単なる区別に過ぎねぇってことだ。肉体を強化して防御に徹しりゃ〝防御面〟、そいつでぶん殴れば〝攻撃面〟。呼び名に振り回されんじゃねぇぞ
「でもさ。〝気配面〟使ってる時に、〝血因〟が作用してるって……普通じゃなかなか考えられない気がするんだけど」
――だから言ったろ。最初は〝防御面〟を見せてやるって
「え……?」
――次は〝攻撃面〟だ。根性入れろよ
「……え?」
嫌な予感はしていた。
ユニィの頭部に〝気配〟が集中し始めたことで、現実化しただけのことで……。
それから。メイドの仕事を終えたリーウが迎えにくるまで、延々と頭突きで吹き飛ばされていた。




